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三宅町議会議員 森内哲也

三宅町をウォッチ!

Forbs JAPANより引用(公務員イノベーター列伝)

町や行政を変えた人物のやったこと、考え方を参考に、わが町でも何ができるのかを考えるためにデータをためておきます。


引用元:お悩みピッチ https://forbesjapan.com/feat/amex2021_onayamipitch/
後継者問題:https://forbesjapan.com/articles/detail/38043
言語化できない「感性」を伝えるための手法:https://forbesjapan.com/articles/detail/38042
個々の性質の違いによって意識もまったく違う!  社員全員が納得できる人事評価制度ってどうすればつくれるの?
:https://forbesjapan.com/articles/detail/44969

動画:https://youtu.be/Vty4917hHF8


引用元:https://forbesjapan.com/articles/detail/34711

「リターン」を考え市民を巻き込む、流山市の仕掛け人

公務員イノベーター列伝

千葉県流山市で広報官を務める河尻和佳子氏

「母になるなら、流山市。」

2010年からこのキャッチコピーを掲げたプロモーションを展開し、子育て世代からの注目を集めてきた千葉県流山市。少子高齢化が進み、自治体間の人口争奪戦が過熱しつつあるなかでも、着実な人口増を遂げている。

その立役者のひとりが、電力会社から流山市に転職し、任期付き職員として10年以上にわたり広報官を務める河尻和佳子だ。

「何が起こるかわからないベンチャー感」に惹かれ、2009年に流山市へ転居した河尻。当初は転職までするつもりはなかったが、たまたま見かけた「街を売り込む人材を民間から募集する」という新聞記事が心に引っかかった。

市の広報については、「流山の魅力が伝わっていないのでは」と日頃から疑問を感じていた河尻は、「これ、私がやったほうがいいんじゃないか」とダメ元で応募し、見事、採用が決まった。当時はまだ30代、夫婦共働きの子育て中で、市が定住促進を目指す、まさにど真ん中の世代だった。そんな自分をプロモーション担当に採用した「市の本気」を感じ、同市で働こうと決意したという。

「母になるなら、流山市。」に込めた思い

河尻の仕事の代表的なものが、前述の「母になるなら、流山市。」というコピーだ。首都圏向けの交通広告用のコピーとしてつくられ、2010年以降、現在まで使用されている。

河尻自身、子育てに100%の力を注ぐべきという母親像に縛られて子育てが楽しめない時期があった経験から、このコピーには特別な思いを込めた。

「よく『母になるなら……』が、『子育てするなら……』と読み換えられるんですが、それは違うと思っているんです。『子育てするなら……』にしなかったのにはこだわりがあって、母だからって子育てだけしなきゃいけないわけじゃない、子育てしながら自分の夢や実現させたいことをやってもらいたいというメッセージでもあります」と思いを語る。

もう一つ、河尻が中心となって仕掛たものに「シビックパワーバトル」がある。 これは、各地域の住民が自ら住むまちの魅力をプレゼンして競うイベントだ。バトルと銘打っていても、その目的はシビックプライド(都市に対する市民の誇り)の醸成。市民がオープンデータを活用し、埋もれていたまちの魅力を発掘していく。そして、その過程で各地域の住民と行政の連携が進み、まちのプロモーションにもつながっていく。

そうした試みに価値を見出し、国や企業も取り組みを支援した。2017年9月の第1回は、総務省の後援とヤフーの協賛を取り付け、ヤフー本社で行われたイベントには、流山市、横浜市、川崎市、さいたま市、千葉市の官民連携チームが参加。その後、他の地域にも広がり、2018年3月には千葉市内で、8月には関西で開催。今年も10月に「シビックパワーバトル全国大会2020」も予定している。

市民に主体的にイベント参加してもらうため、設計には工夫を凝らした。

「私1人で考えても独りよがりになってうまく進みません。市民の方々の中で周囲を巻き込めそうなリーダー候補を探し、さらに、その経験からジャンプアップしそうな人に声をかけました。私ももちろんリーダーと協力して『データを集められる』『プレゼン資料をつくることができる』『プレゼンがうまい』といった優秀な仲間たちを見つけるため、人づてに紹介を受けて会いに行きました。一面識もない市民の方にダイレクトメッセージを送ったりもしました」

自治体の実施する市民協働の取り組みは、「お金がないので、一部はボランティアで」と、平日、市民に役所へ来てもらうケースがいまだに多い。しかし、河尻は「それだと続かない」と指摘する。

