議会局「軍師」論のススメ(91-100) 清水 克士

議会局「軍師」論のススメ 第91回 議長は「任命権者」ではなかったのか?
地方自治 2024.06.13

本記事は、月刊『ガバナンス』2023年10月号に掲載されたものです。記載されている内容は発刊当時の情報であり、現在の状況とは異なる可能性があります。あらかじめご了承ください。

 議会の政策形成過程における議会(事務)局(以下「局」)固有の課題として、議会の政策議論にどこまで参画することが許されるのかというものがある。それは、法的根拠がないにもかかわらず、局職員には過剰ともいえる政治的中立性を要求する主張があるためだが、議会、議員に対する「補佐の射程」は、最低限、執行部職員と同等に確保すべきだと本年2月号で指摘した。

 だが、もう一つ大きな課題がある。それは、議長の任命権の立法趣旨と実態の乖離である。

■議長の任命権の現実
 最近特にそう感じるのは、ある議長経験者による「議会は議会事務局職員の人事権すら有していません。議長になれば、少なくとも議会事務局の異動に際して、あらかじめ打診があるという話も聞いていましたが、私が議長のときには、そういったことはありませんでした」との論稿を読んだからだ(注1)。

注1 元所沢市議会議員木田弥「誰も教えてくれない新人議員心得帳・第5回どうする議会事務局①」(第一法規・議員NAVI2023年8月10日)

 全国の自治体議会の実態を、忠実に表現したに過ぎないことは百も承知である。だが、議長は任命権者として局職員の人事権を有することに法的議論の余地などないにもかかわらず、多くの議長が任命権者としての責務を自ら放棄しているというのが真実なのではないか。

 もっとも自治体の統括代表者である長には、執行機関多元主義のもとでも総合調整権が認められているため、局人事にもその権限が及ぶとの誤解が一部にはあるようだ。

 たしかに、長には地方自治法180条の4で「組織等に関する長の総合調整権」が認められているが、それは執行機関である委員会等の事務局に対するものであり、議事機関の補佐組織である局には及ばない。その観点からは、局の職員定数が執行部の職員定数条例で定められている例も多いが、これも二元的代表制や地方自治法の立法趣旨に沿ったものとは言い難いだろう。

■二元的代表制における人事権
 他方で、ある自治体で議長が特定の執行部職員を局に出向させるよう要望したところ、長から不当な人事介入だとの申入れ(注2)を受けて、政治倫理審査請求された例がある。詳細はウェブ上で参照していただきたいが、当該申入れには事実経過が長側の記録として記されている。

注2 「市議会議員による人事介入事案に関する調査および綱紀粛正の申入れ」(彦根市総大189号・2023年3月9日)

 それを読む限りでは、議長が特定の執行部職員の出向を要望すると同時に、執行部内の事情によって特定の局職員の執行部への出向を、長も議長に要望している。それにもかかわらず、議長の行為だけが不当とされるところに疑問を感じる。

 もちろん議長が執行部内の人事について意見したなら、それは不当な人事介入であろう。しかし、局の任命権者として、局への出向者を名指しで要望することが不当行為にあたるのだろうか。百歩譲ってそれが不当だとしても、同様の要望を長も議長に対して行っているにもかかわらず、議長の行為だけが不当だとの主張に法的妥当性はあるのだろうか。二元的代表制のもとでは、長といえども局職員人事に権限は及ばないはずだからだ。

■問われる任命権者としての覚悟
 近年、議会における局の重要性を語る議長は増えた。だが、有能な人材を確保するために、実際に行動した議長がどれだけいるのだろうか。

 もちろん、先に述べた業界の常識を変えるべき課題も残されているが、究極的には局の補佐能力は、任命権者たる議長の覚悟次第と言ったら過ぎたことだろうか。

第92回 『ペーパーレス化が議会改革なのか?』 は2024年7月18日(木)公開予定です。


議会局「軍師」論のススメ 
第92回 ペーパーレス化が議会改革なのか?
地方自治 2024.07.18

 先日、依頼された議会改革研修の受講者事前アンケートの集計結果を見て、若干の違和感を覚えた。今号では、違和感の原因である議会ICT(情報通信技術)化の課題認識と、議会改革の意義のズレについて考えてみたい。

■ICT化=タブレットなのか?
 議会ICT化の現状を問われて、その多くが議員にタブレットを配備したことや、導入の見通しについて述べていた。もちろん、タブレット導入も議員の保有情報量を増やし、より緻密な議会審議に資するため、決して否定されるものではない。

