議会局「軍師」論のススメ(21-30) 清水 克士

議会局「軍師」論のススメ
第21回 議会改革の「真理」はひとつなのか? 清水 克士
(月刊「ガバナンス」2017年12月号)

*写真は大津市議会局提供。

 10月末に札幌市でg-mix(議会事務局研究会メーリングリスト)と議会技術研究会等が主催したシンポジウムが開催された。神原勝・北海道大学名誉教授の基調講演では、住民福祉の向上という実質的成果を目指す議会改革の第2ステージの課題のひとつとして、「大都市自治体・広域自治体の議会改革」が進んでいないことを挙げられた。

■栗山モデルは万能なのか?
 北海道栗山町議会が初めての議会基本条例を制定し、それに倣って改革に成功する議会が現れ、栗山町議会の改革は偉大な標準モデルとして認知された。だが、神原教授の指摘どおり、大都市議会での改革成功例は少ない。それは、栗山モデルには議会基本条例のように普遍的な手法も含まれるが、必ずしも全てが大都市議会には適さないからではないか。大都市議会の成功モデルは、未だに確立されていないのである。

 栗山モデルは、議会外での地域別の議会報告会によって、議会への住民参加を実現したところに特徴がある。私は最終的には会期日程中の会議に住民参加を求めることが、議事機関の本質に適うものとは思うが、議会への住民参加を進めるための初めの一歩の試みとしては、大いに意義があるとも思っている。

 しかし、議会報告会を単なるイベントではなく、政策立案のツールとして機能させている議会はかなり限定的で、かつ、議員一人当たりの住民数が概ね5000人以下、住民の地元への帰属意識も高い自治体に偏在している。また、国のタウンミーティングの例から推察しても、住民との対話は、小規模かつ議員と住民との密度が高くなければ、実質的成果を挙げるのは困難だと思われる。

 大都市議会にとっては、まだ住民参加の形式要件すら整っておらず、これから独自モデルの構築が求められるのではないだろうか。

■初めに真理ありきではない
 執行機関では、その都市の地理的条件や規模などに応じて、独自施策を模索し、自己責任・自己決定の意識が浸透してきている。一方、議会では、未だに負の横並び意識や、先進事例・研究者の個人的見解に頼ろうとする傾向が強いと感じる。

 それは、議会が制度的に外部からの干渉を受けずに自己決定できる反面、自己責任追及を恐れるあまり、拠りどころを求める心理の裏返しだとは思うが、全ての議会に通用する絶対的な真理などあるわけではない。

 世界的に著名な米国の行政法学者であるワルター・ゲルホーン教授による来日時のセミナーでの逸話がある。教授は「法律学上の真理はひとつではない」とされ、参加者が法律の大家である田中二郎教授の説を拠りどころに自説を展開すると、「田中教授は神なのか?米国ではオーソリティという言葉は、強制通用力を有する、最高裁判決か行政決定に対してのみ使われ、教授の説には使わない」と苦言を呈されたそうである。法律学は「初めに真理ありき」ではなく、試行錯誤による思考の過程を経て結論に達する学問であると教示されたとのことである。

 議会改革の議論は法律学ではないが、思考の起点をどこに置くかという意味からは、共通する教訓である。先進議会がやっているから、有識者が唱えているからではなく、そもそも何のために行うのか、自分の置かれた状況での最適解なのか、といったところまで遡って考えなければ、本質的な課題解決には至らないのではないだろうか。

*文中、意見にわたる部分は私見である。
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第22回 先進を追求することの本質的意義は何か? 清水 克士
(月刊「ガバナンス」2018年1月号)

*写真は大津市議会局提供。

 大津市議会は、17年11月の第12回マニフェスト大賞(早稲田大学マニフェスト研究所等共催)において、「大津市議会意思決定条例とテレビ会議による先進事例調査」のテーマで、優秀成果賞と成果賞特別賞を受賞した。大津市議会局が事務局を務める滋賀県市議会議長会事務局としての受賞も含めると、これで5年連続の受賞となる。

