議会局「軍師」論のススメ(51-60) 清水 克士

議会局「軍師」論のススメ
第51回 本会議は「三密」から逃れられないのか? 清水 克士
(月刊「ガバナンス」2020年6月号)

 新型コロナウイルスの感染拡大に伴い、オンライン会議で本会議や委員会(以下「本会議等」)を行えないかとの相談を、3月あたりから複数受けた。その理由は、多くの議会の議場や委員会室では、密閉・密集・密接の「三密」回避が困難だからである。

■オンライン化に関する私見
 結論から言えば私は、議員定数の半数以上の議員の出席を定足数とする、地方自治法(以下「法」)113条の規定により、本会議のオンライン化はできないと解している。

 論点となるのは、「出席」と「議場」の概念である。出席は特定の場所に現に集まることを意味し、参集を求められる場所は議場である。実体がない仮想上のオンライン会議に参加することをもって、議場に参集していると解するには無理があり、拡大解釈と考えるからだ。

 法115条に定める議事公開の原則の観点からも、オンライン会議では不特定多数の一般市民傍聴に、現行と同等レベルで対応することは難しいという課題もある。

 委員会についても、詳細規定は条例等に委ねられているものの、本会議の下部審査機関であり、一連の議案審議における一工程であることに鑑みると、開会要件は本会議と同様であり、オンライン化し得るのは任意の会議に限ると解していた。

■行政課長通知に関する私見
 だが、この件に関して、法を所管する総務省自治行政局行政課から4月30日付で通知が発出された。その主旨は、開会要件が法定されている本会議ではオンライン会議はできないが、各々の議会に規定が委ねられている委員会では、条例、会議規則の改正等を行えば可能との見解を示した技術的助言である。

 行政課が現行の標準会議規則等と矛盾する見解を示すことは異例で、正直言って驚いた。会議規則さえ廃して条例化した大津市議会では既に「標準」とは無縁であるが、現状はこれに準拠している地方議会が圧倒的に多いからだ。

 だが実務上は、委員会だけをオンライン化しても会期日程は完結できず、メリットは限られる。また、報道によれば、新型コロナウイルス対策限定の措置とのことであるが、災害時にも適用しない合理性はないように思える。

 もちろん、当該通知に法的拘束力があるわけではないが、非常時におけるオンライン会議の必要性を国も認識したという意味では、議会BCPの観点から望ましいものであろう。

■望むべき本会議のミライ
 大津市議会においては、採決以外では議員の本会議出席は定足数に限り、他議員は控室等で中継視聴することによって、三密を回避する対策を決定した。だが、それは対症療法に過ぎず、非常時でも議会運営を継続するための根治療法とはなり得ない。三密回避だけでなく、議会内でのクラスター発生時でも、議会機能を維持できる抜本的対策が必要である。

 そのためには公開原則に適う遠隔審議手法とともに、議場での電子採決と同様に議決可能な遠隔採決の手法確立も求められよう。

 杞憂と思われるかもしれないが、庁内でクラスターが発生し、本庁の全面閉鎖にまで追い込まれた本市の苦い経験からは、参集せずに議決まで完結できる非常用手段が必要と感じる。その前提として、まずは本会議のオンライン化を可能とする法改正を切に望むものである。

*文中、意見にわたる部分は私見である。

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第52回 報酬カットは当事者の勝手なのか? 清水 克士
(月刊「ガバナンス」2020年7月号)

 新型コロナウイルス感染拡大に伴う地域経済低迷を受けて、議員報酬等を独自に減額する議会が増えてきた。今号では当事者判断による報酬等の減額(以下「報酬カット」)について、任命職の視点から考えてみたい。

■報酬カットに報酬審は不要か
 特別職には一般職の人事院勧告に相当する制度がないので、報酬額が世間の給与水準と必ずしも連動しない。そのため多くの自治体では、諮問機関としての特別職報酬等審議会(以下「報酬審」)を設置し、答申に基づいて報酬を改定している。国が設置を求めた1964(昭和39)年当時の主眼は、議会による恣意的な報酬増額を防止する点にあったことは事実である。

