議会局「軍師」論のススメ(31-40) 清水 克士

議会局「軍師」論のススメ

議会局「軍師」論のススメ
第31回 続「議会事務局のシゴト」とは何か? 清水 克士
(月刊「ガバナンス」2018年10月号)

 前号で「議会事務局のシゴト」は、主体的な議会の政策立案の補佐であると述べた。しかし、議会からの政策立案に関する、事務局職員からのボトムアップについては、一部に批判もあるようだ。今号では、政策立案に関する補佐の射程について論じたい。

■中立のメルクマールは何か
 批判の一つには、公務員の政治的中立性の観点からの、主に議院法制局職員(以下「国会職員」)との比較論がある。それは、「白紙の状態での国会職員から議員への政策提案などあり得ない」との価値観を前提に論じられるが、その前提が真理足り得るのだろうか。

 そもそも、合議制機関の職員という共通点はあるが、議院内閣制と二元代表制という異なる制度下における、似て非なるものを同一視した比較論が適切だろうか。まずは国会職員の中立意識の妥当性を、同じ国家公務員である行政機関職員の中立意識との比較で検証すべきであろう。

 現状は省庁職員と比べて、国会職員はより厳格な中立姿勢となるのであろうが、その違いを正当化する法的根拠はない。国会職員の中立意識を是とするなら、同じく政治家に仕える省庁職員(大臣秘書官など)の動きは明らかに出過ぎとなろう。幹部の重要な仕事が、事務方の考えをオーソライズするための、政治家の説得であることは公然の事実だからだ。

 逆にそれを是とするなら、国会職員の意識は、過剰に萎縮しているともいえるのではないだろうか。 

 同様に自治体の執行機関職員においても、ある程度首長の意向を忖度して予算や計画の案を調製することは必然であり、それと比して議会事務局職員のボトムアップが、出過ぎなどとはいえないであろう。

■国会が地方議会の規範なのか
 給与水準のように、地方公務員の中立意識は国会公務員に準ずるべきとの法的根拠がないにもかかわらず、国会職員に準拠すべきとする理由は何か。確かに各種の議会本において、国会における例を根拠として結論に導く解説が散見されるが、そこに法的正統性などない。

 議会の世界では、分権改革による国と地方の関係の劇的転換がなかったがゆえに、執行機関よりも中央集権的感覚が強く残っているのかもしれない。だが、分権を推進すべき地方議会にこそ、中央の呪縛からの早期脱却が必要であり、法的根拠なき国会準拠の考えには、毅然とした態度が望まれるであろう。

■誰のための議論なのか
 議論の視点に関しては、内部視点かつ守りの消極姿勢に偏重しているところに違和感がある。学会における立法論ならともかく、現場における解釈論としては、住民視点での建設的論点が抜け落ちている。

 それは、住民福祉の向上に資する考え方は、どれなのかということである。職員も「チーム議会」の一員として、議会の政策立案に主体的に参画することが、消極的態度よりも、はるかに住民利益に適うと現場では感じる。解釈が分かれるなら、公務員としての最終的な判断基準は、そこに求めるべきであろう。

 議会事務局職員が、議会、議員に対して評論家のような姿勢で接していては、議会はいつまでも変わらない。分権改革が実現した今、国の価値基準に囚われず、住民利益を最大化する視点で既存の枠を打ち破り、常に攻めの姿勢で「シゴト」を捉えることが、議会事務局職員に求められるものではないだろうか。

*文中、意見にわたる部分は私見である。

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第32回 専門的知見を求める意義は何か? 清水 克士
(月刊「ガバナンス」2018年11月号)

 大津市議会における政策立案手法は、複数の大学と包括連携協定を締結して、専門的知見を活用していることが特徴の一つである。視察対応においても、大学との付き合い方に関する質問が多く、今号では議会と大学・学者、理論と実践の関係性について思うところを述べたい。

■セカンドオピニオンは失礼?
 多いのは、連携する大学が複数であることに対する質問である。もちろん、その主たる理由はより幅広い専門的知見を得るためである。だが、質問の真意は、複数大学との連携は、相互信頼関係を損うのではないか、といったところにあるようだ。確かに複数の連携を、「浮気」と捉える学者がいるのも事実である。