 マニフェスト大賞は、地方自治体の議会・首長・市民などの優れた取り組みを表彰するものであり、これを受賞できることは意義あることと感じている。だが一方で、近年2500件を超えるエントリーがある中で受賞するには、全国レベルでの先進性が求められるがゆえに、新しいもの好きなどと揶揄されることも多い。果たして、先進的な取り組みを追求することが、批判されるべきことなのだろうか。

■先駆者の現在、過去、未来
 大津市議会は第9回マニフェスト大賞では「議会BCP(業務継続計画)」のテーマで、優秀復興支援・防災対策賞と審査委員会特別賞を受賞している。これは当時他に例がなく、新川達郎・同志社大学大学院教授の助言を受けて、一から作り上げたものであり、地方議会初との評価をいただいた。策定当時は、なぜ議事機関にそのようなものが必要なのかとも言われたが、受賞後には視察申し込みが殺到した。そして多くの議会が大津市議会BCPを参考に、それぞれの議会BCPを策定した。施策に著作権があるわけではなく、後発の方が前例を参考にして改良できるため、一般的に良いものができる。そのため、大津市議会BCPも防災訓練や実践の中で改良は続けているが、策定時ほどのアドバンテージは既にないだろう。

 先駆者は常に捨て石であり、大津市議会も未来永劫、先進的存在と言ってもらえる保障など、どこにもない。ただ確実に言えることは、世の中の流れは決して止まることはないのであるから、先駆者といえども過去の栄光に満足し歩みを止めれば、たちまち相対的な地位は低下するということである。新たな価値創造に関心を失い、さらなる向上を志さなくなった時点から、事実上の凋落は始まるのではないか。

■先進の追求に求められるもの
 だが、新たな価値創造には、大変なエネルギーが必要になると同時に、先に述べたとおり批判や嫉妬の対象となることも必定である。それは、誰かが現状に一石を投じることで、既得権益を失う人や結果的に実績を否定されることになる人、自己承認欲求が満たされなくなる人が、必ず発生するからである。逆に、誰からも批判や嫉妬の対象とならないものなど、そもそも先進性や絶対的価値に欠けたものでしかないと言えるかもしれない。

 その意味では、先進的な取り組みを実現するには、批判や嫉妬に立ち向かうことが前提条件であり、それを恐れては何もなし得ない。事実、向上心溢れる多くの地方議員と接して驚かされるのは、最初からそんなことは良くあることと割り切り、まったく意に介さないことだ。一般職の公務員には、そこまでの割り切りは難しいかもしれないが、議会(事務)局職員は、そんなタフな議員を日常的に補佐する立場に置かれている。もちろん、日常業務の知識、経験も大事ではあるが、何より求められるのは、常に先進であろうとする向上心と情熱、そして精神的タフネスではないだろうか。

*文中、意見にわたる部分は私見である。

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第23回 議会報告会が住民参加の「本丸」なのか? 清水 克士
(月刊「ガバナンス」2018年2月号)

*写真は大津市議会局提供。

 昨年11月、第12回マニフェスト大賞(早稲田大学マニフェスト研究所等共催)の優秀賞テーマについてのプレゼン研修会で、登壇の機会を得た。質疑応答では受賞テーマとの関連はなかったが、コメンテーターの中尾修・元北海道栗山町議会事務局長から、議会報告会(意見交換会)に対する私見を問われた。それは、私の論考が、議会報告会に対して否定的と感じてのことであった。

■議会への住民参加の正統性
 私は議会報告会の効用を全否定しているわけではない。住民から遠い存在としか認識されていない議会が、自らアウトリーチ的手法で議会への住民参加を実現しようとすること自体は、大いに意義あることだと思っている。疑問に感じるのは、多くの議会で、議会報告会が議会への住民参加の到達点であると認識されていることである。そして公聴会等の法定制度の活用を最初から考えず、独自制度にばかり傾注する違和感もあるが、議会の本質からもズレていると感じるからだ。

 議事機関の中核的活動は議案審議であり、その場で実現されることが本来の姿ではないのか。本質的な住民参加を実現するまでの経過措置が、目的化しているところに違和感を覚えるのである。