 だが、1968(昭和43)年の自治省行政局長通知では、報酬審委員選任の公平性、客観的資料の例示、住民意見の反映、答申内容と異なる改定への戒めなど、報酬改定プロセスの透明性や客観性の確保と答申の尊重を明確に求めている。

 その趣旨からは、報酬カットの場合に諮問をしようとしない現状には疑問が生じる。現実には、定期答申直後にその内容を無視するかの如く報酬カットした例もあるが、その際も当該報酬審委員を務める有識者からは、「根拠なく当事者が報酬カットするならば、報酬審の存在意義などない」との苦言を呈されたことがある。

 報酬カットの場合も、その妥当性について報酬審の答申を経る必要性があるのではないだろうか。

■寄附禁止の趣旨は何か
 公職選挙法上は、199条の2によって公職の候補者等(以下「候補者」)の寄附行為は禁止されている。その趣旨は、寄附は候補者による地盤培養行為であり、買収に結びつきやすいからだとされている。

 したがって、議員報酬を受け取ってから自主返納すると違法となるため、報酬カットしようとする場合は、支給時に減額する特例条例の制定によることが一般的であり、形式上は違法とまでは言えない。

 だが、減額による効果は寄附と事実上同じで、現職議員にとっては次期選挙を視野に入れた有権者へのアピールとなり得るため、新人の立候補予定者にとっては不公平感があり、事実上の脱法行為と受け止められるのではないだろうか。

■未来の議会への懸念
 別の観点からは、議員自身に起因しなくとも報酬カットすることが常態化すると、いわゆる「議員のなり手不足問題」に波及することも予想される。

 たとえば、現職議員の専業比率が低ければ、議員や議会に対する報酬カットの影響は、今は限定的であろう。だが、長期的には議員のなり手を減らしかねないという面からは、将来の議事機関の存立に関して大きなダメージとなり得るだろう。

■課題を俯瞰する重要性
 市民の気持ちに寄り添う姿勢は、もちろん重要である。だが、立法趣旨を無視する正当理由にはなり得ず、また、現在だけでなく将来をも見据えた判断が必要だろう。

 法では4年とされる議長任期を事実上1、2年にする運用をしている議会が大多数であることと同様、全国的に行われていることであっても、必ずしも正しいとは限らない。

 局職員にも、任命職だからこそ公選職とは違った視点で、議会を取り巻く課題を俯瞰することが求められているのではないだろうか。

*文中、意見にわたる部分は私見である。

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第53回 なぜ議会BCPが必要なのか? 清水 克士
(月刊「ガバナンス」2020年8月号)

 新型コロナウイルス感染拡大に伴う非常事態を受けて、議会BCPへの関心が高まっている。

 今号と次号では、議会BCPについて考えてみたい。

■議会BCP策定の意義
 議会BCP(議会の業務継続計画)は、大津市議会が2014年に地方議会で初めて策定した。

 その必要性を最初に感じたのは、多くの自治体で新年度予算が専決処分された、東日本大震災の際である。憲法93条に設置根拠をおく地方議会は、平時だけのものとは規定されていない。憲法は議会が議事機関として常に機能発揮することを求めており、非常時であることをもって、安易に専決処分に委ねることは許されないだろう。

 だが、議会が合議制機関であるがゆえの弱みが、非常時には顕在化する。警察、消防などの非常時対応を主任務とする組織は、迅速な意思決定ができる強固な指揮命令系統を有しており、それこそが非常時対応する組織の要諦であろう。

 しかし、議長の指揮命令権は議事運営以外には法定されておらず、合議のうえでの意思決定は時間を要する。議会は最も非常時対応に向かない組織とも言えるだろう。

 ゆえに非常時でも議事機関として機能発揮するには、平時とは異なる体制、運営等を、独自に定めておくことが必要となるのである。

■議会BCPのポイント
 したがって、議会BCPの第1のポイントは、非常時の指揮命令系統を議会に確立しておくことである。

 大津市議会では、執行部の災害対策本部と同時に設置される「議会災害対策会議」で、議長に会派代表者に対する指揮命令権を付与するとともに、欠員時の指揮命令順位を明示している。