 だが、議会改革手法としての優先順位は決して高くはない。それは、単に議員にタブレットを配備しても、市民にとっては直接的なメリットに乏しいからだ。

 ICT化の範疇で市民利益の最大化を考えるなら、議決機関の本質的権能である採決を電子化することが最優先ではないだろうか。通常の起立採決では、議案に対する賛否の多寡を測るに過ぎず、議員個人の賛否態度は公式記録として残せないからだ。有権者にとっては次の投票行動を決める最も重要な情報であるにもかかわらず、議会が公式記録として残せないのは、有権者ファーストとは言い難いだろう。

 また、市民にわかりやすい一般質問を実現するとの観点からは、口述以外に写真やグラフ等を投影して質問できるよう、議場設備を整備するとともに、質問者による操作端末としてタブレットを活用するなどの筋書なら、市民もICT化のメリットを実感できるのではないか。

 議会改革は議員ではなく、市民のためのものとの原点を再確認し、市民が改革の成果を実感しうるものを優先することが必要だろう。

■ペーパーレスが目的でいいのか
 一方、タブレット導入にあたり、多くの議会がペーパーレス化を目標に掲げているが、果たしてそれは正鵠を射たものだろうか。もちろんペーパーレスも意義あることだろうが、議事機関の本質とは無縁であり、議会が最優先にすべき改革の目標とまでは思えないのである。

 タブレットを議員に配備し議会に導入する本質的意義は、議会審議の深化に資する情報量の豊富化と、情報アクセスの迅速化だろう。情報が電子化されることにより、結果としてペーパーレス化が進展するが、それは反射的利益に過ぎない。

 議事機関として重要な予算や決算審査を例にとれば、資料への書き込みのし易さから、審査対象年度の説明資料は紙のほうが使い易いと感じる議員の方が多いのではないか。一方で比較対照する過去資料は、電子データのほうが複数年度分を容易に携帯できるなど、紙資料よりもメリットが大きいだろう。

 あくまで議事機関の本質に適う情報提供手法を比較衡量すべきであり、ペーパーレスを前提に考えるのは本末転倒ではないだろうか。

■目指すべきは議会DX
 広義のICT化とは、情報通信技術を活用して情報共有する状態を指すが、DX(デジタルトランスフォーメーション)はデジタル技術を活用した事業の変革を指す。議会に求められるのは、タブレット等のIT機器や情報技術の導入自体を目的とすることではなく、それらをどのように活用して、より市民にわかりやすい議会活動の実現に資するかを見極めることであろう。議会改革で必要とされるのは、ICT化ではなくDXなのではないだろうか。

第93回 『なぜ法定外制度が議会では主役なのか?』 は2024年8月15日(木)公開予定です。


議会局「軍師」論のススメ 
第93回 なぜ法定外制度が議会では主役なのか?
地方自治 2024.08.15

 先日担当した全国市町村国際文化研修所での事務局職員研修で、議会改革における優先度の視点と方向性を主旨とした事前質問を受けた。今号では前述の観点から、議会改革を俯瞰してみたい。

■議会の特異性
 改革における優先度については、それぞれの議会が置かれた状況にもよるため、絶対的な視点は示し難いが、普遍的な判断基準の一つには法定制度の活用度がある。

 事実、自治体業務は多様であるが、まずは法定権限、制度に基づいて事務執行し、それでもニーズに対応できない場合に独自制度の創設、展開を試みることが一般的である。

 ところが議会では、地方自治法(以下「自治法」)に定める権限、制度を試みようともしない一方で、法に定めのない独自制度の運用には熱心な感がある。

■法が予定する議会活動とのズレ
 議会の行政監視機能においては、自治法98条で検査権や監査請求権、100条で調査権などが定められているが、活用例は極めて限られる。特に実地検査権がない議会にとっては、監査委員に実地検査を求められる監査請求権は、日常的に有用な制度だと思うが放置状態である。一方で自治法に定めがない一般質問が、議会の監視機能の中心であるかのような認識が定着している。

 同様に、憲法94条に定める条例制定権の行使は検討さえせず、事実行為としての決議や首長への提言をすることが、議会の政策立案だとする自治体議会も多い。だが、何の拘束力もない決議や要望と、強制力を伴う条例では、議会提案の政策の実現性は雲泥の差だろう。

 住民広聴機能においては、自治法115条の2に定める公聴会や参考人招致などが放置される一方で、議場外での非公式活動である議会報告会が、住民広聴の核心であるかのように語られてきた。だが、公式会議録に残る公聴と非公式の広聴では、機関にとってどちらを優先すべきかは明らかだろう。