 議会は執行機関と比して、多数の市民の代表で構成されることもあり、より多くの住民意見の反映が期待される立場にある。住民意見の聴取自体が目的ではなく、それを議会が活かしてこその議会報告会だと思うが、その場で聞く住民ニーズの全体最適性や優先順位は必ずしも高くはない。もちろん、やらないよりやるほうが良いが、議会報告会を頻繁に開き、多数の参加者がある議会においても、全人口に対する参加者比率は1%にも満たない。もとより住民の最大公約数的意見を集約する場としては無理があり、議会の政策サイクルの起点とするには、普遍性に欠けるのではないだろうか。

 やはり、重要な行政課題であるからこそ議案として議会に諮られているのであり、議事機関への住民参加の到達点は、議案審議にこそあると考えている。そして、大津市議会でも法定公聴会の実用化へ向けて議会局内で検討を始めたが、実務的課題も多く、導入は必ずしも容易ではないのも事実である。

■法定外(模擬)公聴会の可能性
 あくまで法定公聴会が目標だが次善の策として注目しているのは、長崎県小値賀(おぢか)町議会の模擬公聴会である。これは、本会議休憩中に一般質問に関する意見を傍聴人に求めるというものである。これなら法定されている対象事項や公示手続き等の縛りがなく、自由度は大きい。難点は休憩中に行っているため公式会議録に発言が残らないことと、議案審議に対して行われていないことだ。

 だが、住民参加のあり方としては、会期日程内に議場で行う点から、会期日程外に議会外で行われる議会報告会よりも、はるかに議事機関の本質に適うものであり、発展可能性を感じている。

■中尾氏との約束
 中尾氏との議論は、研修会後の懇親会でも続いた。最後に中尾氏からは「議会報告会に対する考えは違っていても、議会への住民参加の必要性は感じているのだから、その前提を端折らずに伝えてほしい。そうでなければ何もしなくてもいいと勘違いする議会が、必ず現れるから」と言われた。もちろん、それについては同感である。

*文中、意見にわたる部分は私見である。
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第24回 夜間休日議会は「イベント」なのか? 清水 克士
(月刊「ガバナンス」2018年3月号)

*写真は大津市議会局提供。

 先日、総務省の「町村議会のあり方に関する研究会」が、3月に公表を予定している報告書についての報道があった。その概要は、議員のなり手不足に悩む小規模議会に、現行制度に加え、少数の専業議員で構成する「集中専門型議会」や、多数の兼業議員で構成する「多数参画型議会」も選択できる制度を新設するというものであった。だが、会社員も立候補し易い環境を整えるために、「多数参画型議会」の基本的な議会運営として想定されている夜間休日議会については、若干の疑問があり、今号ではそこに焦点を当てて私見を述べたい。

■傍聴者増嵩手法としての観点
 夜間休日議会がクローズアップされたのは、初めてではない。以前にも、本会議の傍聴者数を増やす手法として耳目を集めた。だが、職員人件費が増嵩する一方、傍聴者数は漸減して中止に転ずる議会も多かった。

 もちろん地方議会を取り巻く環境は様々であり、夜間休日議会の導入を全否定するものではないが、少なくとも大津市議会では、導入メリットはない、と考えている。それは、全議会日程を夜間休日だけで消化することは、時間的に不可能であるからだ。本会議の一部だけを夜間休日に行っても、それは本会議のイベント化にすぎない。一部開催では、議会における議論を市民に伝えるという目的は達成し得ないからだ。

 対案として大津市議会では、ICT化によって議会での議論を市民に伝えようと注力している。具体的に本会議の中継では議案採決における議員の賛否態度や、一般質問における補助資料なども画面上に反映させるために、電子採決システムの導入や補助資料の電子データ化を促進している。

 もちろん、議会の議論は、議場でリアルタイムに聞いてもらうのがベストだが、インターネットによる中継録画の視聴でも、必要十分な効果はあると思うからだ。

■なり手不足対策としての観点
 一方、議員のなり手不足対策としても疑問がある。形式的にはともかく、本会議、委員会へ出席するだけで、議員としての職責が全うできるものではない。現実には議案審議や一般質問の準備に、かなりの時間や調査研究が必要となるからだ。

 確かに海外ではボランティア議員による夜間休日議会の例もあるが、前提条件が大きく異なるようである。議会における審議密度の違いや、議員を支えるスタッフも議員数の数倍の人数が確保されていると聞いている。また、報道によれば長野県喬木村では、夜間休日議会の導入に当たって、審議の短時間化を図り、一般質問などは簡潔さを徹底するという。