 第2のポイントは、議員からの情報や要望は議会災害対策会議で集約して、執行機関に伝えることである。定めがなければ議員個人として執行機関に直接伝えることになるが、非常時には執行機関職員を悩ませることになる。特に要望事項の全体優先度が高くない場合は、飽和状態にある執行機関にさらに負荷をかけるだけで、全体の災害対応の進捗を阻害するという合成の誤謬を生むからである。

 目指すべきは自治体としての全体最適であり、機関としての部分最適ではない。議員個人として満足できても、自治体全体としての最適行動でなければ、非常時における市民福祉の向上は期待できない。

 第3のポイントは、具体的な行動指針を定めておくことである。

 例えば地震時には、議会災害対策会議の委員は震度5強以上で即時本庁舎に参集することになるが、それ以外の議員は、初動3日までは地域の構成員として活動し、4日目から7日目までの中期には、必要に応じて全議員を招集する。中期における議会災害対策会議では議会再開に向けての準備を整え、1か月までには暫定的であっても議会活動を再開し、それ以降は平常レベルに復帰させることを目指している。

■想定外を想定する必要性
 しかし、今回のコロナ禍対応では大津市議会BCPは必ずしも十分には機能しなかった。BCPは、もとより発生頻度の高い豪雨災害や地震被害を主に想定したものであり、感染症対応に関しては具体的な議論がされてこなかったからである。

 コロナ禍中の対応については、次号で述べたい。

*文中、意見にわたる部分は私見である。
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第54回 目指すべき議会BCPのミライとは? 清水 克士
(月刊「ガバナンス」2020年9月号)

前号では、議会BCPの策定意義とポイントについて述べた。今号では、新型コロナウイルス感染拡大に伴う非常事態で直面した、課題と対応について考えてみたい。

■コロナ禍で見えた課題
 大津市議会BCPでは、地震や豪雨災害では防災計画上の災害対策本部が執行部に設置された時点で自動発動され、議会における災害対策会議を即時招集することとしている。一方、今回のような感染症対応では明確な発動基準がなく、本庁舎でのクラスター発生という想定外の事態に直面して、感染リスクが高い場所へあえて議員の参集を求めることは危険との判断から、当初は災害対策会議の招集は見送られた。だが、BCPの策定意義を考えると、感染症対応においても発動の是非を個別判断に委ねるのではなく、具体的発動要件を明示しておく必要性を痛感させられた。

 2点目は、議員や局職員の行動指針についても、地震や豪雨災害時とは異なるものが求められるということである。自然災害時のBCP発動後の動きとしては、災害対策会議の委員以外の議員には、地域での支援活動への従事を求めている。だが、感染症対応では感染リスクを高める可能性がある活動を求めることは適当ではない。また、委員についても、参集すること自体が、感染リスクを高めることになる。その対策として、オンライン会議を日常的に使いこなせるスキルと装備は必須であろう。

 3点目は、感染拡大の状況に応じた議会運営方法を想定しておくことが重要である。多くの議会でとられた、「密」を避けるための本会議の出席者数の制限や、傍聴者数の制限に伴う議事公開手法の検討(リアルでの傍聴を全く認めないことは、現行法上問題があると私は解している)、質問時間を短縮するなどの措置を、予め状況に応じて想定しておくことが、迅速な対応に資するであろう。特に庁舎や自治体関連施設を使えない状況に備えて、議場の代替施設を具体的に想定しておく必要性も実感させられた。

 4点目は、感染症対応は自然災害と比しても、さらに広域対応が求められるが、法制度は議事機関の広域連携などを想定していない。だからこそ、平時から任意に議会間の広域連携関係を築いておく必要性がある。当面は地方の議長会組織を活用することが一助となろう。

■議会BCPが目指すもの
 大津市議会BCPは、発生事案が多い自然災害対応から整備してきたものであり、現状でも全ての非常時対応が網羅されているものではなく、全体としての完成度は60%程度に過ぎない。それは、実践や訓練を通じて得た教訓を活かし、機動的に改定して充実させていくことを前提とした計画であるからだ。