「そもそも、まちのために無償で動いてくれというのは、わがままで傲慢な話。自治体職員は仕事としてやっているけど、市民の方々には他の仕事がある。大事なのは参加者へのリターンを意識することです。そうしないと『二度とやりたくない』『市にばかり都合のいい』と、関わってくれる貴重な市民を遠ざけてしまいます」

バトル参加をきっかけに起業した人も

ただ、シビックパワーバトルは、年度途中に開催が決定したため予算がなかったので、市民の自主性に頼らざるをえなかった。そこで、河尻は“別のリターン”を意識したと明かす。

「ある程度生活に満足している市民の方にはリターンを返しづらいので、自分がまちで動くために何か足りないとか、何かが欲しいと思っている人に声をかけるようにしています。シビックパワーバトルのリーダーも、働きながら地域活動をやっていた方です。リーダーは大変な役割ですが、地域でさらに活動しようと思ったら、行政や市民とパイプがあるほうがうまくいく。『行政や地域の人とつながりができる』というメリットを伝え、リーダーの打診をしました」

実際、この時、声がけしたリーダーは、イベント自体の実行委員長になり、後日、会社を辞めて流山市で起業することになったという。結果的に、河尻が提供した“リターン”が生きることとなった。

自治体職員のなかには、自らが提供できる価値やリターンに気づいていないケースも多い。河尻は、日々、市民と心を通わせ、相手が何を望んでいるのかを突き詰め、さらに自らが提供できるリターンを熟知しているからこそ、さまざまな事業を動かすことができているのだろう。

連載:公務員イノベーター列伝
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引用先:https://forbesjapan.com/articles/detail/28609/1/1/1

自腹を切って視界が開けた 「日本一おかしな公務員」の行動力

 

公務員イノベーター列伝

「元ナンパ師の市職員」長野県塩尻市役所の山田崇氏

「元ナンパ師の市職員」として、これまで度々メディアに取り上げられてきた長野県塩尻市役所の山田 崇氏。著書「日本一おかしな公務員」のタイトルの通り、ソフトモヒカンにパステルカラーのファッションも着こなす、文字通り「異色」の公務員だが、その行動力もまさに規格外だ。

民間企業と市職員が合宿をして、市の課題解決に向けて協力する「MICHIKARA(ミチカラ)」や、自腹で借りた空き家でイベントを開催し、シャッター商店街の再活性化を目指す「nanoda」など、官民問わずに巻き込んでいく行動力で、ユニークな地域活性化策を次々に実現。「スーパー公務員」として注目を集めている。

市の予算に反映されるプレゼン2015年4月に新設された、地方創生推進課シティプロモーション係(当時は企画課シティプロモーション係)で係長を務める山田。そこで、立ち上げたのが「MICHIKARA」だ。

民間企業の社員や市の職員が2泊3日の合宿で、市の抱える課題についての解決策を検討。最終日に塩尻市長に直接プレゼンする。ただの形式的なプレゼンではなく、内容が良ければ、実際に来年度予算案に反映されるという仕組みのものだ。2016年にスタートし、今年5回目の開催と、すっかり定着しつつある。

初回はリクルートやソフトバンクの社員を塩尻市に招き、市からはシティプロモーション係や企画課経営企画係が参加。3日間の合宿では、参加者たちが自らを追い込み、市長へのプレゼンの後に涙が溢れてしまった人もいるほど白熱したものとなった。

「職員の育成やモチベーションのアップに、目に見えてつながりました」と山田は成果を語る。

また、リクルートマーケティングパートナーズやソフトバンクと協働で「MICHIKARA」の学生インターシップ版も始めた。塩尻市という挑戦できる地域があることを学生に知ってもらい、優秀な人材を呼び込むためのブランディングにつなげる狙いだ。

民間と協働を成功させるためのカギは何なのか。山田が最も心を砕いているのは「わかりやすい仕様書作り」だ。山田が説明する。

「まず、『向き合うべきテーマ』『テーマの背景』『我々のビジョン』『過去にトライした事の進捗やその結果』などを踏まえながら、解決していただきたい課題を明確に伝えるように心がけています。我々がまず考え抜いて、考え抜いて仮説をつくる。そのうえで、『これは全国的な課題だが、まだどこも解決の糸口がない』と炙り出し、『いち早く塩尻市と一緒にやりませんか?』と伝えています」

30分間怒鳴られ気づいたこと今でこそ市民や企業、アーティストなどとのさまざまな民間協働を実現し、「スーパー公務員」と呼ばれる山田だが、かつては「危なっかしい、評価の低い職員だった」と自身を振り返る。

そんな山田のターニングポイントになったのが、2009年に市民交流センター「えんぱーく」の開設準備室のメンバーになった時のことだ。当時、「えんぱーく」を広く知ってもらうために、地域でマルシェを開いていたが、山田は様々な市民団体に参加を呼びかけた。