 だが、万能な学者などいないことは、医者と同様である。医療の世界では、患者が医療方針についての判断をするときに、セカンドオピニオンを求めることは、今や常識である。議会における専門的知見の活用においても、特定の大学・学者に固執するほうが不健全であろう。真に実力ある医者がセカンドオピニオンを嫌悪することはなく、同様に考えれば複数の専門的知見を求めることに、議会側のデメリットなどない。

■「プロダクトアウト」の功罪
 以前、担当していた工業振興分野では、かねてから大学の知的資源を製品開発に活かす、産学連携が定番である。研究成果である最新理論や先端技術を製品化することによって、市場競争力を高めようとする「プロダクトアウト」の発想である。一見合理的だが、技術偏重による高コスト化や消費者ニーズの欠如から、商業的には失敗することも多い。

 逆に、現場の消費者ニーズをもとに製品化する手法が、「マーケットイン」と呼ばれるもので、その場合の技術は目的達成の一手段として、意識されるに過ぎない。

 「マーケットイン」も万能ではないが、現場ニーズからの発想がなければ成果を得にくいのは、議会の専門的知見の活用も同様である。

■「あるべき論」の弊害
 理論としては革新的であっても、現実とのギャップを埋める手段が考慮されていない「あるべき論」は、実践不可能な机上の空論であり、現場では議論の意義がない。

 また「あるべき論」を追求すると、時として「立法論」に流れる。だが、立法論を語ることは官僚や学者の仕事であり、地方現場の仕事ではないと私は思っている。

 もちろん、立法論を語る中長期的意義は否定しないが、自治体に法改正の権限がない以上、「解釈論」の範疇における議論でなければ、課題に対する処方箋は示せず、評論家的議論とならざるを得ないからだ。

■正解を決めるのは個々の議会
 議会は政治の世界の機関であり、学問の世界の存在ではない。現実社会において住民福祉の向上を図ることが任務であり、理論や技術は実践のための手段に過ぎない。

 専門的知見も決して普遍的なものではなく、時代背景、議会規模、地域性、政治的状況によって変遷し、正解は議会によって自ずと異なる。

 議会は、多様な民意を反映させるための合議制機関である。ところが、自ら求めた専門的知見に関しては、十分な比較考量もせず、鵜呑みにしがちとなるケースも見られる。

 議会内部における議論でも、都合の良い権威に判断の拠り所を求めようとするのではなく、自らの考え、責任において決めようとすることが、肝要ではないだろうか。

*文中、意見にわたる部分は私見である。

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第33回 優先して市民に伝えるべきものは何か? 清水 克士
(月刊「ガバナンス」2018年12月号)

■約3割が賛否態度非公開
 地方議会に関するある調査結果を見て驚いたことがある。約3割の議会が議案等に対する議員個人の賛否(以下、「賛否態度」)を公開していなかったからだ。

 議員は議決機関の構成員として、自治体の意思決定に携わることが最も重要な任務である。地方議員は、政党や会派ではなく議員個人への得票によって、民主的正統性が担保されている。その意味からは、賛否態度こそが、有権者の投票行動の判断材料として、最優先で提供されるべき情報のはずだ。

 最高裁判事の国民審査における公報では、関与した主要な裁判における判断が明示されているのも、それが裁判官の資質を判断するにあたっての重要な情報だからであろう。同様の観点に立てば、賛否態度を市民に伝えようとしないこと自体、批判を免れないのではないだろうか。

■賛否態度非公開の理由
 賛否態度の公開を避けるのは、議員個人への批判を避けたいからであろうが、権利と義務は一対のものである。議決機関の構成員としての権利行使の結果を、市民に知らせないのは義務を果たしているとは言えないであろう。

 だが、時として賛否態度の非公開が、採決方法の問題にすり替えられることがある。賛否が分かれる際の採決方法としては、起立採決が一般的であるが、それは議案に対する可否の多数を諮るだけで、賛否態度は公式記録としては残らないからだ。確かに従来からの方法で、公式記録として残るのは記名投票であるが、全ての採決をそれで行うには余りに非効率であり現実的ではない。

 一方、起立採決にもかかわらず、議会広報紙では賛否態度を掲載している例がある。その根拠は局職員による事前確認だけという議会も多いが、本会議では突然異なる賛否態度をとる議員もおり、物的証拠を担保しておかなければ、賛否態度の正統性は保証できない。

■議会ICT化の要諦とは
 対応策としては、議会のICT化があり、その導入の本質的意義は「議会の見える化」である。具体的には、賛否態度を即時に表示できる電子採決システムの導入である。