■法定外制度偏重の危うさ
 法定制度が敬遠されるのは、手続きの煩雑さ等の理由もあろうが、そもそも検討したこともない議会のほうが多いのではないだろうか。

 地方分権の理念からは、本来、独自制度の追求は否定されるものではないが、立法趣旨に適うものであるべきだろう。執行機関の制度は法定外であっても、議会によって立法趣旨適合性が担保される。だが、議会には監視機関が存在しないこともあり、議会の法定外制度は、機関の本質から遠ざかる傾向にあるように思える。

 それは、法的根拠がなく「自分たちの都合で決めたこと」や「自分たちが過去にしたこと」に過ぎない「申し合わせ」や「先例」で、議会運営を事実上決めている状況に似ている(注1)。象徴的な例は議長の法定任期を、「申し合わせ」で事実上短縮している議会が多いことだ(注2)。監視機関がなければ、脱法行為と言われかねない運用でさえ、「普通」にしてしまうのである。

注1 清水克士「議会運営の『先例』は『麻薬』なのか?」(「ガバナンス」2016年7月号)、「『申し合わせ』は『公然の秘密』なのか?」(「ガバナンス」2016年8月号)
注2 清水克士「住民認知度向上に求められるものは何か?」(「ガバナンス」2023年7月号)

 だが、少なくとも立法時には必要と考えられたからこその法定制度である。それを顧みず法定外制度を偏重する議会が、機関として法令遵守していると言えるだろうか。

 まずは立法趣旨に適う議会活動について、「常識」に囚われず自分で考えることが大事である。そこから目指すべき議会改革の方向性が、見えてくるのではないだろうか。

第94回 『なぜ「会議規則」が法を超越するのか?』 は2024年9月12日(木)公開予定です。


議会局「軍師」論のススメ 
第94回 なぜ「会議規則」が法を超越するのか?
地方自治 2024.09.12

 昨年9月、大森彌・東京大学名誉教授が逝去された。言うまでもなく、先生は行政学、地方自治論の大家であり、大津市議会に招聘したご縁で、個人的にもご指導いただいた。

 今号では、特に先生の著書(注1)でも評価された大津市議会の「会議規則の条例化」について述べたい。ただ、紙幅の制限上、条例化の目的全般については別稿(注2)に譲り、本稿では規則による住民の権利義務規制の是非に論点を絞る。

注1 大森彌『自治体議員入門』(第一法規)147頁
注2 清水克士『「市民に開かれた議会」を目指して〜議会運営ルールの「見える化」という論点から〜』(議員NAVI Vol.48、 第一法規)

■議会例規改革の概要
 大津市議会では2014年2月に、「地方自治法(以下「法」)120条に規定する会議規則の内容を条例において定める」と目的規定に定めて「会議規則」を廃し、本会議に関することを中心に住民の権利義務に関する重要事項は「会議条例」、委員会に関する重要事項は「委員会条例」、それぞれの下位規定としての「会議規程」と「委員会規程」に再編した。法130条に規定する「傍聴規則」も、本会議の傍聴に関する「傍聴条例」と「委員会等傍聴条例」に再編し条例化した。

■会議規則の自治法上の課題
 法14条2項では「普通地方公共団体は、義務を課し、又は権利を制限するには、法令に特別の定めがある場合を除くほか、条例によらなければならない」と定めている。規則は外部からの制定・改廃を認めない法形式であるが、条例は首長以外にも住民に制定・改廃の直接請求権が認められており、住民の権利保全を制度的に担保している。

 ところが、大半の自治体議会では、標準会議規則に準拠し、憲法16条を根拠とする「請願」に関する要件事項について会議規則で規定するとともに、傍聴時のルールについても、住民に対して拘束力を及ぼす事項を含めて「傍聴規則」として定めている。だが法的には、最低限、住民の権利義務に関することは、会議規則や傍聴規則から分離し、条例化することが必要ではないか。

 規則を中心とする例規構成は、外部からの干渉を排除し、改正権限を議会に専属させる「議会の自律権」を根拠とする論もある。だが、法90・91条では議会の根幹的事項である議員定数さえ条例で定めることとされ、二元的代表制の下で独立・対等関係にある首長からの提案権も認められている。そのような現状に鑑みると、その他の事項をあえて規則に定め、「議会の自律権」によって外部からの干渉を排除する実利や必要性が、どれほどあるのか疑問を感じる。

 いずれにしても議会内部の利益と市民利益の競合による比較衡量では、市民利益を優先すべきであることは明らかであろう。

■地方分権改革と議会改革
 議会例規がこのような矛盾を内包するのは、議会が地方分権改革と主体的に関わってこなかったことにもよるだろう。地方分権改革によって議会の関与を排除する機関委任事務が廃止され、規則による権利義務規制も廃止されたにもかかわらず、議会では抜本的な見直しを行わなかったことが一因になっている。その意味からは、現在の議会改革の潮流は、遅れて始まった議会の地方分権改革ともいえるだろう。