ところが、ある日、市民活動団体のリーダーが40人ほど集まった会議で、山田は30分以上立たされたまま、ある参加者からこっぴどく怒られ続けた。

理由は、マルシェで販売する商品の値付けが統制されておらず、会議参加者とは別の団体が、同じ商品を安く売ってたことに納得がいかなかったからだという。もちろん、販売価格を市役所が統制することはおかしい。山田に過失があるとは言えないだろう。しかし、山田はこの経験の本質に向き合い、思いを巡らせることで、一つの結論に辿りつく。

「自分が市民活動団体を立ち上げた経験どころか、市民活動すらしたことがなかったことが、怒られた原因だと結論づけました。その会議の出席者の中で、唯一、税金で給料をもらいながらやっていたのは、私だけだったんです。自分は給料をもらい、相手はボランティアで、こちらが『協働をしましょう』って言っても、それはダメだろうと」



「地域って行政の事業だけじゃダメなんだ」そう強く感じ、自身も業務の時間外で、困っている人の力になるための取り組みを始めた。その中から、前述のシャッター商店街の利活用を進める「nanoda」など、様々な企画が生まれた。そして、それを継続する中で、気持ちにも変化が生まれた。

「いざ、自分で市民活動をすると、時間外で、自分のお金使っているからこそ感じる課題があって、それを仕事の中でどう施策として活かしていくかという視点に変わりました」

山田は、これからの公務員に求められているのは、「挑戦する人と一緒に『伴走できる職員』」だと考えている。

「私は民間、行政、町の垣根を越えるトライセクターリーダーが地域には必要で、その1人になりたいと思っているんです。『軸足は行政だけど、民間との仕事もする。そういう私たちと一緒に何かやりましょう!』という職員をどんどん増やしていきたいです」

山田の実績を考えると、民間企業からも声がかかるのは必然だ。しかし、転職は考えていないという。その理由を、山田らしい屈託のない笑顔でこう締めくくった。

「一流の民間人と関わっていると、そっちの土俵で一緒に争いたくないと思いますよね(笑)。私は公務員だから、自身の力を発揮できるのです」

連載:公務員イノベーター列伝
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引用先:https://forbesjapan.com/articles/detail/27143

公共施設の老朽化を予測 町の財産を「見える化」した財政課職員

公務員イノベーター列伝

愛媛県砥部町の田中弘樹

少子化や人口減少が続くなか、地方自治体の財政状況の見通しは、けっして明るいとは言えない状況が続いている。限られた資産の効率的運用を進めるためには、公会計を整備し、資産を可視化させることで、行政や議会はもちろん、地域住民や民間企業とも、管理や活用法などを議論しやすい土台を整えておくことが重要となる。

愛媛県砥部町では、公会計、とりわけ資産台帳の整備に他自治体より先んじて取り組んできた。この礎を築いたのが、同町の田中弘樹だ。総務省のワーキンググループの委員や、大学のシンポジウムでパネリストも務める、公会計のスペシャリストだ。

砥部町が「公会計先進自治体」になった理由2006年に財政課に異動し、公会計の担当となった田中。当時の自治体の会計モデルは「総務省方式」が主流で、このモデルを用いて、「決算統計」という統計資料集から財務諸表を作成していた。しかし、07年になると、新たに登場した「改訂モデル」や「基準モデル」を採用する自治体が増加。砥部町は「改訂モデル」を採用した。

2つのモデルについて説明したい。「改訂モデル」とは、既に役所が単式簿記でつくっていた「決算統計」を組み替えればつくれるため、導入に掛かる費用が少なくてすむ。これに対し、「基準モデル」は、複式簿記化や固定資産台帳のデータ整備が必要で、システム改修などにコストが掛かる。

ただ、「改訂モデル」は単式簿記のため、資産の把握が難しいという側面もあった。実際、「改訂モデル」を選んだ多くの自治体で、資産の状況把握が遅れる事態となっていた。

砥部町の場合は、06年に田中が財政課に異動して以降、マイクロソフトのデータベースソフト「アクセス」を使って、資産台帳の整備を始めていた。当時、まだ公共施設の老朽化はほとんど話題にも上がっていなかった時期だ。

なぜ田中は、早い段階から資産台帳の整備に着手したのか。それは、老朽化の問題以前に、今後、施設や事業のマネジメントや優先順位を考えるうえでの資料とするため、施設や事業単位で切り分けた情報をつくっておく必要性があると考えたからだ。田中は当時を次のように振り返る。