 もとより議会BCP策定にあたってのポイントは、「想定外を想定する」ことである。だが、現実には容易ではなく、今後も想定外の事態に直面せざるを得ないだろう。次善の策は、安易な専決処分に流されないよう、常に議会機能の維持に資するためのバージョンアップを続けることである。

 そして、最も重要なことは部分最適に陥らず、全体最適を目指すことだ。それは、議会活動だけが最適化されても、自治体としての全体最適に資さなければ、議会BCPが市民から必要なものとして評価されることはないと考えるからである。

*文中、意見にわたる部分は私見である。

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第55回 オンライン本会議がギャンブルでいいのか? 清水 克士
(月刊「ガバナンス」2020年10月号)

 前号では、大津市議会BCPの感染症対応改訂版のポイントについて述べた。その中でオンライン会議の活用についても触れたが、今号では、議会のオンライン化について考えてみたい。

■オンライン会議の功罪
 コロナ禍によって、多くの会議や研修会等がオンライン化された。確かに全国から不特定多数が集まる場には、感染防止策としての効果は絶大で、特に議論の場がない講演形式のものでは、リアルの代替手段として確立された感さえある。

 しかし同時に、無条件にオンライン化を進めることが、先進と評されることへの違和感もある。

 なぜなら、活発な議論のためのツールとしては、オンラインの限界も感じるからだ。確かに議論は可能だが、決して必要十分なレベルにはなく、リアルとの差はまだ大きい。

 事実、民間の内部会議でもリアルでは議論百出だったものが、オンラインになった途端、単なる原案承認の場になってしまったとの話も聞く。地方議会のICT化ブームのように、手段と目的が倒錯しないよう、自戒することも必要だと感じる。

■議会のオンライン化への課題
 活発な議論が期待される地方議会においては、構成員である議員が当該自治体内の住民に限られることに鑑みると、参集時の感染リスクは低く、ソーシャルディスタンスが確保できるならリアル会議がベターであり、オンライン会議は、あくまで次善の策だろう。

 一方で、クラスター発生によって大津市役所本庁が全面閉鎖された苦い経験からは、緊急避難措置として議決まで完結できるオンライン本会議の導入の必要性も強く意識している。

 オンライン本会議を実現するにあたっての法的課題の一つは、地方自治法(以下「法」)113条の定足数と、法116条の表決に関する規定における「出席」の解釈である。一般的に「出席」とは特定の場所に現に集まることを意味し、物理的な実体がない仮想空間での会議に参加することをもって、「出席」とみなせるかということである。また、法115条の議事公開の原則を満たすことなども論点である。

 現行法でも可能とする解釈については、立法時にオンラインなど全く想定されておらず、物理的に実体がない異質なものまでも、学理解釈で包含させることは個人的には、否定的に解している。

■地方議会の現場における視点
 何よりも現場における判断で重要なことは、議決無効が司法の場で争われた場合に、有権解釈である「司法解釈」を如何に想定するかである。その観点からは、一般的に賛否両論の状況では、現場に余程のメリットがない限り、とても挑めないギャンブルではないだろうか。

 コロナ禍による「新しい生活様式」が定着しつつあり、議会においてもこれまでの常識とは異なる「新たな議会様式」が求められている。法治主義の観点からは、立法時と異なる大きな状況変化に対しては、本来、法改正で対応すべきものであろう。具体的には、緊急避難的措置として明確な位置付けや、議事公開原則との整合などについての法整備が必要と考える。

 地方分権や議会の自律権の大義のもと、解釈論での安易な対応を推奨することは、結果的に訴訟リスクを現場に負わせる無責任な論だと感じるのは、私だけだろうか。

*文中、意見にわたる部分は私見である。

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第56回 コロナ禍はイノベーションを議会にもたらすか? 清水 克士
(月刊「ガバナンス」2020年11月号)

 コロナ禍によって、日常の行動様式が劇的に変化し、新たな常識が定着してきた。議会も例外ではなく、平時ならあり得なかった議会運営が普通に行われている。今月号では、コロナ禍がもたらした「新しい議会様式」について考えてみたい。