 だが、前提条件を軽視したような夜間休日議会の導入によって、仮になり手不足が緩和されたとしても、議会の審議能力の低下を招いたのでは、本末転倒ではないだろうか。

■地方議会制度の多様化は必然
 もとより地域や規模によって様々な事情を抱える地方議会の制度が、全国一律であることに無理があると感じていたので、選択肢を増やすという制度的対応自体は、あるべき方向性だと思っている。

 しかし、過去には議会事務局の共同設置など、現実には適用例皆無のものもあり、今後の地方議会制度の改正が、現場の実情を十分に考慮したものであるとともに、地方議会の横並び主義をも打破する契機となることを願っている。

*文中、意見にわたる部分は私見である。
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第25回 議選監査委員制度は「レガシー」なのか? 清水 克士
(月刊「ガバナンス」2018年4月号)

*写真は大津市議会局提供。

 大津市議会では、議員から選任される監査委員(以下、「議選」)を必置から任意とする改正地方自治法(以下、「改正法」)が施行されることに伴い、改正法施行日までに議選枠の廃止を決定した。今号では、議選制度の是非について述べたい。

■大津市議会での経緯
 大津市議会では、改正法が成立した時点で、施行までに意思決定する必要性が、最初に共通認識された。

 そして議員全員の議選制度に関する知識、問題意識を共有するため、昨年8月に新川達郎・同志社大学大学院教授を招聘して、議員研修会を開催した。直後の議会運営委員会(以下、「議運」)では、議選制度の利点、欠点を整理し、論点を抽出した。次に、議選経験者及び議選以外の監査委員との意見交換を実施。その結果を受けて、各会派内で制度存廃の議論を重ね、議運での議員間討議を経て、廃止の意思決定が本年2月にされたものである。

■大津市議会における論点
 制度継続の利点として挙げられたのは、議会活動によって得た情報、見識が監査の現場に還元できること、逆に監査情報を議会審議に活かせる可能性があること、議選がいてこそ監査の権威が担保できるという、いわゆる「用心棒説」等である。

 欠点としては、財務会計の高度化や議選監査委員が短期で交代することに伴う専門性の問題、議員が執行機関の特別職も兼ね、議会自体も監査対象となる独立性の問題、守秘義務のため監査情報の議会への還元は事実上困難という問題などである。

 最終的には、議会の監視機能強化策を構築することを前提に、議選制度廃止の合意形成がなされた。

■議選制度に関する私見
 個人的見解としても、議選は廃止すべきと考えている。それは、議選制度の根源的な矛盾をあえて看過してまで得なければならない利益が、議会現場にはないと感じているからだ。

 法的にも、二元代表制の下で議決機関と執行機関の身分を併せ持つことを前提とした制度が新たな提案なら、法制局は果たして認めるだろうか。そう考えると、許容される制度設計上の限界を越えていると思うのである。確かに地方自治法制定時には、政治的効果に期待して、監査を機能発揮させるための〝用心棒〟も必要とされたかもしれないが、監査の機能発揮は本来、法的効果によって担保すべきものであろう。

 実務的には、守秘義務の厳守が求められる実質秘は、実際には多くはないと思われる。だが、形式秘か、実質秘かの判断を、予め具体的基準をもって委ねることは困難であり、議選個人の資質に大きく左右されるだろう。本質的部分を個人の資質に依拠する仕組みは、制度設計の完成度としては低いと言わざるを得ないのではないだろうか。

■存廃議論の必要性
 もちろん、制度存廃については両論あるだろうが、まずは議会内で議論し、意思決定することが重要である。確かに何もしなくても現行制度が維持されるため、実務上の支障はない。だが、単なる現状維持志向は思考停止を招き、議選をレガシー(遺物)とするのではないだろうか。

 大津市議会における今回の議論の発端は、少数会派からの提案であった。手前味噌ではあるが、全会派がそれを真摯に受け止めて議論し、議会の意思を市民に示せたことは、一人の議会局職員としても、とても誇らしく感じている。