 大津市議会では議会日程の全てを夜間休日だけで消化することは不可能である。そのため、平日昼間に行わざるを得ない会議への傍聴者増を企図するよりも、インターネット中継と録画配信を分かりやすいものとすることが、議会での議論を伝える最も現実的かつ効果的な方法と考えている。そこで、傍聴者だけでなく、中継録画視聴者にも賛否態度を正確にわかりやすく伝えることを重視している。

 起立採決する議場全景を画面上で見せられても、視聴者にとっては賛否態度までは判別不能である。電子採決システムは、電子記録による賛否態度の公式記録化はもちろん、中継録画でも賛否態度を画面上に明示することが可能となり、「議会の見える化」に大きく貢献する。

■議会改革と優先順位
 議会改革をフルセットメニューで一気に推し進めることは難しい。したがって、優先順位をつけて取り組むことが必然となるが、それは議事機関としての本質への近さや、市民にとってのメリットの大きさ、といった基準で判断されるべきである。その観点からは、議会における賛否態度の公開こそが、最優先で取り組むべき課題ではないだろうか。

*文中、意見にわたる部分は私見である。

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第34回 改革を点から面へ変えるオフサイト活動とは? 清水 克士
(月刊「ガバナンス」2019年1月号)

 18年11月末に札幌市で、「議会研究会合同フォーラム」が開催された。第1部では、全国で活動する議会に関する研究会の活動報告があった。今号では私が報告した、発意する局職員育成のための「軍師ネットワーク」の意義を中心に、局職員のオフサイト活動の必要性についても言及したい。

■「軍師ネットワーク」の強み
 大津市議会局が事務局を所管する滋賀県市議会議長会では、16年に局職員の実務的課題解決や資質向上を目的として「軍師ネットワーク」を構築した。大局的理念は、大津市議会での議会改革の成果を滋賀県内の各市議会に波及させ、議会改革の流れを点から面へと発展させることである。

 一般的なオフサイト勉強会と比しての内的アドバンテージは、持続可能性である。具体的には、議長会の一事業と位置付けて、活動のための組織体制と財源が担保されていることである。

 多くの勉強会の組織体制は、創設時には活発な運営がされるものの、メンバーが固定的であるが故のマンネリ化や、逆に初期メンバーによる仲良しクラブ化が、新規加入を妨げている傾向も否定できない事実である。もちろんクローズドな運営も、限られたメンバーによる交流の場と割り切ればそれも良いだろうが、業界全体や地域貢献を目指すのであれば、それらの傾向は発展の阻害要因となるだろう。

 軍師ネットワークでは、現役自治体職員であれば局から転出しても、再び議会に戻る可能性を視野に入れて、会員資格の継続を可能としているが、自治体職員でなくなった時点で脱退となる。つまり、時がたてば組織は継続してもメンバーは自動的に入れ替わるサンセット方式であり、運営上の沈滞要因を予め排除している。

 財源的にも議長会予算が使えること、また準公的団体をベースとしている信用力を背景に、大学と有償の顧問契約を締結し、法務相談等の体制を整えている。

 次に軍師ネットワークの外的アドバンテージは、地方議会全体への貢献を果たしうる発展可能性である。議長会は都道府県単位で事務局が設置されており、運営ノウハウをパッケージ化して伝えれば、他地域でも容易に同様の展開が可能となるからである。

■オフサイト活動の必要性
 自治体業務は多様であるが、議会業務ほど法的には全国一律制度を前提としているにもかかわらず、ガラパゴス化している分野は珍しい。それは、他議会からの相談を受けた時に話が噛み合わないという形で顕在化する。お互いに議論の手前の前提部分で、自分たちのやり方が全国標準だと思い込んで話をするため、論点自体を共有できない事態が生ずるのである。

 それは地方議会自体が、国、広域地方自治体、基礎自治体の縦の関係性はもとより横の関係性も乏しく、それぞれが井の中の蛙となりやすい性質を持つ機関であるからだろう。

 それでもまだ議員には、政党活動や各種視察の機会など、他議会との接点があるが、局職員にはそのような機会が乏しい。したがって、公務員全体に言えることでもあるが、特に外部情報に通じた議員とのコミュニケーションを求められる議会(事務)局職員にとっては、なおのこと自ら求めて外の世界へ出る必要性を痛感させられるのである。

*文中、意見にわたる部分は私見である。

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第35回 小規模議会での改革手法は万能なのか? 清水 克士
(月刊「ガバナンス」2019年2月号)

 主に小規模議会で確立されてきた議会改革モデルは、果たして大規模議会でも通用するのか?