 大森先生は、一貫して大津市議会の議会例規改革を好意的に評価された、数少ない有識者の一人であった。そのような個人的背景もあり、まだ、心の拠りどころを失った悲しみは癒えないが、先生のご冥福を心よりお祈り申し上げたい。

第95回 『議長選挙が「談合」 でいいのか?』 は2024年10月10日(木)公開予定です。


議会局「軍師」論のススメ 
第95回 議長選挙が「談合」でいいのか?
地方自治 2024.10.10

 先日、立候補制を採る自治体議会の副議長選挙で、立候補していない議員が当選し、選出過程の不透明さを指摘する報道があった(注1)。正副議長選挙(以下「議長選挙」)は、公職選挙法(以下「公選法」)が一部準用される選挙であるにもかかわらず、多くの議会で選出過程が不透明な実態がある。「市民に開かれた議会」を実現するためにも、議長選挙における立候補制の必要性について考えてみたい(注2)。

注1  京都新聞(2023年12月17日)
注2  公選法上の立候補制は公職の候補者以外への投票は認められないことから、議長選挙における立候補制の実質は、正確には「所信表明制度」とでも表現すべきものであるが、本稿ではあえて一般化された表現としている。

■議長選挙立候補制の法的考察
 議長選挙における公選法の一部準用を定める地方自治法(以下「自治法」)118条では、立候補制を定める公選法86条の4は準用対象外とされている。このことから議長選挙への立候補制の導入はできないとする学説もある。そのため独自に立候補制を模索する議会では、所信表明を公式の議会活動ではない非公式の行為に位置付けて実施するなどの対応を余儀なくされてきた。

 筆者は、公選法の準用除外条項のため、立候補者以外への投票を無効にするようなことはできないが、事実上の立候補制を導入すること自体は適法と従前から解しており、大津市議会でも2016年から立候補制を導入している。公選法は「その選挙が選挙人の自由に表明せる意思によつて公明且つ適正に行われることを確保」することを目的規定に掲げており、一部であっても同法を準用する議長選挙の過程は、議員を選んだ市民の視点からも不透明であってはならないはずである。

 議員選挙が、立候補し公約等を公表したうえでの選挙活動、投票と、そのプロセスを公開情報として市民は知ることができるのに対し、議長選挙では宣言後すぐに投票となり、特定議員に票が集中するのは、市民からは水面下での「談合」の結果にしか見えないからだ。

 2018年4月には、櫻井周・衆議院議員による議長選挙の立候補制の適法性に関する質問主意書に対して、『「立候補する意思のある者にその旨を議会において表明させること」が否定されるものではないと解される』との政府見解が示された。もとより政府見解が法解釈を確定するものではないが、議長選挙における立候補制導入の議論にあたって、やらないで済ませるための後ろ向きの理屈を却下するには一助となるだろう。

■何のための所信表明か?
 立候補制を導入するにあたっての重要な論点としては、所信表明を議会日程のどの時点で行うのか、公式日程か否かということがある。所信表明を選挙と同一日程で行う議会では、選挙の宣言後は議場を閉鎖し、発言が制限されることから、多くの場合、本会議を休憩して所信表明を行っている。それは標準会議規則の規定を前提としたものであり、規則を改正すれば何の問題もないはずだが、そもそも所信表明直後の選挙が妥当だろうか。

 正副議長に適任な候補者を選ぶとの観点からは、所信表明は選挙日よりも前に行い、所信表明を聞いて会派で議論するなど、投票行動を決定するための熟議の時間を確保することが、制度趣旨を活かすためには必要ではないだろうか。

 現実には公式会議録に残らない非公式日程で、外部には非公開、ネット中継も録画配信もせずに、所信表明を行う議会も多い。だが、誰のため、何のために行うのか?という改革の本質を考えれば、方向性は自ずと定まるのではないだろうか。

第96回 「議員選出監査委員制度」は廃止すべきではないか? は2024年11月14日(木)公開予定です。


議会局「軍師」論のススメ 
第96回 「議員選出監査委員制度」は廃止すべきではないか?
地方自治 2024.11.14

 昨年3月末、定年退職を控えた筆者に労いの言葉をかけるため、代表監査委員が議会局長室に来られた。その時の「議選監査(議員選出監査委員制度)の廃止に尽力してくれてありがとう。おかげで監査体制は大いに強化された」との感謝の言葉を筆者は忘れない。