■一般質問に全議員出席が必要か
 大津市議会では3密回避のため、4月以降の本会議(採決時を除く)は定足数を満たす半数出席としている。旧来の常識ではあり得なかったが、少なくとも議員個人として行う一般質問については、議長、質問議員、答弁者のみでも実施可能であり、定足数以上の議員を議場に留める制度上の必要性はない。

 確かに昔は議会中継や録画などなく、議場に参集して質疑応答を聞いておかなければ、議員間の情報共有ができなかっただろう。だが、現在では事後でも情報共有できる環境にあることに鑑みると、実質的にも参集の必要性は乏しいだろう。

 また、議員が首長に行政課題を質す機会は必要だろうが、「本会議」は一堂に会しての議論が展開される「会議」の場であるべきで、二者間の質疑応答の場としては、手法と目的が乖離していないだろうか。

■コロナ禍による非常識の実現
 2017年に札幌市で開催された「議会技術研究フォーラム2017」において、「議会の常識は真理なのか?」との演題で基調報告をした。その中で「一般質問を、本会議で行うと定足数の縛りを受けるが、一般質問協議会のような形式であれば、出席義務を課さないこともできる。質問議員以外は控室等で傍聴しながら議案審議に備えたほうが、合理的ではないか」との指摘をした(講演詳細は北海道自治研究№589参照)。

 当時、このような主張をしたのは、感染症対策のためではなかったが、法定外の議員の個人的活動である一般質問と、法定の委員会での議案審議との比較において、優先順位が逆転していると感じていたからだ。

 報告後、メインスピーカーの神原勝・北海道大学名誉教授からは、肯定的なコメントが寄せられたが、参加者の多くから共感が得られたとは思えなかった。やはり、参加者からは非常識な発想だと受け止められたからだろう。だが、コロナ禍という外圧を受けて、多くの議会が本会議を半数出席で行ったが、それによる市民にとっての不利益などない。

■議会にイノベーションを
 過去から絶対的な常識とされてきたことが、決して普遍的な真理とは限らないことが、図らずもコロナ禍によって証明された。

 真理の探究には常識を疑い、その破壊を厭わない哲学的姿勢が求められよう。もちろん全ての常識を疑い、そもそも論を展開することは現実には不可能であり、疑う常識とスルーする常識の峻別が大前提となる。見分けるためには常識を相対化し、普遍性に欠けると直感したものを疑うことが近道だと思っている。

 いずれにしても、旧来からのやり方を改めても、それで必要十分だったという事例は他にもあったはずだ。その意味でコロナ禍は、議事機関の本質に溯って議会を再考し、改革する契機に転化し得るだろう。

 議会は自己完結できる機関であるがゆえに、内部視点の思考に傾きがちであるが、イノベーションには外部からの、市民視点での俯瞰が必要である。その観点からも、コロナ禍という災いが転じて、イノベーションという福が、議会にもたらされるよう尽力したい。

*文中、意見にわたる部分は私見である。

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第57回 議員のなり手不足対策の方向性はどうあるべきか?

本記事は、月刊『ガバナンス』2020年12月号に掲載されたものです。記載されている内容は発刊当時の情報であり、現在の状況とは異なる可能性があります。あらかじめご了承ください。

 9月30日に総務省から「地方議会・議員のあり方に関する研究会報告書」が公表された。これは、只野雅人・一橋大学大学院法学研究科教授が座長となって、昨年6月から地方議会に関する様々な課題について議論されたものであり、特に議員のなり手不足対策については重点的に言及している。

 現場の意見を報告書に反映することも目的の一つとして、昨年11月には総務省主催で「地方議会活性化シンポジウム2019」が開催された。筆者もパネリストとして参加し、「多様ななり手をどう確保するか」とのテーマに関して、「多くの場合、サラリーマンが立候補するには、職を辞することが前提となるため、労働法制上の環境整備が不可欠」との意見を述べた。

 報告書では、議員のなり手不足問題に関して、請負禁止の緩和、立候補環境の整備などについては、第32次地方制度調査会でさらに検討して当面の対応が答申され、法改正へ向けた方向性が示された。一方、議会の位置付けや議員の職務の法制化など、議事機関としての本質的課題については、次期地方制度調査会における継続審議となった。