 今号と次号では上記の「自治体規模と議会改革」のテーマに関して、昨年11月の「議会研究会合同フォーラム」で時間の関係上、言及できなかった内容を補足して論じたい。

■単一地方議会制度への疑問
 制度論からは、そもそも地方議会制度が単一であること自体に無理があると感じる。基礎自治体を人口で比較すれば、最も多い横浜市では370万人を超え、村総会の設置を検討した高知県大川村が離島を除けば最少の約400人であり、ほぼ1万倍の規模の格差がある。必然的に住民ニーズも異なり、執行機関では規模によって政令市から村まで区分され事務権限にも差がある。

 一方、地方議会では、規模の差による制度上の権能の相違は基本的にはない。だが、形式的にはともかく、1万倍もの規模の差を考慮しない制度では、実質的成果を同じレベルで求めるほうが無理であろう。

 それは諸外国の例を見ても、一国における多様な都市制度の下、地方議会制度はさらに多様であることからも推察できる。よって、現状では規模別に、議会運営手法を変えて制度に対応することが必要となる。

■追求すべき改革の方向性とは?
 機能面から考察すれば、議会の有する監視機能と政策立案機能のうち、監視機能については法定制度や標準会議規則で一般化された手法が確立されており、程度の差はあれまったく機能発揮されていない議会はない。

 一方で、政策立案機能は各々の議会で手法の確立から始める必要があるため差が大きく、これを充実強化していくことが、議会改革の主たる方向性となろう。

 条例制定権を付与されている立法機関としては、当然に条例制定が政策実現の第一選択肢であり、それを実現するための機能強化に努めることとなる。憲法上、国会は「唯一の立法機関」と明確に規定されていることに比して、地方議会は「議事機関」と規定されていることを根拠に、立法権限を副次的に捉える向きもあるようだが、そこに正統性はあるのだろうか。

■議会立法の正統性
 浅野史郎・前宮城県知事は日本自治学会の場において、宮城県議会の積極的な政策条例提案を評価する文脈で、同様の疑念を示されていた。それは、日本国憲法の原型であるマッカーサー草案では、「立法議会」と直訳されるべき「legislative assemblies」との原文が、地方に立法権を認めたくない当時の官僚によって単に「地方議会」と訳され、その後の起草案では「議事機関」と恣意的に変えられた制定経緯を根拠として語られていた。

 いずれにしても議会を機関の機能面からどのように呼称しようと、執行機関と独立、対等の関係に立つ二元代表制の下に地方議会を位置付けるならば、政策実現の根幹となる立法権は、執行機関と議会の両者に置くことが前提となる。したがって、地方議会における政策立案は、立法権行使によることが第一義との認識に至るのは必然である。

 そして、まずは立法機能の発揮に資する制度、体制の構築を目指すべきであろうが、そこで規模の差によって異なる課題が顕在化する。その意味からも議会は規模別に、最適手法を模索せざるを得なくなるが、具体論については次号に譲りたい。

*文中、意見にわたる部分は私見である。
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第36回 法が求めることを諦めていいのか? 清水 克士
(月刊「ガバナンス」2019年3月号)

 前号に引き続き、札幌市における「議会研究会合同フォーラム」で議論された「自治体規模と議会改革」について、議会立法の機能発揮の観点からの具体論を述べたい。

■小規模議会の課題
 議会立法の補佐を、町村議会における平均2.5人程度の局職員だけでこなすのは、現実には困難であろう。

 望まれる対応としては最低、議員数の半数程度までの局の増員強化が正攻法だが、現実的な次善の策としては、事務局機能の広域化が考えられる。だが法定された事務局の共同設置は、その適用例が未だないことからも、机上の空論であることは明白である。「チーム議会」として議員との協働に必須となる信頼関係や、執行部との実務上の調整がポイントであることを踏まえれば、必要時だけ外部に依存して成果を得るのは難しいだろう。

 あくまでキーマンは各議会事務局の職員であり、専門的知見の活用を制度として組み込んだ「軍師ネットワーク」(詳細は1月号参照)のような持続可能性が担保された実務レベルでの広域連携で、必要となる政策法務力を補完することが、現実的選択肢ではないだろうか。