*文中、意見にわたる部分は私見である。
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第26回 議会の広域連携は「開国」への呼び水なのか? 清水 克士
(月刊「ガバナンス」2018年5月号)

*写真は大津市議会局提供。

 大津市議会では、隣接する草津市議会との連携協定を締結した。執行機関の広域連携など今さら珍しくもないが、議会においては、まだ数例である。

■議会は孤高の存在でいいのか
 執行機関においては、従前から一部事務組合の設置などによる広域連携も一般的であったが、地方分権の進展に伴い、定住自立圏構想や連携中枢都市圏構想など新たな制度整備もされ、地域性や行政課題の性質に応じて適宜対応している。

 一方、地方議会における広域連携の動きは鈍い。確かに制度上、基礎自治体議会は国会や広域自治体議会ともほぼ無関係であるとともに、近隣議会と関係性を持たずとも自己完結できる存在である。

 だが、執行機関が広域連携で取り組む行政課題に対して、二元代表制の一翼を担うとされる議会が、孤高の存在でいいのだろうか?

■大津市議会における取り組み
 琵琶湖を挟んで隣接する大津市と草津市では、びわこ大津草津景観推進協議会(以下「景観推進協議会」)が設置されるなど、広域景観の保全に関して執行機関での連携の動きが加速した。

 大津市議会としても、草津市議会との連携関係を構築すべく、同志社大学とのパートナーシップ協定を活用して、2016年8月に新川達郎教授を招聘し、議会の広域連携に関する合同研修会を開催した。そこでの共通認識に基づいて、広域景観の保全を契機とした大津市議会・草津市議会連携推進会議が設置され、両市議会の連携体制が成立した。

 今年1月には湖上からの景観視察を船上で行い意見交換をするとともに、2月には景観推進協議会の運営上支障となる景観法の運用指針の改定を求めて、両市議会合同で国土交通省に要望活動を行い、3月末には改定を実現した。そして4月に、両市議会の協力関係を継続的なものとするため、琵琶湖上で連携協定を締結した。

 また、大津市議会では、並行して北部で隣接する高島市議会とも連携を深めている。具体的な活動としては、北陸新幹線延伸に伴い湖西線が並行在来線化される問題に対処するため、既に国土交通省やJR西日本に共同して積極的な要望活動を展開しているところである。

■議会の広域連携の意義
 このように議会間における隣接型水平連携は、共通する行政課題に議会独自のアプローチでの政策形成に寄与するとともに、内部では得られない情報交換によって監視機能強化にも資するものであることは間違いない。

 議会は定型的な議事運営でさえ、各議会独自の運用が定着しているガラパゴス状態にあるが、方程式が確立されていない議会改革や政策立案の手法においては、その傾向がより顕著である。執行機関における広域連携は、全てを自己完結しようとするフルセット主義へのアンチテーゼの側面からの意義もあり、議会の広域連携においてもそれは同様であろう。

 議会は狭義の議事運営に限れば自己完結できる存在であるが故に、根強い内向き志向の鎖国意識がある。水平連携のみならず、基礎自治体議会と広域自治体議会との垂直連携や遠隔型連携など、多様な議会の広域連携は、唯我独尊となりがちな鎖国意識を打破し、多様な議会文化を理解する「開国」への契機となる可能性を秘めているのではないだろうか。

*文中、意見にわたる部分は私見である。
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第27回 議会改革の「はじめの一歩」と「これから」とは何か? 清水 克士
(月刊「ガバナンス」2018年6月号)

*写真は大津市議会局提供。

 私は2年間にわたり、北川正恭・早稲田大学名誉教授を顧問に、江藤俊昭・山梨学院大学教授を座長とする「地方議会の政策サイクルと評価モデル研究会」(日本生産性本部主催)に参画した。研究会では、議会改革の方向性のほか、議会による政策サイクルの構築と展開、議会活動評価の標準モデル構築を目指して議論がされてきた。

 4月には、同研究会の成果報告の場として「地方議会議員フォーラム2018」が開催され、登壇の機会もいただいた。今号ではフォーラムで議論されたテーマについて、補足して思うところを述べたい。