■議員の職務等の法制化の意義
 確かに議会の法的根拠は、憲法93条で「法律の定めるところにより、その議事機関として議会を設置する」とされ、それを受けて地方自治法(以下、「地自法」)89条でも「普通地方公共団体に議会を置く」と規定されるのみである。議会がどのような権能を有する機関として組織されたものなのかは、法の実務規定や会議規則を読み込まなければ理解不能で、市民視点からは不親切極まりないと言えよう。

 議員に関する規定に至っては、公選職であるということだけは憲法93条の規定から理解できるが、議員の果たすべき職責については、地自法を見ても明らかでない。

 地自法は、行政組織、職、財務等に関しては規律密度が極めて高く、地方の自治権担保のための法というよりも、国による自治体管理のための法の色彩が濃い。一方、議会に関しては前述のように規律密度が低く、各々の議会で基本理念等を共通認識する必要性があることも、議会基本条例の制定数が自治基本条例を上回る理由の一つだろう。

 そのような法的根拠の抜本的な見直しも重要な視点であり、報告書の文中にも「議員の職務等の明確化が住民の理解を深め、新たな人材の議会への参画を促進する」との意見があるが、なり手不足対策としての即効性までは期待できないだろう。

■抜本的解決の方向性
 なり手不足問題の抜本的解決のために最初に取り組むべきは、議会制度を自治体規模や地域特性によって多様化することではないだろうか。執行機関の権限は規模別に区分されているが、議会は議員定数127の東京都議会から議員定数5の沖縄県北大東村議会まで全国単一制度であり、諸外国との比較でも制度設計自体に雑な感がある。

 合議制機関としては市民意見の反映が肝要であるが、そのための最適手法は規模のほか、地理的条件、住民気質などの地域特性に大きな影響を受けるため、当該自治体に最適な地方議会制度が必要と感じる。

 同様に議員のなり手不足も、小規模議会に偏在する課題であり、地方議会制度のあるべき論に遡って議論を始めなければ、抜本的解決は望めないのではないだろうか。

*文中、意見にわたる部分は私見である。

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第58回 地方と中央の思いがすれ違うのは何故か?

本記事は、月刊『ガバナンス』2021年1月号に掲載されたものです。記載されている内容は発刊当時の情報であり、現在の状況とは異なる可能性があります。あらかじめご了承ください。

 前号で触れた地方議員のなり手不足対策を含む第32次地方制度調査会答申に基づく、地方自治法改正案の次期通常国会への提出が見送られるとの報道が11月中旬にあった。その理由は、行政のデジタル化推進関連法案の提出を優先するためだという。

 このことに端を発して、地方と中央の思いのすれ違いについて、感じたところを述べたい。

■北方領土問題におけるすれ違い
 デジャヴのような印象は、第38回北方領土視察団(北方領土返還要求運動滋賀県民会議主催)に参加し、根室市を訪問したときにもあった。

 周知のとおり、ロシアでは7月の憲法改正で「領土割譲の禁止」が明記されたこともあり、北方領土問題の早期解決は、より一層困難な状況となっている。

 一方、ソ連軍侵攻前には約1万7000人いた元島民も現在は約6000人となり、平均年齢も85歳を超えていることから、返還実現後に島に再移住することは現実的でなくなりつつある。そのような状況で、漁業を基幹産業とする現地では、領土問題は漁の安全操業や経済問題としての側面も大きい。

 それは現地で配布された冊子を比べても良くわかる。外務省発行の「われらの北方領土」では、政府の方針、これまでの交渉経緯が45ページにわたって詳細に記述される中で、漁船の拿捕、銃撃事件についての記載は1ページにも満たない。

 一方、根室市発行の「日本の領土・北方領土」では、本文215ページのうち27ページを拿捕事件の詳細や安全操業問題に割いていることからも、重視する論点の違いは明らかである。

 事実、現地では「択捉島や国後島が沖縄本島よりも大きく、広大な国土が奪われていることに驚く人が多いが、地元にとっては島周辺の更に広大な海を奪われているほうが切実な問題だ」との説明を受けた。