■大規模議会の課題
 一方、大規模議会では、議会としての合意形成プロセスが課題となる。多くの場合、規模が大きくなるほど会派中心の意思形成となり、議会全体で合意形成しようとする意識が希薄になるからである。

 しかし、会派は有権者が投票行動を示し得ない存在のため民主的正統性に欠け、自治法上も政務活動費の交付単位としての任意集団でしかない。会派活動を公務とみなす法的根拠がない以上、会派視察への職員同行が違法と認識されていることと同様、局職員が会派における条例案策定に関与することには、法的疑念が生じる。もちろん、会派議員だけで完結すれば問題はないが、局職員の関与なしに制定を目指すのは現実的ではないだろう。会派の存在意義を否定するものではないが、機関としての立法スキームの根幹にはなり得ないのである。

 したがって、議会総体としての立法活動を支える制度整備に注力することが必要となる。大津市議会では、会派を超えた議論を促進するために、「政策検討会議」を制度化している。これは政策立案テーマの提案会派から座長を選出し、非交渉会派を含む全会派から1人ずつ選出された議員間で討論する制度である。委員会提案と異なるのは、全会派が最初から議論することによって、原案策定段階で、概ね議会としての意思となることである。議会総体としての提案を目指して、合意形成に資する仕組みであるところに意義がある。

■できないから諦めていいのか?
 議会立法には、それぞれに課題が多いのが現状である。しかし、機関としての本質的任務に関して、首長が「現状では難しいから諦めた」と開き直ったら、議会は許容するだろうか。任務を完遂する努力を求めるのではないか。

 立法機能は二元代表制における議会の本質的機能である。機関に与えられた権限は最大限活用することを法は前提としており、各々の判断で放棄することを許容する法的根拠はない。

 規模にかかわらずそれぞれの課題を克服し、本来の機能発揮ができるよう、思考停止せず不断の努力をすべきではないだろうか。

*文中、意見にわたる部分は私見である。
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第37回 議会(事務)局への異動は「左遷」なのか? 清水 克士
(月刊「ガバナンス」2019年4月号)

 新年度の人事異動で議会(事務)局に着任した人は、今、どんな心境だろうか? 議会(事務)局への配属を志して公務員になる人などレアケースであり、微妙な心境の人の方が多いかもしれない。

 私にとっても、正直なところ失意の中での着任だった。

■議会(事務)局のイメージ
 前所属の産業政策課では、企業誘致やベンチャー企業支援などを担当し、仕事は面白くやりがいを感じていた。なぜなら、大津市では黎明期の分野であったがゆえに、当該分野の政策立案を任せてもらえたからだ。だが、議会対応に関しては、概して楽しい業務ではなかった。一方、議会事務局に対しても、ルーティンワークを黙々とこなすだけの「議員のお世話係」とのイメージがあった。

 おまけに異動後も、「ご栄転だね」と言ってくれる人もあったが、自ら希望して異動したわけでもないのに、「もったいない。そんなところで何の仕事をするんだ?」などといった慰めを聞かされることが多かった。そして私自身にも、議会事務局は主流から外れた所属との意識があったのも否めない。

■議会(事務)局は異文化社会?
 しかも着任早々、議会が紛糾した。職員としてはどうすることもできず、これまでの経験や知識など通用しない世界だと実感させられた。新任職員の人たちも、きっとこれから執行部時代とのギャップに戸惑うことも多いだろう。

 だが今は、確かに文化は異なるが、執行部での経験、知識が全く役に立たない異次元の世界ではないと断言できる。それは、執行部時代の法務経験はもちろん、一見無関係にも思える産学官連携の経験でさえも、大津市議会と大学の連携を進めるうえで、大いなる支えとなったからだ。そして今では、議会局(*)ほどやりがいのある職場はないとさえ感じている。

■良い意味でのエリート意識とは
 ある大津市議会議長が、辞令交付式で「良い意味でのエリート意識を持て」と局職員に訓示したことがある。それは、出向に左遷意識を持ち、市長の方を向いて仕事をする職員に、閉口した経験からのようだ。

 今でこそ、議会(事務)局職員の任命権者は議長との認識が、全国的にも定着してきた。しかし、当時は自治体全体の人事ローテーションの中で、どちらかというと非エース級の職員が送り込まれ、本人たちも左遷意識で出向してきていると、議長に見透かされていたのである。