「資産台帳を整備した後は、最初のうちは複式簿記の基準モデルへの移行も考えた時期がありました。しかし、それよりも改訂モデルのままでよいから、資産台帳を整備し、アセットマネジメントをもっと推進していかなければならないと感じました。基準モデル移行はとりあえず措いておいて、資産管理アセットマネジメントを一気に推し進めていく方向へと舵を切ることにしました」
資産台帳の整備を進めていくうちに、「アセットマネジメントが今後の自治体運営の生命線になる」と感じ始めた田中。そこで、現状をわかりやすく理解してもらうため、中長期財政計画とは異なる、3つのシナリオを用意した。

1つ目のシナリオは、今後、新しい事業を何も始めなかったらどうなるか、というシナリオ。2つ目は、「上限シナリオ」という、公共施設を耐用年数が来た時点で更新していくと仮定したシナリオだ。最後は、2つ目の上限シナリオでは財政が成り立たないため、公共施設の更新優先順位が低いものをどんどん諦めていき、なんとか予算が組める採算ラインをイメージした「順当シナリオ」だった。

1つ目や2つ目のシナリオは、現実的にはあり得ないものだが、田中はあえてこの3つのシナリオを示すことで、町の将来をくっきりと浮かび上がらせた。

「このままの税収では全ての公共施設を維持することはできないということを、数字で、はっきりと示すことができ、さらに上限シナリオと順当シナリオとの乖離幅が、行財政改革の幅であるということを示すことができました。これで、職員にはもちろん、首長、議会議員、住民にも伝えることができたのです。また、順当シナリオによる推計から、将来のバランスシートもつくりました。本当に必要な公共施設は必ず維持したい、そうすると、その足りないお金を捻出しなければいけない状況を、誰の目にも見えるようにしたのです。担当職員の頭の中にあるだけではいけないということです」

いくつもの「山」を超えられる対応を40年スパンで見てみると、砥部町には、施設更新等でコストの負担が大きくなる2つの山の時期があった。15年ほど先にある1つ目の山を乗り切れば大丈夫かといえば、そうではなかった。その先20~40年後にやってくる2つ目の山を乗り切る体力を残しながら、今後15年間を過ごさねばならなかった。田中は数字やグラフを使い、そのことをわかりやすく伝えていった。

公共施設の老朽化が社会的な問題となり、自治体による資産管理の重要性が叫ばれるようになった昨今、この事態をいち早く想定し、対応を重ねていった田中の先を読む力。行政に関わる人だけでなく、多くのビジネスパーソンにとっても、学ぶべき姿勢だと言えるのではないだろうか。

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引用先:https://forbesjapan.com/articles/detail/27872

区長へ直談判でサイト立ち上げ 「縦割り」を乗り越えた横浜市職員

公務員イノベーター列伝

「育なび」を立ち上げた横浜市職員 石塚清香

横浜市は2013年、ITを活用し、住民が必要な子育て情報に簡単にアクセスできるサイト「かなざわ育なび.net」(以下「育なび」)を立ち上げた。民間と比べ、行政のICTの活用は立ち遅れていると言われる中、「育なび」は行政としては先進的な取り組みとして全国的にも注目を集めた。

その立役者が、横浜市役所のIT・ICT担当を広く担ってきた石塚清香だ。石塚はインターネットの黎明期からその可能性に気づき、民間のエンジニアとも積極的に勉強会を開いてきた。その先見性と熱量の原点はどこにあるのか。

きっかけは東日本大震災石塚は1991年に横浜市役所に就職したが、最初から子育てポータルサイトをやりたいと思っていたわけではない。IT関連の部署にいたことで、オープンガバメントの第一歩として「オープンデータ」を進めようと考えていた。ただ、仕組みやデータのつくり方など知識があるぶん、実現は難しいのではと予想していた。

その考えを大きく変えたのが、2011年3月の東日本大震災だ。ネット上で、オープンガバメントの実例ともいえる活動が次々と展開される光景を目の当たりにし、衝撃を受けた。避難所の情報を集めてウェブ上で公開し、それがツイッターでリレーのように拡散されたり、東京電力に計画停電の情報をもらい、それを民間エンジニアがアプリ化して可視化したり……。

こうした活動を目のあたりにする中で、石塚の脳内に「オープンガバメント」のイメージが鮮明に描かれていった。行政は市民に役に立つデータをたくさん持っている。率先して、もっとデータを出すべきではないか──。強くそう感じたという。

2011年7月に横浜市の職員提案制度に応募。しかし、当時はまだオープンデータという概念そのものがほとんど知られていなかった時期だ。まずはデータを活用してなにができるかを示そうとする中で「育なび」の構想がまとまっていった。

