H28.11.29-30 行政視察

兵庫県、岡山県に行政視察に行きました。

提出したレポートを掲載しておきます。
(ネット版です。実際に提出したレポートと少し違います)


平成28年度 行政視察報告

森内哲也

1.兵庫県姫路市(太陽福祉グループ)
訪問日:平成28年11月29日
内容:
太陽福祉グループの運営する姫路市打越にある「太陽公園」に訪問した。
この福祉グループは、特別養護老人ホーム、精神通所授産施設、小規模多機能型居宅介護事業所、医療施設、救護施設、障害者支援施設、就労施設などを姫路市を中心に広く福祉関連の事業を運営されている。
そんなグループが世界の有名な建築物、例えば凱旋門、万里の長城の登城門、スフィンクス、ピラミッドなどを敷地内に配置したテーマパークを運営しているという。
訪問時には目の前に現れた巨大なお城に目を奪われ、ところどころに配置された石のオブジェに引き付けられる。まさに遊園地やテーマパークを訪れた時のドキドキ感に襲われた。福祉施設の視察だと思っていたがなんだこれは!という衝撃である。

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宣伝動画があったのでリンクしておきます。
見ても「なんじゃこりゃ?」という感じだと思います。
私の受けた第一印象もまさにそれでした。

施設長の話を聞くと、先代の門口堅蔵(もんぐち けんぞう)が集めたものだという。地元で始めた福祉活動が広がりを見せ、福祉的配慮の必要な人たちは世界旅行にも行けないだろう。それならば近くにレプリカではあるが配置して、世界旅行の気分だけでも味わってもらおう、という思いがスタートということだ。その規模が大きくなりそれならばということでテーマパーク化したものだという。

この太陽公園には、年間10万人の人が訪れるという。
質問する機会があり、他の議員が運営に関しても質問していたが、この数字がこのテーマパークを運営してゆくためには、多いのか少ないのかもよくわからない。

この公園敷地内に実際に障害者支援施設があり、公園内の清掃、入場券販売所、お土産販売店などで就労支援を行っていたりして、就労の場の提供にも貢献している。

施設内を案内してくださった事務員さんは、奈良の福祉施設に就職していた時にこの公園に訪れ、この公園が福祉と関わりのあることを知り驚き、先代の門口氏に会いその熱に打たれて現在、この地で働いているという。

我々は行政視察により、このテーマパークの成り立ちなどを聞くことができたが、ここを訪れるほとんどの人は、世界の有名建造物を目にしてクラクラするが、その背後にある先代の福祉への思いを感じることは少ないかもしれないという。
しかしそれで良い。ここをテーマパークとして訪れる人にとっては世界旅行ができる非日常の世界ではあるが、ここで生活し就労する人にとっては、当たり前の日常のことである。非日常の世界を体験しに来た人たちにとって、そこに日常が張り付いていると考えをめぐらすことは必要のないことだ。その日、訪れた我々もこの公園内の非日常世界を充分に楽しんだ。

備考:
福祉施設や作業所でクッキーなど販売している所もあるが、ここはテーマパークを運営している、という理解でよいと思われる。
しかし、運営母体は会社化しているので、その会社が福祉施設に対して、就労の場を提供している、という形に現在なっているという。
福祉施設というものは社会にとって必要なものであるので、無茶苦茶に儲かることはないが、最低の施設基準、運営基準を満たして運営していれば、なんとか継続運営できる気がするが、ここはテーマパークで得た利益は福祉を手厚くするために使われているのかと疑問に思った。と同時に福祉というものと利益追求はあまりマッチングしないところではあるので、純粋に利益追求が出来ていない可能性もあるのではと思った。

・先代の門口堅蔵さんに会いたかった。テーマパークは福祉施設を利用する人の就労の場としても機能しているが、利益を上げる場としてのテーマパークと福祉の精神とは、親和性が低いと思われるので、先代の残した遺産をどう活用するか、今後のこのグループの推移に興味がある。

・第一印象の強烈さにやられてしまって、三宅の福祉や観光を考えるうえで冷静に視察できなかったというのが正直なところだ。
集客ということを焦点を当てると、このような箱モノ(建物や建造物)を町内に持つには、公的機関ではできないだろう。個人か企業家ということになろう。現実的ではない。
福祉という観点から考えると、総合的な福祉のありかた(障害のある人、高齢者、子供たちなど、ケアの必要な立場の人が同じ場所で時間を過ごす)というのは、三宅町でも考えてみてもよい視点だと思う。
そしてその地域で働けるような就労があれば理想的かもしれない。

テーマーパークでもあるので、個人的に再び訪れたいと思う。


2.岡山県倉敷市(旧野崎家 と ジーンズ・ストリート)

訪問日:平成28年11月30日

内容:
旧野崎家とは、この地で塩業を開始した野崎武左衛門の旧家。
この地。児島はかつて古事記の時代今から1300年前は海に浮かぶ島であったという。今は陸続きになっているが海とのつながりが強く塩田として利用された。
野崎武左衛門が始めた塩業が大きく発展し高額納税者しかなれなかった帝国議会の第一回目の貴族院の議員ともなっている。
名実ともに日本を支えた人物である。その旧家を見学した。
この塩分を多く含む土地では、稲作ではなく綿花の栽培に適しており、採れた綿花を利用して繊維の町として江戸時代から発達した。

しかし安い輸入商品に押され荒廃していった商店街をなんとかしようと、ジーンズストリートとして生まれ変わっている。

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現在、訪問客は年間15万人という、
イベント時にはスゴイ来客があるらしいが、この日は平日の午前中ということもあり、オープンしている店もまばらであった。

ジーンズを掲げた通りやジーンズ柄の自動販売機などもあり、ジーンズの町を印象付ける仕掛けもたくさんあった。
ジーンズといえば岡山県の児島という特技一点にしぼっることが、感じられた。

好きな人にはたまらないだろうという職人的なマニアックさを感じる店ばかりであったが、残念ながらファッションに興味がないので、
いったん廃れた商店街をどういう戦略で立て直していったのかということを、もう少し詳しくききかかった。

備考;
店内で最近亡くなったデヴィッド・ボウイのブルージーンを流したりしたいものだと思った。
(この曲はジーンズとは関係ないが・・・)

また、ローリングストーンズのアルバム「Sticky Fingers」のジャケットを思い出しました。
当時はレコードで、ジャケットにジーンズのチャックがついているという変わりダネ。

私は、ジーンズといえば、英国とか米国のロックを思い浮かべてしまいます。
この小島の地が日本で初の国産ジーンズの発祥の地だということです!

総評:
大変申し訳ないですが、今回、見てきたこと聞いてきたこと、今回の視察で感じたことが、直接どういうふうに我々の三宅町にいかせるのか、私には今すぐにはわかりません。
それは見たものが足りなかったのか、聞いた内容が足りなかったのか、わかりませんが、必要な時が来れば自ら補いたいと思います。
こんなところに行きたいと希望した視察先が、相手側の都合(議会があるとか、すでに受け入れの団体がいっぱいだとか)と、こちら側の都合(予定が合わないとか、重要な会議があるなど)でうまくいかず、私は、視察先はお任せにしました(お任せというのは「どこでもいい」という事ではなく、他人がいいという場所なら、私にとっても得られることがあるだろう、だから視察しておこう、ということです)
なので、私個人にとっては、今回の視察は、今すぐにどう役立つのかわかりませんが、いつか何かのヒントになると思っています。

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