活動報告のボツ記事1(議会改革特別委員会最終会の前 2021年3月頃 )

多くの人に知ってもらってもらう(情報公開して透明性を高める)
でないと、信頼してもらえない!!

と思ってました。これが当たり前だと思っていたのですが、そうではないようです。
大人にならなくては・・・

私は、議会の仕事(おもに本会議や、委員会での審議)は、オープン(住民さんが見たい・知りたいと思った時にいつでも見れる・知れる)であるべきだと思っていました。(過去形)

議論の余地なく、あたりまえのことだと思っていました。(過去形)
だって住民の代表として(前回は無投票でしたが、通常は)選挙で選ばれ、(能力不足かもしれませんが)、みなさんの住む三宅町の行政に関わることの意思決定に参加しているからです。
そう議員は町のことを決められる権力者です(なので、センセイと呼ばれたりします。むず痒いですが)

 しかし、どうも「オープンであるべきだ」という考え方が、当たり前のことではない、ということが、議会改革特別委員会を行っていてわかってきました。(遅い??)

 というのも、三宅町議会の中では「議会の仕事はオープンに」という考え方が半数以上をしめることが出来ません。

現状として、インターネットを利用して、本会議の録画映像を公開する。委員会の音声を公開する。委員会をまとめた議事録を公開する。これらのことは、コスト(カネ、時間、能力)は必要だが安価で可能です。
しかし、そんなふうには、ならないのです。
何かしらオープンにする理由より、しない理由がたくさん出てきて進みません。

なので、議会の報告会にしても、議会広報(議会便り)にしても消極的です。

 反対の意見としては(反対なんて書いていますが、まっとうな意見と書くべきか? 僕らの方が少数派でした)
「すでにその気になれば、今でも傍聴に来て、議会・委員会の様子を知ることができるようになっている」
「本会議や委員会は傍聴できる。知りたい住人さんは傍聴に来るはず」(忙しい人もいると思いますが)
「オープンにしたって誰も見ないだろう。誰もそんなことを議員に望んでいない」

誰も見なくても、自分たちの町のことを知りたいと思った人が一人でもいる場合は、見られるようにしておくべきだと思っていましたが、そもそも、この考えが少数派のようです。
残念。多数に従うのが政治、政治家なのかもしれません。私には向いていないかもしれません。