11月、市長への最終プレゼンで好感触は得たものの、結果は保留に。課題を再検討のうえ、翌年、再度プレゼンすることになった。しかし、そんな矢先の2012年4月、石塚は情報システム課から金沢区に異動が決まる。

区への異動を奇貨として元々、市全体で実現する前に、区で実証してみたいと考えていた石塚。「これはラッキー!」とばかりに、すぐさまプレゼン資料を用意し、区長に「営業」をかけた。

「金沢区でお試しいただければ、子育てしやすい区としてアピールできますよ!」と石塚がしっかりとプレゼンをしたところ、当時の区長から、「おもしろい!」と賛意を得たという。

「あのゴーサインがなかったら、いまでも「育なび」は、つくることはできていなかったと思います」
結局、市全体では実現ができなかったが、区長の後押しもあり、まず金沢区で導入が決定。2013年8月に「育なび」がオープンした。

「育なび」は、ホームページ上に分散する子育てに関する情報を集約したポータルサイトだ。横浜市のウェブサイトでは、例えば、保育園の情報はこども青少年局、公園の情報は環境創造局といったように「縦割り」に表示されていた。こうした情報を、ひとつのサイトに集約するのは簡単ではない。関係部署と緻密な調整を行い、網羅性の高い情報を「育なび」に配置した。



実は、この「育なび」には大きな特徴がある。それは、子どもの生年月日と郵便番号を入力すると、関連する情報が上位に表示される「パーソナライズ機能」を備えていることだ。これにより、例えば、子どもの医療機関を自宅から近い順に表示させることができる。

民間とはかけ離れた実情も石塚は現在も横浜市の職員として「育なび」の運営に携わっているが、行政のICT活用には、いまだジレンマを感じる瞬間が多いという。セキュリティのためとはいえ、職場でないとメールが見られなかったり、テレビ電話が使えなかったりといった、民間とはかけ離れた実情があるからだ。

「大事な住民の情報をお預かりする立場ですし、ICTに携わる者として事情は理解しつつも、人材不足とかワークスタイル変革やスピード感を考えると、逆のリスクを呼び込む可能性があるのではという恐れも抱いたりします」

石塚は、自身の子育て経験から、IT活用のメリットも強く感じている。飲み会や勉強会に行けないとき、SNSを通じて人との繋がりを保てたり、情報収集ができたりするのは、時間の節約にも役立っているという。

現在、石塚は庁内の仲間や民間のエンジニアと勉強会を開き、面白いと思ったことを形にしたり、発信したりする活動も行っている。

「行政職員としては多少覚悟のいることです。でも、繋がることでしか開けない道もある。いろいろな人と市を良くしていきたいという意識を共有し、お互いに学ぶ経験を通じて、横浜の未来が少しでもより良いものになれば最高です」

石塚の言葉からは、横浜への深い愛が伝わってくる。自分のルーツでもある地域に、ある種のノスタルジーを感じることは多くの人が否定はしないだろう。ただ、さまざまな制約の中で自治体は、このノスタルジーと財政とを天秤にかけなければいけない時代だ。

横浜市は相対的に恵まれた地域であることは間違いない。だからこそ、今のうちに先を見据え、さまざまな下地をつくっておくことが重要なのだろう。石塚は横浜市の長所短所を熟知したうえで、ITを駆使して、地域の繋がりをつくり、それを資産として蓄積しようとしているのだ。

さまざまな力や知恵を巻き込みながら、いずれは大きな力になっていくに違いない。石塚の「育なび」は、まず区から始まった。世の中はそれぞれの持ち場を良くしようとする局地戦の積み重ねで、少しずつ改善されていくのだ。

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引用元:https://forbesjapan.com/articles/detail/23500

「どうせやらないでしょ?」が悔しくて 商店街の空き店舗撲滅へ

公務員イノベーター列伝

岡崎市役所の晝田浩一郎

愛知県・岡崎市役所の晝田浩一郎(ひるた こういちろう)は、地元商店街の活性化に貢献し、2017年、「Forbes JAPAN 日本を元気にする88人」に選出され、「地方公務員が本当にすごい!と思う地方公務員アワード」も受賞した。

2016年1月、当時、経済振興部に所属していた晝田は、有志団体「岡崎市空き店舗撲滅運動 ここdeやるZone(以下、ここやる)」を立ち上げ、いまも代表を務める。「ここやる」は商店街の一角の空きスペースを借り上げ、誰でも気軽にイベントを開催できる環境を生み出した。毎月の賃料は「ここやる」が拠出するが、興味深いことに晝田は、「漢気(おとこぎ)でお願いします!」と役所の先輩たちを口説いてカンパを募り、その賃料を賄う。