■議会改革の「はじめの一歩」
 パネルディスカッションのテーマ1「政策サイクルの展開と議会評価のはじめの一歩」では、これから改革に臨む議会へのアドバイスが主題であった。

 最も重要なことは、議会内での合意形成文化の醸成である。なぜなら議会改革は、小異を捨てて大同につく、良い意味での「妥協」の精神が議会内に根付かなければ、進展が望めないからである。そのためには、大きく分けて二つのアプローチが考えられる。

 一つは「ピンチをチャンスに転化すること」である。その実現例としては、政務活動費の不正で批判された多くの議会では、事後対応の結果として、少なくとも当該分野での改革は劇的に進展していることが挙げられる。

 大津市においても、いじめ事件への個別対応で飽和状態となった執行機関に代わり、将来を見据えた再発防止策として「大津市いじめ防止条例」を議員提案で制定したことがある。それを契機に、大津市議会では政策条例制定を主軸に据えた政策サイクルが回り始めた。当該自治体や議会の弱みへの対応策の検討が、有効な改革の起点となることは間違いない。

 二つ目は「一点豪華主義での強みの発信」である。大津市議会では政策立案機能強化の一環として、当時珍しかった議会と大学の連携関係を確立した。

 以降、専門的知見の活用が、議会からの政策立案における方程式として、大津市議会では定着した。それがマニフェスト大賞受賞へとつながり、議会内部で議会改革を進めようとする機運も高まった。両者は一見正反対に思えるアプローチであるが、いずれも一点突破の全面展開戦術であるところで共通する。

■議会改革の「これから」
 テーマ2「先進議会のこれから」の主題である、これからの議会改革の方向性に関しては、全体最適性の追求が必要と考えている。

 具体的には、全体の縮図としての市民意見を得るための統計学的代表性を担保した公聴手法の確立や、一般質問等で顕在化する、議員個人の提案や指摘と財政規律との整合性などが課題として挙げられよう。それは少数の市民意見だけを前提に、財政的に実現困難な政策を私見として主張していても、住民自治の拡充などできないからだ。

 議会は市民幸福度を最大限に向上させる、全体最適の政策を機関として実現すべきであり、それができてこそ市民にとって議会の存在感も高まるはずである。

 これからの議会改革では、議決機関として多様な意見を収斂して合意形成を目指し、全体最適性を追求する理念と制度構築が求められるのではないだろうか。

*文中、意見にわたる部分は私見である。
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第28回 「妥協」することは敗北なのか? 清水 克士
(月刊「ガバナンス」2018年7月号)

 前号では、議会改革のはじめの一歩として、良い意味での「妥協」の精神をもって合意形成を目指すことが必要だと述べた。議員は評論家ではなく、全体の縮図としての市民意見を市政に反映させることが、重要な任務と考えるからだ。

 一方で、最初から自己主張を議会の意思にすることを目指さず、党派や議員個人としての主義主張が公式記録として会議録に残れば、それで良いとの主張を聞くことがある。だが、貴重な時間を費やす本会議等で、主張を会議録に残すことだけを目的とすることに、議会制民主主義における正統性はあるのだろうか。

■「妥協」の重要性
 大津市議会の議会基本条例策定時に、「議員相互間の議論を尽くして合意形成に努める」と条文に「合意形成」の文言を入れることについて議論になったことがある。しかし、ある会派だけが、「いくら議論を尽くしても、合意できないこともあり得る」と主張し、膠着状態となった。最終的には他の全会派が譲る形で「議員間の議論を尽くす」との表現で決着し、「合意形成」の文言は条文に入らなかった。

 後日、議員研修会に招聘した大森彌・東京大学名誉教授に、先の主張をした議員を前にして、この話をしたところ、教授は「君の会派は過半数を握っているのか」と尋ねられた。当該会派が少数会派であると知ると教授は「ではなぜ妥協しないのか?過半数を握っておれば最終的には多数決で自己主張を通せるが、少数意見を最後まで押し通そうとすれば、ゼロ回答の憂き目にあうだけではないか」と言われた。