 2017年の地方自治法改正で、議選監査は必置から、各議会の選択に委ねられることになった。そこで大津市議会では、議員間での機能論からの議論も踏まえて、改正法施行後速やかに廃止した。代表監査委員は、そのことによって、元行政職の代表監査委員のほかには、弁護士、公認会計士、社会保険労務士などの専門職が委員として任命され、監査体制が飛躍的に強化されたことに謝意を示されたのである。

■二元的代表制との矛盾
 議員から監査委員を選出する議選監査については、執行部在籍時から疑問を感じていた。それは、議選監査委員は議会の構成員でありながら執行部の特別職を兼ねることになり、必然的に憲法に根拠置く「二元代表制を基礎とする地方自治制度において若干の自己撞着の感は否めない」(注1)ことになるからである。

注1 総務省自治行政局行政課監査制度専門官・渡邉康之「地方公共団体の監査制度について(九)」(『地方自治』№904、56頁)

 戦後そのような制度設計がなされたのは、監査委員の「長に対する権威性の欠如について、その権威性を有する者として議会の権威を背景とする議員を監査委員の選任要件の一つとされたところである」(注2)との歴史的経緯が明らかになっている。

注2 総務省自治行政局行政課監査制度専門官・渡邉康之「地方公共団体の監査制度について(九)」(『地方自治』№904、55頁)

 だが、監査の実効性は、法的効果として担保すべきものであり、政治的効果に期待した法制度設計など、現在ではあり得ないだろう。事実、現職の衆議院法制局職員に、「今、この制度が提案されたら認めるか」と個人的見解を求めたところ、「今ならこのような制度は難しい」との見解が示された。

■議員活動をスポイルする制度
 さらに議員としての本質的な問題は、監査情報の守秘義務との関係で、議員本来の活動が事実上制限されることである。

 法定されているわけではないが、議選監査委員は、決算審議からは外され、一般質問も行わないことが申し合わされている議会も多いが、まさに本末転倒であろう。議選監査委員になるために議員になった人はいないはずであり、本務である議員活動の一部放棄を事実上強いる制度など、おかしくはないだろうか。

■自治体監査のデフォルト変換
 立法論的には議会内部の問題にとどまらず、自治体における監査制度のあり方の問題ではないだろうか。それは監査委員が、監査対象である長の総合調整権下にある一執行機関に位置付けられていることが、監査の実効性の制度的担保を困難にしているからだ。

 したがって、監査委員を長から独立させ、議会に識見監査委員を置くほうが、合理的ではないだろうか(注3)。議会には基本的に書面検査権しかない(注4)が、日常的に行使し得る実地検査権を得れば、チェック機能は格段に向上するだろう(注5)。

注3 西尾勝・東京大学名誉教授も第29次地方制度調査会第5回専門小委員会で同主旨の意見陳述をされている。
注4 100条調査における実地調査を除く。
注5 現行の地方自治法98条でも議会から監査委員への監査請求権が規定されているが、機関を超える権限のため、その実効性に疑義を示す識者もいる。

 ゆえに監査機能の議会への集約が、議選監査の制度的欠陥を抜本的に解消するとともに、行政に対する監査能力を向上させる最適解であろう。当面は議選監査の廃止にとどまろうとも、将来的には法改正を視野に入れた、監査体制の抜本的改革の議論が求められるのではないだろうか。

 いずれにしても課題解決には機関内部の視点ではなく、自治体の課題として俯瞰することが必要であろう。

第97回 「シン・議会(事務)局職員」に求められるものは何か? は2024年12月12日(木)公開予定です。


議会局「軍師」論のススメ 第97回 「シン・議会(事務)局職員」に求められるものは何か?
地方自治 2024.12.12

 この4月から新たに議会(事務)局に配属された人も多いと思われることから、今号では、あらためて議会で局職員に求められるシゴトについて考えてみたい。

■議会からの政策立案の必要性
 議会のシゴトというと行政監視が主務であり、政策立案などは首長の仕事だと考える関係者も多い。だが、政策立案を首長の専権事項とする法的根拠はなく、多くの自治体議会が行政監視しか行ってこなかった現実から刷り込まれてしまった思い込みではないだろうか。

 憲法に由来する二元的代表制は、等しく住民の代表である執行機関と議事機関の双方が、住民福祉の増進のために活動する機関競争主義であり、自らの政策立案なくして二元的代表制の一翼を担っているとは言い難い。社会通念上も、他人を批判するだけで自ら代案を示さない人に人望が集まらないのと同様、監視一辺倒では住民にとっての議会への信頼感は高まらないだろう。

