まずは、三宅町の恋人の聖地に対する理解度のテストをお願いします
三宅町民なら全問正解が当たり前か??
三宅町・恋人の聖地。認知度テスト
- なぜ三宅町に恋人の聖地があるのでしょうか?
答え
ロマンチックな風景があるためではありません。
三宅という地名が入った万葉集が残っていて、それは男女の恋の歌であり、自分の子供がどんな子と付き合っているのか気にかける親の歌であり、その問いに対する子どもの返答の歌でもあります。
キーワードとして「あざさの花」があり、私の恋人は「あざさの花」を髪に差した可愛い子ですと歌います。
ですので、恋人の聖地として万葉歌碑の所に恋人の聖地のプレートとベンチが置いてあります。
恋人の聖地・三宅ということでロマンチックな風景を求めて訪れると期待はずれになります。
とはいえ、いにしえの時代を感じられるような場所が三宅にはあると思います。
「辺り一面、田んぼ」のような風景の方が、太古の恋と家族愛に想いをはせることができるかもしれませんね
- 三宅町の恋人の聖地の事業には、一期(2014年)と二期(2016年)があります。説明できるでしょうか?
答え
第一期は、2014年9月13日に除幕式とウォークイベント、14日に千田先生の講演とウォークイベントがあり、万葉歌碑の前にベンチを置きました。
第二期は、2016年2月13日に、万葉歌碑の前に陽のモニュメントと健民体育館にベル(音のモニュメント)を設置。
テレビCMも打って、オープニングセレモニーを宣伝しましたが、当日は残念ながら大雨でした。
動画がありましたのでリンクしておきます。
- 「恋人の聖地」事業をやりだす前の2013年頃に「愛の町・三宅」と、町は打ち出しているのですがご存知でしょうか? 「愛の町・三宅」と言った時の愛とは、いったい何でしょう?
答え
「愛の町・三宅」というキャッチフレーズの愛とは、万葉集に歌われている「男女の恋愛」「親が子供を想う・家族愛」それと「三宅町屏風出身の社会福祉の先駆者・忍性さんの慈愛」をかけています。
町内の太子道沿いの屏風(びょうぶ)という地名も、聖徳太子を風よけの屏風でもてなしたことに由来するということで、元祖「おもてなし」の町ということで、愛情たっぷりの町、というコンセプトを打ち出しています。
- 最後の問題。
「恋人の聖地」「愛の町・三宅」の元々の発想の万葉集を答えてみて下さい。
答え
長歌 巻13-3295 作者未詳
「 うちひさつ 三宅の原ゆ
直土(ひたつち)に 足踏(あしふ)み貫(ぬ)き
夏草を 腰になづみ
いかなるや 人の子ゆゑぞ
通(かよ)はすも我子(あご)
うべなうべな 母は知らじ うべなうべな 父は知らじ
蜷(みな)の腸(わた) か黒き髪に
真木綿(まゆふ)もち あざさ結ひ垂れ
大和の 黄楊(つげ)の小櫛(をぐし)を
押へ刺す うらぐはし子 それぞ我が妻 」
( 全訳文 )
( 日が当たる 三宅の原を通って
地べたに ぶすぶすと足を踏みこみ
ぼうぼう生える夏草を腰にからませて
まぁ一体どこの家の娘さんのもとに
通っているのかね 、お前さんよ。
ご尤も ご尤も 母さんはご存じありますまい
ご尤も ご尤も 父さんも ご存じありますまいね
あの子の緑の黒髪に
木綿(ゆふ)で「あざさ」を結わえて垂らし
大和の黄楊(つげ)で作った小櫛を
髪の押さえに挿している 輝くような美しい娘
それが私の妻なのですよ )
ぜんぜん関係ないですが、このハートマークCSSで書いてますよ~
さてさて、三宅町の恋人の聖地を語るとき、こんな前提と経緯を頭に入れておく必要があります。
志野町長は「情報の伝わる町」を推し進められてきた、ということですが、皆さんどれだけの情報を御存じだったでしょうか?
ここから、まず言えることは、
「恋人の聖地」とは、「愛の町・三宅」のコンセプトの「男女の恋愛」という部分をピックアップして進めた事業ということです…..
事業としてのどうなのか検証していきたいと思いますが、「コンセプト・考えは悪くないが、やり方・進め方が悪い」という、学童・児童館問題と同じ背景を感じます。
これも志野町政下の「聞く耳を持たない暴走」の影響をうけ負のイメージがぬぐえなくなることを危惧しています。
コンセプト:
予算:
成果:
関連
恋人の聖地・認知テスト。全然答えられません(笑)。
そもそもこれって必要?って言うのは、周囲でよく話題に上がってはいました。
県民グラウンドであの椅子をライトアップしているのを見たことがありますが、無駄遣いとしか感じない雰囲気が出ていますよね。
森田さんが町長になってくれて本当に良かったと思います。
匿名でのコメントで申し訳ないですが、これからの森田町長にとても期待しています!
コメントありがとうございます。
なぜ私が恋人の聖地について、こんなこと知ってるのかというと、三宅ボランティアガイドの会に入っていたからです。
議員さんでも、三宅ボランティアガイドの会と関係のない人は、こんなことは知らないと思います。
要するに一部の人にしか情報は伝わっていないということです。
理解が一般化していない中で、男女の恋愛という一部分をピックアップして事業を拡げても、知らない人からすれば、「なんだありゃ?」となるだけです。
他の恋人の聖地の場所は、もっと景色のいい場所や雰囲気のいい場所はいくらでもあります。
ですので、三宅の「恋人の聖地」をアピールするのであれば、由来の万葉集のなかの「親も心配している今も昔も変わらない『親心』」とか「家族を想う『家族愛』」の部分を、大プッシュすべきです。
だから「愛の町・三宅」なんですね。
「あの椅子に座って何を見るねん」という批判は、景色を売りにしている勘違いですが、出てきて当然の意見です。
だって情報が伝わっていないんですから。「恋人の聖地」といえば、景色のロマンチックな場所ばかりですし。
三宅町の恋人の聖地に来て、おしゃれなデートとか出来ないんですから、
あのベンチに座ってすることは、景色を見るのではなく、
恋人同志が座って自分たちの両親の話をするとか、
親子で座って自分の彼女・彼氏の話をするとかです。
そういうことをするためのベンチです。
その体験や経験を、三宅の恋人の聖地の売りにすべきだと思っています。
あざさの葉っぱの中でハート形の葉っぱを見つけるとか、「体験や経験をする」恋人の聖地という以外に考える方向はないと思っています。
こういう話も、一番最初に事業を始めるときに話したのですが黙殺されました。