 また、街角で偶然出会った一人の一般市民の意見に過ぎないが「地元でも、本音では漁の安全操業がより早期に実現する2島先行返還を望む住民が大多数だろう」との率直な思いも耳にした。

 だが、政府の方針は一貫して4島一括返還である。領域、人民、主権という国家の三要素(注)の一つに関する問題だけに、国家としての原理原則が優先するということであろう。だが、領土交渉の方針が地元ニーズとは明らかに異なる現実を目の当たりにして、割り切れないものを感じたのも事実である。

注 ゲオルグ・イェリネックの唱える学説による。

■地方自治における優先順位
 立場の違いからの優先順位に相違が生じるのは当然である。しかし、日々の生活の中で課題に直面する現場に対して十分に説明が尽くされたかどうかで、結果に対する納得感が異なるのも必然である。

 冒頭の地制調答申に基づく地方自治法改正が先送りされた件についても、重なる印象を受けるのは、そのあたりである。確かに行政のデジタル化も重要課題であろうが、過疎地の地方議会にとっての議員のなり手不足は、議事機関の存亡に関わる根源的な課題であるとともに、次期選挙までに制度的対策を必要とする喫緊の課題でもあろう。

 地域の住民福祉向上を目的とする地方自治の現場においても、優先順位を見誤らないためには、課題を多面的に俯瞰し、現場ニーズを肌で感じる感性を備え、説明責任を果たすことが肝要ではないだろうか。

*文中、意見にわたる部分は私見である。

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第59回 「根回し」とは「対話」なのか?  地方自治 2021.12.09

本記事は、月刊『ガバナンス』2021年2月号に掲載されたものです。記載されている内容は発刊当時の情報であり、現在の状況とは異なる可能性があります。あらかじめご了承ください。

 昨年11月に、全国市町村国際文化研修所(JIAM)の市町村議会議員研修で、講義する機会があった。今号では、当該講義で印象に残ったことを中心に述べたい。

■改革を必要とする理由は何か
 研修の主題は「議会改革を考える」であり、私からは「議会を改革する意義は何か?」と題して話した。

 議会改革が全国的な潮流となったのは最近10年余りのことであるが、既に様々な視点からの改革の方法論が確立されている。したがって、当面は前例踏襲を打破することを目的に、変化自体を追求することも、改革の端緒としては否定されるものでない。

 だが、様々な論点がある中で、特定の改革手法の運用論から議論が始まり、あえて当該改革を優先する必要性や、自らの議会における親和性を検証せず、何となく導入しようとすることについては疑問を感じることから、あえて設定した研修テーマである。

 自らの議会に改革が必要な理由に遡って考えなければ、何を優先するかの議論は深まらない。

 個人的には、政務活動費や政治倫理などコンプライアンスに関わる課題が最優先であり、次に議会の機能発揮の理想と現実の乖離が大きいものから優先的に改革すべきだと考えている。

 そのような観点から大津市議会の議会改革を事例として、特に議会の政策立案機能強化の必要性と、そのプロセスにおける住民参加と情報公開の必要性について説明した。

■「根回し」は悪いことなのか?
 議会改革や議会の政策立案を成し遂げるために、合議制機関の意思決定過程で必須となるのは、合意形成である。

 研修における質疑では、「合意形成のためには根回しもするのか」との主旨で質問された。

「根回し」とは、「会議や交渉を円滑、有利に運ぶために、非公式の場で合意の形成をはかること」(注)とされる。ビジネスの上では既に慣用句であるが、一般的には言葉の響きから、公明正大なやり方ではないと感じる人も多いようだ。現に質問からは、否定的なニュアンスが感じられた。

(注)出典:ブリタニカ国際大百科事典・小項目辞典。

 だが、全ての場合において、否定されるべきものなのだろうか。

■議会内での「対話」の必要性
 確かに団体意思決定の経過、特に議案審議における議論の過程は市民へ公開されること自体が重要であり、非公式な場での合意形成は好ましいとはいえないだろう。