 それでも議員は「妥協できないこともある」との主張を繰り返したが、教授は「一議員としては、自己主張を譲らなかったことに達成感があるのかもしれないが、それは単なる自己満足だ。君に投票した有権者も、本当にそれを望むだろうか。むしろ妥協をして、10の主張のうち二つでも三つでも通したほうがいいと思うのではないか。君は『妥協』という言葉の意味を誤解している。『妥協』を引き出せたこと自体が少数会派の勝利だ。なぜなら最後は多数決で自己主張を押し通せる多数会派には、妥協しなければならない理由などないからだ。よく考えた方がいい」と諭された。

■議会制民主主義と「妥協」
 議会制民主主義の3原理は、「代表の原理」「審議の原理」「監督の原理」とされる。「代表の原理」とは議会は主権者である住民全体の代表機関であり、特定団体、特定地域の代表ではないということ。「審議の原理」とは、公開の場で十分議論し、最終的には多数決で結論を出すことである。議論の過程で少数意見は尊重されなければならないが、合意形成を度外視した言いっぱなしの意見ばかりでは、合議制機関である議会は十分な権能を果たせなくなるだろう。そうなれば住民のための行政が公正に行われているかを監視する「監督の原理」も機能せず、議会制民主主義が根幹から揺らぐ事態となりかねない。

 政治は結果であり、そもそも政治自体が妥協の産物とも言われる。多様な意見に基づく議論は必要であるが、皆が一歩も譲らない自己主張に終始すれば、全体意見の縮図としての住民代表機関の意思は示し得ない。議会は合議制機関だからこそ、合意形成のための「妥協」を許容する文化の醸成が求められると思うのだが、いかがだろうか。

*文中、意見にわたる部分は私見である。
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第29回 議会は「野望と嫉妬のジュラシックパーク」か? 清水 克士
(月刊「ガバナンス」2018年8月号)

 議会のことを「野望と嫉妬のジュラシックパーク」と比喩するのを初めて聞いたのは、自治体学会で登壇したパネルディスカッションにおいてである。その意味は概ね、権力闘争に明け暮れる議会を、制御不能となった恐竜たちのテーマパークになぞらえたものであった。

 不謹慎だとお叱りを受けるかもしれないが、発言した議員に「言い得て妙だ」と、率直な感想を伝えたところ、以前から使われている自虐ネタだという。だが、それは議員の自虐ネタに留まらず、執行機関職員の議員に対する本音をも見事に表現していると感じることがあった。

■議員は恐竜なのか?
 5月末に大阪で「あなたにとって議会とは~議会の必要性と自治体職員の役割~」とのテーマで、「自治体職員有志の会」オフ会が開催された。そこでは、執行機関職員と議会局職員の両方の経験から、議会について話す機会をいただいた。

 私は議会関係者の研修で話す機会は多いものの、執行機関職員対象の機会は限られることもあり、あらためて気づいたこともあった。

 その一つは、執行機関職員にとっての関心事は、機関としての議会ではなく、一般質問などで無理難題を吹っかける議員個人にどう対処するか、に収斂されるということである。それは参加者アンケートにも「議員が来るとなると爆弾に接する感じ」との感想で端的に表現されていた。執行機関職員からは、残念ながら議会というよりも議員個人の存在が、非常にやっかいだと捉えられているのである。

 まさに執行機関職員は、暴れる恐竜たちに恐れおののき、右往左往する人類のようである。

■議員と職員のズレの構造
 執行機関職員も、市民の代表たる公選職の首長に仕える立場でありながら、同じ公選職である議員に対する印象が顕著に異なるのは何故だろうか。もちろん、議員に指揮命令されないことや、一方的に批判されることが多いといった、立場の相違に起因することもある。

 だが本質的には、議会を構成する公選職が複数であるがゆえに、議員個人の意思と、議事機関としての意思のズレが必然となることが大きいのではないだろうか。執行機関はそれを意識した慎重な対応を強いられる一方で、議員個人は各々が市民の代表であるとの強い自負から、自己主張が通らないこと自体を不合理と感じがちだからである。