商店街スペースの利用希望者は、その利用時間に応じて、気軽にイベントを開催することができる。その結果、約2年8カ月の間に500回を越える驚異的な数のイベントが開催され、参加者数は5000人を超えた。

約半分のイベントは、晝田ら市職員が主催するが、残りの半分は市民によるものだ。参加者は県外からもやってきて、20歳前後から80歳を超えるおじいちゃんやおばあちゃんまでと幅広い。

また、イベント内容も多岐にわたる。「Startup Weekend」という、シアトル発の起業家輩出イベントの体験版や、認知症を抱える家族を支援するサロンなども開催され、地域のさまざまな人々が交流する場が生まれている。

とりわけ人気が高いのは、街の人の話を聞く会だ。商店主のおじいちゃんをゲストとして招き、昔にぎわいがあった商店街の話を、当時の情景を交えて話してもらう。登壇をお願いすると、「しゃべることなんて5分もないよ」と言われるが、いざ話し始めると、若い人と交流できるのが楽しいのか、2時間ぶっ続けで話す人もいるという。

「どうせやらないんでしょ?」に発奮そもそも、晝田がこの試みを始めたきっかけは、彼と同じく「Forbes JAPAN 日本を元気にする88人」に選出された長野県塩尻市のスーパー公務員、山田崇が取り組む商店街の空きスペースの活用事例を視察したことからだ。2015年の夏、友人に誘われて塩尻まで出かけ、山田と夜中の2時、3時まで飲み続けた。

晝田は、そこで、さまざまな人々が交流する心地よい空間に身を任せていたが、突然、山田は鋭くこう言い放ったという。「いろんな人たちが視察に来てくれるけど、結局、誰もやらないんだよね。どうせ晝田たちもやんないんでしょ?」

そのひと言で、一気に酔いから醒めた。そして、「あんなことを言わしとくわけにはいかん、絶対にやる!」とその場で誓った。山田から図星をさされて悔しいと思ったのは事実だった。その悔しさと「見返してやる!」という怒りにも近いエネルギーに突き動かされたからこそ、「ここやる」は、なおの広がりを見せ、今も続けられている。
塩尻から戻った晝田は、さっそく商店街の空き店舗を探し始めた。あるバーの隣の空き店舗に目をつけ、そのバーに飲みに行きマスターに相談した。すると、偶然にも地域の重鎮が来店していて、晝田はその場で「ここやる」の構想を説明した。

重鎮は「お前らみたいなやつらが出てくるのを待っていた」と、ふたつ返事で知り合いの空き店舗オーナーに連絡し、アポを取る。さらにそのアポにも同席し、「俺はこの若いやつらを応援したい、協力してあげてくれ」と強力に後押しし、晝田は無事にオーナーから店舗使用の了解を取り付けた。

指弾する声とも闘いながらとはいえ、公務員というのは、突出したことをするととかく叩かれがちだ。まちづくりを行う市民グループからは「公務員に何ができるんだ!」「遊び感覚でやってもらっちゃ困る!」などと言われたこともあった。それだけではない、役所の中でさえも「遊んでる暇があったら仕事をしろ!」「そんなリスキーなことやってどうするんだ」と晝田を指弾する声もあがった。

一方、味方も多く現れた。晝田も含む「ここやる」を立ち上げた役所の4人は、庁内の「部課長会頑張る職員 金賞」を獲得したが、その際には副市長の強い推薦があった。晝田の活動を後押しするために、市長や副市長に根回しをしてくれた課長の存在もあった。さらに、空きスペースの賃料をカンパしてくれる先輩や同僚たちなど、晝田の周りにはいつも支援者の姿があった。

取材の際、晝田は「自分のダメな部分を記事に書いてほしい」という言葉を何度も繰り返した。その意図するところは 、全国で人知れず苦労している若手職員へエールを送るためだ。「自分のような普通の公務員でも、活躍できる可能性があると感じてもらいたい」という。

そんな晝田の理想とする公務員像は明確だ。部下の提案を否定するのではなく、かといって、そのまま鵜呑みにもしない。部下が何をめざしているのか深く掘り下げて、それを後押しできる存在になりたいのだという。晝田は、「ここやる」で自分を支えてくれた先輩たちの背中を追っているのだ。

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引用先:https://forbesjapan.com/articles/detail/22077/1/1/1

奈良県生駒市の福祉健康部次長、田中明美

介護予防の先進地として、平成29年度に全国から約200人の視察があった奈良県生駒市。短期間で集中的にリハビリなどの支援を行うことで、高齢者が活力を取り戻し、その後、何年も元気に暮らす事例も多く見られる。