 例えば議案審査に際して、委員会前に非公開で事前審査的に議論をする議会もあるようだが、それが委員会で揉めないための根回しなら、もちろん論外である。

 だが、議会改革や議会の政策立案に関する議論など、機関意思決定過程における根回しは、一概に非難されるべきものではないだろう。

 議会自ら原案調製するものについては、事前に合意形成可能な方向性を見出しておかなければ、多くの場合、議論は迷走する。独任制機関の首長とは異なり、議会は議長と言えども議事運営上の指揮命令権しかない合議制機関だからだ。

 合意形成は、それぞれの立場、主張を推し量り、時として「根回し」と称される「対話」のなかで妥協点を模索することに他ならない。

 そして、議会内で「対話」を深めることが、会派を超えた議論や局職員との協働を可能とする「チーム議会」を実現するのではないだろうか。

*文中、意見にわたる部分は私見である。

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第60回「地方議会法制はこのままで良いのか?」

本記事は、月刊『ガバナンス』2021年3月号に掲載されたものです。記載されている内容は発刊当時の情報であり、現在の状況とは異なる可能性があります。あらかじめご了承ください。

 1月中旬、駒林良則・立命館大学法学部教授の退職記念講演を、オンライン上ではあったが聴講した。

 駒林教授とは、公的には大津市議会基本条例の制定にあたり、2014年1月に立命館大学と締結したパートナーシップ協定に基づき、専門的知見からの助言をお願いしたご縁である。

 私的には、駒林教授が主宰している「議会事務局研究会」で、大津市議会の「会議規則の条例化」についての報告を求められて、そのまま入会させられた(?)ご縁もある。

 今号では、退職記念講義を聴講して感じたところを記したい。

■退職記念講義の概要
 講義は、「地方議会─法的展開と今後」と題して、地方議会に法制の観点からアプローチしたものであった。議会運営の実務や議会改革の理論の視点からの講演は数多く聴いてきたが、地方議会法制に絞っての講義は新鮮であった。

 その概要は、特に議会運営の基本原則や議会の自律権については、国会のアナロジーとして地方議会を捉える傾向があり、標準会議規則に縛られ、法に書いていないことはできないという思考に囚われてきたがゆえに、画一的な組織・運営がなされてきた。だが、画一的な議会制度は限界にきており、国会の法原理とは明確に一線を画し、「地方議会法」の法領域を考えるべきと主張する。

 そのうえで、大津市議会も既に行った会議規則の条例化は、議会が自らの判断で自らに適した議会組織・運営を考えるようになった表れとして評価すべきとされた。なお、講義の主旨は、教授の新刊『地方自治組織法制の変容と地方議会』にも詳述されている。

 他にはオンライン議会についても言及し、コロナ禍のような例外状況で発動するオプションとしての制度化と、地方自治法(以下「地自法」)改正の必要性を示唆された。

■地方議会法制に関する私見
 私自身、当時の議会事務局に異動してきた時に、国会の議事運営を主張の根拠にしようとすることや、議会運営の主たるルールが規則形式で定められていることに違和感を覚えた記憶がある。

 国会の先例を根拠とする実務解説もあるが、国会は議院内閣制における立法機関、地方議会は二元的代表制における議事機関であって、設置根拠自体が異なり、法的に統制を受ける関係性にもない。

 また、憲法16条に根拠をおく重要な権利である請願に関する手続きが、住民の直接請求権が及ばない規則という法形式に定められているなど、議会法制に疑問を感じたことが、大津市議会の会議規則の条例化につながっている。

 非常時対応としてのオンライン議会についても同様の思いがあり、議会への住民参加の主旨に鑑みると、常用すべきものとは思えない。しかし、専決処分回避のためには必要な選択肢であり、実現には地自法改正が必須だと私も考えている。

 何よりも、コロナ禍のような外的要因のほか、議員のなり手不足問題など内的要因の課題にも対処するためには、地自法制定時とは状況の変化があり、一部改正では限界を感じる。地自法は実務法として特化し、その上位に議会や議員の位置付けを明記した理念法を別途整備する地方議会法制の抜本的な見直しが、時代の要請だと考えているのは、決して私だけではなかったことに、意を強くした次第である。

*文中、意見にわたる部分は私見である。

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第61回「「地方が国を変える」とはどういうことか?」