 それにもかかわらず、監視機能に偏重する議会が多いのは何故か。それは、監視機能の発揮プロセスには、法定事項や標準モデルが示されているものも多いが、政策形成プロセスには法定されたものや、標準化されたものなどなく、それぞれの議会で独自に確立する必要性に迫られることが大きいだろう。

 もちろん予算決算の議案審議から立案される政策もあろうが、それが議会発の政策の全てとはなり得ない。なぜなら予算調製権は首長にしかなく、首長に執行意思がある政策しか審議対象にならないからだ。たとえば、執行部の縦割りの狭間にある行政課題などは、予算要求されること自体がなく、議案審議過程で政策提案に繋がることはあり得ないからである。

 したがって、議案審議とは別次元で、行政課題を住民広聴の中から発見し、対応策としての政策の立案を可能とする政策サイクルの確立が議会には求められる。そして、局職員にも、それを支えようとする意識と能力が求められるのである。

■ボトムアップにおける課題
 では、局職員は議会の政策立案にどのように関わるべきだろうか。

 局職員の政策サイクルでの協働には課題も多いが、ここでは紙幅の関係上、局職員による政策のボトムアップと政治的中立性の問題に絞りたい。論点の詳細については既出の論稿(注)をご覧いただきたいが、端的に言えば執行部では職員からのボトムアップによる政策も珍しくないが、議会では局職員からのボトムアップなど出過ぎた行為とされてしまうことが問題の本質である。それは執行部職員と同様の公務執行であるにもかかわらず、局職員にだけ法的根拠なく適用されるダブルスタンダードの問題である。

注 清水克士「議会局による『補佐の射程』はどこまでか?」(「ガバナンス」2023年2月号)、清水克士「議会(事務)局職員の『補佐の射程』」(自治日報2023年9月11日号)

■「シン・局職員」のあり方とは?
 この問題は議会を支える局職員にとっては根幹的課題であり、委員を委嘱されている政策サイクル推進地方議会フォーラム(日本生産性本部主宰)の議会(事務)局分科会でも問題提起している。

 議会(事務)局分科会の設置趣旨は、「議会からの政策サイクル」の確立に不可欠な「チーム議会」醸成に寄与していくことを目指すもので、これからの議会(事務)局のあり方の検討を重ねてきた。分科会での議論については、今後、提言書を調製のうえ公開セミナー等で発信される予定である。紙幅が尽きたので、詳細はそちらに委ねたい。

第98回 議会は如何にして民意を反映すべきか? は2025年1月16日(木)公開予定です。


議会局「軍師」論のススメ 第98回 議会は如何にして民意を反映すべきか?
地方自治 2025.01.16

 言うまでもなく議会は、選挙で選ばれた議員を構成員とする合議制機関である。代議制民主主義における公選職は、選挙で選ばれた民主的正統性をもって住民の代表となる。

 そのため、多様な属性の議員の意見そのものが民意であり、議会に住民広聴など必要ないとの意見もある。そこで今号では、選挙や広聴による民意の反映について考えたい。

■選挙と民意の反映度の相関性
 日本国憲法前文では、「その権力は国民の代表者がこれを行使」する代議制民主主義を定めている。自治体でも同様だが、首長と議会では、制度の違いによって選挙による民意の反映度が異なる。首長選挙での被選挙人は、権力主体である執行機関そのものであるが、議会に関する選挙では、権力主体は議事機関だが、被選挙人は個々には権限がない議会の構成員たる議員である。つまり議会では、選挙結果と民意がズレる可能性がより高いと言える。

 では、議会の民意の反映度を高めるには、「議員」選挙ではなく、たとえばA、B、Cの議員で構成される第一候補の議会と、D、E、Fの議員で構成される第二候補の議会を選択する「議会」選挙も考えられるが、なり手不足が問題となる現実の前では机上の空論だろう。

 また、議員選挙は単記非移譲式だが、これを有権者が議員定数分の投票ができる完全連記制とすれば、民意の全体縮図により近づけるように思える。だが、人間の情報処理能力は選択肢が7を超えると急激に落ちるという「マジカルナンバー7±2」理論(注1)を前提に考えると、定数10を超える議会では実効的な選挙制度とも言えない。

注1 ジョージ・ミラー教授(ハーバード大学)による、人間の短期記憶可能な情報量は5から9が限界だとする理論(1956年)。

 選挙制度改正の視点だけでは、議会を常に民意の全体縮図とすることは難しく、まして議員個人の意見を民意だと言い切るのは無理があるだろう。当選による民主的正統性は、住民からの白紙委任の根拠にはなり得ないのである。