生駒市の高齢者福祉を牽引したのは、1995年に保健師として入庁し、現在、福祉健康部次長を務める田中明美だ。田中が大きな成果を生み出すターニングポイントとなったのは、2004年に奈良県が主催した市町村向けのセミナーまでさかのぼる。

熱意が道を拓くセミナーでは、高齢者の筋力トレーニングを調査した研究が紹介された。そこで、要介護認定を受けた高齢者が、歩けるまでに回復した事例を目の当たりにし、田中は大きな衝撃を受けた。

当時、田中は高齢者や介護事業者から多くの相談を受けて、介護予防の手法に日々悩み続けていた。セミナーを通じて、筋力トレーニングにその解答を見出し、同行した他の市職員との帰途では、実現へ向けて話が弾んだ。

しかし、役所に戻ると事情は一変した。実際に市がアクションを起こすためには、場所やトレーニングマシン、さらには専門家の確保など、さまざまな準備が必要であったため、限られたリソースしかなかった市としては、主体的に動く気運が高まらなかった。

とはいえ、田中は筋力トレーニングが高齢者に必要なものだと信じ、簡単には諦めなかった。直属の上司が帰ったあとに、役所の金庫番といわれる財政課を何度も訪ね、「どうやったら予算が取れるのか?」と必死に尋ね回った。

その姿があまりにも切実だったため、「あいつは変わっているけど、あれほど言うのだからやらせてみよう」と幹部が英断。突然、大きく道が拓けたのである。一旦ボツになった事業が一転して部の目玉事業となる、極めて異例な事態だった。

国の政策にも提言を行う田中が大きな成果を得た理由は、先のような粘り強さだけではない。彼女は民間の金融機関に勤めていた頃に、状況把握や現状分析を徹底的に叩き込まれた。市の業務においても、有識者会議や介護事業関係者のアンケート、サービス利用者へのヒアリングなど、田中は全方位的に状況把握に努めた。

さらに驚くべきことに、通所介護事業所を1軒1軒回り、現在の経営状況や将来の経営スタンスまでをもヒアリングした。介護関係者の人材確保が全国的な課題になっているが、生駒市の最低賃金は786円であるのに対し、市に隣接する大阪府では909円と、その点にも注意する必要があった。

田中はこうした介護事業者の雇用対策から経営方針までを熟知したうえで、地域における介護の質を長期的に高めてきた。その実績から、厚生労働省の老人保険事業等さまざまな委員を歴任、国の高齢者福祉政策にも提言を行っている。

また、国や県がつくった枠組みの中でのみ動くのではなく、まちの実情に即したオリジナルの事業を展開するために、何度も国にかけ合い、国の制度を動かしたこともある。徹底的な現場主義と、豊富な専門知識に裏打ちされているからこそなせる業だろう。
田中が民間企業から市役所へ転職したきっかけを辿ると、約30年前に母親が脳腫瘍で倒れたことに行き着く。当時、民間企業に勤めていた田中は、同社系列の病院を母に紹介し、大手術の末、母はどうにか命をつないだ。

しかし、術後に後遺症が残り、意識のない状態が続く。当時、田中が見舞いに来るたびに、看護師が母の体に触れながら、一生懸命、声をかけていた。その甲斐があってか、ある日突然、母が目を覚ます。その後、リハビリを経て最終的には杖を使って歩けるようになるまで回復をしたのである。

憧れが転じて天職に看護師の手厚い仕事と熱い想いが、最愛の母に再び命を吹き込んだ。田中の胸の内では、看護師に対する憧れが日増しに膨らみ、やがて、自ら看護師になろうという決断につながる。

母親の手術のすぐ後に、田中は人生の伴侶を見つける。当時、結婚後の女性は専業主婦として家庭を守ることが常識とされていた。しかし、看護師になることを諦めきれなかった田中は、子育てをしながら看護学校に通い、正看護師と保健師の資格を取得した。

育児が大変な時期に、生駒市役所が保健師の職員を募集していることを知る。子どもが落ち着いた後に、病院へ転職しようと決め、試験を受けて合格。いざ、市役所に入って仕事をすると、想像以上に面白く、同時に、大きなやりがいも感じた。

振り返ると、役所の仕事の魅力に取りつかれているうちに、23年を越える年月が経った。育児と勉強を両立させながら資格を取得したにも関わらず、かつて抱いた看護師という夢は未だ叶っていない。

しかしながら、それはむしろ喜ばしいことなのかもしれない。なぜなら、いま田中はかつての夢以上にやりがいのある、まるで天職ともいえる仕事に就いているのだから。

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引用先:https://forbesjapan.com/articles/detail/21583