 この両方の意識のズレが顕在化し、時として理論よりも感情論が優先されるところに、執行機関職員の議会対応の悩みがある。

■議員との協働という視点
 一方で、参加者アンケートでの「議員とも対話、共感、協働ができるように向かい合っていきたい」との力強いコメントには、共感させられた。

 それは住民と行政との協働が定着する中で、住民の代表である議員と執行機関職員の協働も不思議ではないと感じるからである。

 議員の仕事としては、行政の監視の面が強調されがちであるが、そればかりではない。自治体の政策立案過程において、議員との協働が求められるのは、決して議会局職員だけではない。議員と執行機関職員も、市民福祉の向上のために働くという目的意識は共通するのであるから、忌避するばかりでなく、協働の可能性も探るべきだと思うのであるが、いかがであろうか。

*文中、意見にわたる部分は私見である。
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第30回 「議会事務局のシゴト」とは何か? 清水 克士
(月刊「ガバナンス」2018年9月号)

 7月11~12日、早稲田大学で「全国地方議会サミット2018」が開催された。そのプログラム中「議会力強化のための、議会事務局の変革」と題したパネルディスカッションで登壇の機会を得た。今月号では、その時の議論をもとに、思うところを語りたい。

■議員のお世話が公務なのか
 パネルディスカッションは、小林宏子・東京都羽村市議会事務局長による、部下が議員へのお茶くみや昼食の段取り、政務活動費の口座管理など、公務とは言えない雑務で疲弊していく姿を見て、着任1年目にして改革に目覚めていく話から始まった。「議会事務局だけ20~30年、時が止まっていたのかと思った」との言葉どおり、議員のお世話が「議会事務局のシゴト」とされる、議会の時代錯誤ぶりを指摘していた。

 大津市でも、私が新規採用された頃は同様であった。昼休みの庁内食堂で、議会事務局職員が議長の昼食を運びに来るのを見た他の職員から、「議会事務局では出前までさせられるのか」と同情され、「それが仕事だと勘違いするなよ」と忠告された記憶がある。

 かつての大津市議会でも、公務とは言えない業務は、議員自身で完結するよう、議会事務局が議員と交渉し改善していったようだ。

■「議会局」の中心的事務とは
 地方自治法138条7項では、議会事務局職員の仕事を「議会に関する事務」と定めている。条文中の「事務」に関しては、2006年の改正地方自治法において「庶務」から「事務」に改められたものである。その意義に関して、大森彌・東京大学名誉教授は、論稿(議員NAVI2015・8・25、第一法規)で次のように述べている。「議会運営がうまく回るようにこまめに調整し、議員のご機嫌をとっていればいいというのでは、変更の意味はない」と。

 さらに大津市議会が2015年に「議会事務局」から「議会局」に組織再編したことを捉えて、それが士気高揚につながるのは「議会及び議員の政策立案能力を高めるための補佐機能こそが『議会局』の中心的事務(政策事務)になり、職員にとって『議会局』が働きがいのある職場になりうるからである」とも述べている。

■「議会局」への「はじめの一歩」
 今回はパネリストの人選も含めて一任されていたため、迷わず小林氏に登壇を依頼した。なぜなら羽村市議会議員研修の講師を依頼された際に、依頼理由や前述の改革経過を詳細に記した書面を受け取り、溢れる熱意と行動力を感じていたからだ。

 その経験談がこれから改革を始める多くの議会の参考になると思ったこともあるが、何より見習うべきは、議員からの抵抗を恐れない強い意志と仕事のスピード感である。議会事務局での在任経験がないにもかかわらず、着任して9か月で前述の改革をし、1年が経過するまでには、会議規則の見直しまで成し遂げられていたのである。

 最初から華々しい改革の成果を挙げられる議会などない。その過程では必ず「はじめの一歩」があったはずだ。まずは目の前の仕事を漫然と前例踏襲するのではなく、常に市民に対する説明責任を意識して、「議会事務局のシゴト」を俯瞰することが必要である。そして、シゴトの重点が、議会の政策立案の補佐に移行したときこそ、「議会事務局」は「議会局」へと進化するのではないだろうか。

*文中、意見にわたる部分は私見である。

Profile
大津市議会局長・早稲田大学マニフェスト研究所招聘研究員
清水 克士
しみず・かつし 1963年生まれ。同志社大学法学部卒業後、85年大津市役所入庁。企業局総務課総務係長、産業政策課副参事、議会総務課長、次長などを経て2020年4月から現職。著書に『議会事務局のシゴト』(ぎょうせい)。