■広聴結果のオーソライズ
 では、どのようにして民意を反映すべきだろうか。それは課題ごとに、公式の場で住民意見を聴取することに尽きるのではないだろうか。

 住民広聴を公式の議会活動の範疇で行うべき理由は、非公式の場では住民意見が公式会議録に残らず、議会の意思決定プロセスの妥当性を立証することが困難となるほか、聴取した意見を全体民意とみなす根拠に欠けるからだ。

 たとえば議会報告会などでは、盛会であっても全有権者数を母数とした参加者比率は、ほとんどの場合1%にも満たないだろう。それを全体民意とみなす根拠なく、政策方針の決定要件とするのは、危ういと感じる。

 もちろん法定公聴会であっても、参加者比率は同様であろうが、自治体の意思を確定することは公式の会議でしかできないことと同様に、住民広聴も公式プロセスで行うからこそ、その場での意見を全体民意とみなし、オーソライズすることができるのではないだろうか。

 また、国際調査の比較では日本の有権者は、主権者意識が先進国の中では低く、自分では政治に参加しないが、生活の質に対して政治は責任を持つべきという消費者意識のようなものが高いとされる(注2)。

注2 谷口尚子・慶應義塾大学大学院教授「地方議会活性化シンポジウム2023」(2023年11月13日、総務省主催)での基調講演。

 そのような傾向に対するアンチテーゼとしても、非公式のイベントではない公式の議会活動への住民参加こそが、期待されるのではないだろうか。

第99回 議会のステークホルダーは誰なのか? は2025年2月13日(木)公開予定です。


議会局「軍師」論のススメ 第99回 議会のステークホルダーは誰なのか?
地方自治 2025.02.13

 今号では、政務活動費(以下「政活費」、注1)についての新聞記事(注2)に関連して、議会の課題への議会(事務)局職員の関与のあり方について考えてみたい。

注1 地方自治法100条に基づくもので、国における「政策活動費」とは異なる。
注2 京都新聞「調査報道 政治とカネ・8議会 領収書ネット公開せず」(2024年4月16日)。

■局職員のひとごと意識の罪
 記事は、県内の議会における政活費に係る領収書のネット公開の有無を調査し、14議会中、県を含む8議会がネット非公開である事実を伝えた調査報道であった。

 興味深いのは非公開理由で、「公文書公開請求により公開しているから」、「現在の公開方法で不都合はないから」、「議会の規定にないから」、「公開すべきとの議論がなかったから」など様々であった。

 だが、既存の制度があろうと、新制度によって公開レベルが飛躍的に向上するのであれば、導入に向けて努力すべきではないか。来庁を前提とした制度とウェブ上で目的を達せられる制度では、公開レベルの差は明白であり、そもそも既存制度の不都合の存否は市民が決めることであろう。

 また、法規定にない制度であろうと、独自に規定すれば良いだけのことであり、先行事例が多い領収書のネット公開であれば、法制執務上の難易度も高くはない。

 さらに本稿で指摘する本質としては、政活費を使う立場からは面倒は避けたいとの心理は当然であり、むしろ議員よりも局職員から、ネット公開導入を提案すべきではないだろうか。それは局職員も議員と同じく、市民福祉増進のために仕事をする存在であり、市民視点からは傍観は許されないと思うからだ。

■局職員はステークホルダーたれ
 古い話で恐縮だが、富山市議会での政活費の不適切支出が報じられていた頃、大津市議会における局職員のスタンスについて、富山のチューリップテレビの番組公開収録(注3)で話す機会があった。

注3 チューリップテレビ「地方議会の改革を問うⅡ~政治とカネ 不正の深層~」(2017年8月5日、ボルファートとやま)。

 同席した鋪田(しきだ)博紀・富山市議会副議長(当時)からは、「大津市議会と富山市議会では、事務局の果たしている役割が根本的に違う」とのコメントがあり、富山市議会では局職員が議会に発意することなどない現状を認めていた。

 最後のコメントでは「政務活動費で大津視察」とエールを送ってくれた松原耕二・TBSテレビキャスターからも、「議員と局職員が切磋琢磨して何が変わったのか?」と質問を受けた。確かに任命職が公選職と対等に議論するということは、まだまだ「普通」ではないようである。

 だが、北川正恭・早稲田大学名誉教授は、議会改革を進めるには、議員と局職員とのフラットな関係性を前提に、政活費の適正化においても局職員の主体的な関与が必要との脈絡で、「局職員も議員と対等に議論できる議会のステークホルダーであるべき」との見解を示されていた。