「行政に興味のない市民に損をさせない」 和光市長が選ぶ道

 

公務員イノベーター列伝

和光市長 松本武洋

普通交付税とは、自治体間の財政不均衡を是正するため、国が地方自治体に配分するものだ。昨年、普通交付税を受けていない地方自治体は、全国1718市町村のうち、わずか75団体。そのなかのひとつに埼玉県の和光市がある。

普通交付税を受けていないということは、すなわち財政的に健全で、自立した行政運営を行う地方自治体であるということ。和光市は、2011年度に普通交付税の交付団体に転落したが、2016年度に不交付団体へと復帰した。

その5年の間に、「普通交付税等に依存することなく財政運営が行えるよう、歳入の確保をはかるとともに、事業内容の見直し及び受益と負担の適正化などの行財政改革をさらに推進。将来にわたり健全で安定的な財政運営ができるように努めてまいります」と宣言し、市政に邁進してきたのが松本武洋市長だった。

松本は、その実績から、昨年5月の市長選挙では、90.5%という驚異的な得票率で3選を果たした。聡明でありながら泰然とした雰囲気があり、住民からの支持や信頼も厚い。

くじ引きで選ばれた市民が「事業仕分け」松本は、新卒でベンチャーキャピタルに就職し、その後、経済系の出版社2社に勤めた経歴を持つ。2003年に無所属で出馬した和光市議選で当選、その後2009年に和光市長選に勝利し、40歳の若さで市長となった。

市長就任後すぐに、学校建設以外のハコモノ建設は一旦すべて凍結。既存事業についても、市民や外部の第三者視点で事業の検証を行った。国が民主党政権時代に行った、いわゆる「事業仕分け」と呼ばれるものである。

「大規模事業検証会議」というものを立ち上げ、この委員をなんと「くじ引き」によって市民から選んだ。市民全体の意見を集約できるよう、年代別、男女別、地域別などでくじ引きを行い、その当選者に招待状を出す。当選者のうち委員を希望した者のなかから、さらにもう一度くじ引きを行い、最終的に委員を決定した。

当時、市民から委員を公募するということ自体かなり先進的だった。ただし、単に公募を行うと、同じ人がさまざまな委員を兼任したり、同じ考えのグループから何人もの人が参画したりして、委員に偏りが生じるリスクも存在する。それで、くじ引きを導入したのだ。

くじ引きによる公募は手続き的には骨の折れるものではあったが、特定の層や利害関係に偏らない環境で、市民がオープンに議論できる場の構築につながった。
松本が地方自治に興味を持ったきっかけは、「平成の大合併」の時代にさかのぼる。2003年から2006年にかけて、3000を超える市町村が合併し、その数は結果的に約1800となった。

和光市でも、近隣の朝霞市、志木市、新座市との合併が激しく議論され、2003年4月に4市で実施された住民投票に、その判断は委ねられた。和光市民は4市のなかで唯一、反対を選択し、この合併は破談となる。

当時、住民投票に際しては、合併について賛成派も反対派も財政的なメリットがあると住民に訴えていた。その頃、経済系の出版社に勤めていた松本は、会計の書籍を編集するほど財政に精通していたが、賛成派と反対派の主張がわかりづらく、どちらが正しいかはすぐには判断することができなかった。

市議時代からプログを活用この時、地方自治の一端を覗き見て、松本は市議を志す。行政はもっと税金を有意義に使えるのではないかと感じたからだ。また、住民投票の経験から、行政のお金の動きをわかりやすく住民に伝えるため、市議時代からいち早くブログなどを活用し、行政の財政問題を噛み砕いて発信した。

民間人の時には、行政に興味を持てない時期もあった。いまは自らが行政側の立場にあるからこそ、「市民が行政に興味を持った時に、調べられる状態にしていること」、そして「行政に興味がない市民にも損をさせないこと」が大切だと松本は言う。

後者の発言は特に新鮮だ。というのも、政治家は選挙で勝ち抜くために、本来、票を見込みづらい層の市民に対して慮ることは少ない。逆に票に直結する層には、積極的に政策を打ち出したりする。少子高齢化で、高齢者の有権者に占める割合が大きくなり、政治家がこの層に向けて政策をアピールしていく、いわゆる「シルバー民主主義」という現象も、その様相を顕著に示している。

「行政に関心がないことは悪ではない。むしろ、それが普通なのです」と松本はこともなげに言う。関心がない市民のニーズを把握し、施策を打ち出すということは決して簡単ではない。そのぶん難易度やコストが高まるのは必定だ。その困難な道を敢えて選択し、松本は歩んでいる。

連載 : 公務員イノベーター列伝
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