■議会改革推進のための課題
 まさに局職員の主体的関与が、議会における政活費適正化の必要条件であり、ひとごと意識で臨むことは許されないということだろう。

 そして議会改革推進にあたっても、議会における局職員の主体性こそが大きな課題である。

 このことについては、筆者も委員として参画している政策サイクル推進地方議会フォーラム「議会(事務)局分科会」(日本生産性本部主宰)の提言書(注4)でも、「議会(事務)局職員の『補佐の射程』」として問題提起している。課題の詳細については、是非そちらでご覧いただきたい。

注4 全文は日本生産性本部地方議会改革プロジェクト
https://www.jpc-net.jp/consulting/mc/pi/local-government/parliament.html 参照。

第100回 「能動提案型事務局」に求められるものは何か? は2025年2月27日(木)公開予定です。


議会局「軍師」論のススメ 
第100回 「能動提案型事務局」に求められるものは何か?
地方自治 2025.02.27

 この連載も、今号で100回目となった。数字の切りが良いだけのことではあるが、ここまで続けられたのも読者をはじめ関係者の皆さんのおかげであり、「ありがとう」の言葉で感謝を伝えたい。

■求められる議会局職員像とは?
 5月下旬に、「『議会からの政策サイクル』に伴走する議会(事務)局職員像の確立を──議会(事務)局職員の『補佐の射程』」と題する、「政策サイクル推進地方議会フォーラム・議会(事務)局分科会」(日本生産性本部主宰)で策定した提言(注1)の報告を主旨としたパネルディスカッションで登壇した。

注1 全文は、(公財)日本生産性本部地方議会改革プロジェクト
https://www.jpc-net.jp/consulting/mc/pi/local-government/parliament.html 参照。

 提言内容は多岐にわたるが、ポイントはサブタイトルにもなっている局職員の「補佐の射程」である。それは、公選職を支える立場として、局職員による自律的提案がどこまで許されるのかという、各々の立場から勝手な解釈をされてきた命題でもある(注2)。

注2 詳細は、清水克士「議会(事務)局職員の『補佐の射程』」(自治日報2023年9月11日号)を参照。

 私自身の実体験として、執行機関では、産業政策課在籍時代に当時の副市長の応援もあって「企業立地促進条例」の制定をボトムアップで実現できたが、その後、議会事務局へ出向した際には、「議会基本条例」の制定をボトムアップで実現しようと局内で提案したところ、上司からは出過ぎた行為だ、と批判されたことを話した。

 執行部職員も議会局職員も、等しく地方公務員法の適用を受ける立場にあり、「補佐の射程」が両者で異なることを正当化する法的根拠はない。それにもかかわらず、執行部職員と比べて局職員は、公選職に対する政策提案は抑制的であるべきとの認識が、全国的に常識化している。事実、提言で指摘する「管理抑制型事務局」(反対する事務局)や「受動補佐型事務局」(指示を待つ事務局)が大半である。だが、政策立案可能な議会を実現するには「能動提案型事務局」(行動する事務局)が必然となり、執行部と同様のボトムアップが常識とならなければ、実質的意味での議会の補佐組織とはとても言えないだろう。

 もうひとつの重要な提言ポイントとして話したことは、局職員人事に関することである。それは議会の政策サイクルを支えるためには、有能な局職員の確保が必然となるからだ。ところが、全国の議長と接してきた経験からは、一般的に議会の代表者としての意識は強くとも、局職員の任命権者としての意識は、多くの場合希薄である(注3)。

注3 詳細は、清水克士「議長は『任命権者』ではなかったのか?」(ガバナンス2023年10月号)を参照。

 むしろ局職員人事には口を出さないことが、議長としての美徳との意識さえ垣間見える。だが、それでは法で定められた任命権者としての職責の放棄であろう。二元的代表制の建前を唱えてみても、任命権者として守る覚悟がなければ、局職員が議会側の立場で行動することなど望めない。そのため提言では、抜本的対策として、局職員の独自採用の必要性についても触れている。

■母の最期の教え
 私事であるが、今回のセミナーの直前に母が他界した。医師からはいつ寿命が尽きても不思議でないと宣告され、登壇日程と臨終が重なることも覚悟したが、まるで「人様に迷惑はかけさせない」と言うかのようなタイミングで母は逝った。

 母の最期の言葉は「ありがとう、ありがとう…」であった。死期を悟って、最期に人に感謝する大切さを教えたかったのではないだろうか。終生、「ありがとう」の気持ちを忘れないよう肝に銘じたい。

第101回 ひと昔前の議会事務局と何が変わったのか? は2025年3月13日(木)公開予定です。