 そんな意識では、議会のための本気の仕事など期待できない。当時から二元代表制の一翼を担う議会における、「チーム議会」の一員としての意識を期待しての訓示だったのだろうと理解している。

■「議会局のシゴト」のやりがい
 自治体内で局職員が置かれた状況は、独立、対等とされる二元代表制の補助機関ながら、自治体職員の中では圧倒的少数派である。それがゆえに、一人ひとりに割り振られる仕事の重要度、自治体の中での存在感とやりがいは、大きな組織である執行機関にいた時の比ではない。また、これほど自治体の政策全般を俯瞰できる職場も少ないだろう。

 たとえ、今は不本意な人事だと感じていたとしても、全てのことをどう捉えるかは自分次第であり、ピンチこそチャンスでもある。議会局への異動を職員人生の多いなるチャンスとして捉え、ぜひ「やる気スイッチ」を入れてもらいたい。

*大津市議会では2015年に「議会局」に改編。

*文中、意見にわたる部分は私見である。

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第38回 議会(事務)局職員は誰のために働くのか? 清水 克士
(月刊「ガバナンス」2019年5月号)

 「あなたは誰のために仕事をしているのか?」と、今年1月の市町村アカデミーでの議会事務局職員対象の講義で、受講生に聞いてみた。答えは「議員のため」であった。だが、執行機関職員対象の講義で同じことを聞いたなら、果たして「首長のため」と答えただろうか?

■服務意識のズレ
 自治体職員は、憲法15条に定める「全体の奉仕者」たらんがために、地方公務員法(以下「法」)31条で、服務の宣誓が義務付けられている。宣誓内容は、条例で定めるため自治体によって異なるが、任命権者ではなく、市民のために働くことを宣言する主旨は共通する。

 「議員のために仕事をする」と答えた職員も、執行機関では首長のために仕事をしていたとは思っていない。ところが、議会の世界へ入ると、自治体職員としての服務意識が、ズレてしまうのはなぜだろうか。

■公選職との関係性
 法では、首長は「その補助機関である職員を指揮監督する」(154条)、議会では「事務局長は議長の命を受け、職員は上司の指揮を受けて、議会に関する事務に従事する」(138条7項)と定められている。つまり、局職員に対する指揮命令権は、議長が有するだけで、公選職といえども一般議員には認められておらず、局職員の立場は執行機関と大きく異なるものではない。

 意識のズレをもたらす議会と執行機関の大きな相違点は、合議制と独任制の違いだろう。執行機関では、職員からの提案であっても首長が同意すれば、そのまま機関意思として政策に反映される。それに対して合議制機関である議会においては、議員個人の意思は多様であり、必ずしも機関意思とは一致しない。そのため局職員が何を言っても、議会内で反対にあう確率が高く、触らぬ神に祟りなしと、局職員から議員に話しかける機会さえなく、まして局職員からの提案などあり得ないといった風潮の議会も多い。

■議員への発意の必要性
 だが、全国の議会では、政務活動費の不適切支出を代表例とする不祥事も頻発している。議会局が全く関知していないというのはレアケースで、多くは見て見ぬふりをしてきたのが実態ではないだろうか。

 一方で、議員に発意するなど越権行為とする論者も、違法性が疑われる事態では議員に積極的に進言して、一線を死守せよという。その主張自体は、市民のために仕事をするという観点からは、至極当然である。

 しかし、平常時でさえ物申せる関係にないのに、論戦が予想される事態に直面して、初めて議員に意見せよなどということが果たして現実的だろうか。例えれば、演習経験もない部隊を、有事に最前線へ投入するようなもので、その結果は火を見るよりも明らかだろう。

■受動的執務態度が市民のためか
 局職員が主体的に仕事をしない理由を並べることは、執行機関職員よりもはるかに容易だ。所詮、議会の責任は議員に帰結すると割り切り、傍観者に徹すれば気楽でもあろう。そして合議制機関での職員からの発意には、様々な困難も伴う。

 だが、難しいからしないというのは「事なかれ主義の言い訳」ではないのか。議員からの求めがない限り物申さず、議員のお世話係に徹することが、本当に市民のために働いているといえるのか。服務の宣誓を思い出して、改めて考えてみてはどうだろうか。

*文中、意見にわたる部分は私見である。

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第39回 局職員に求められる「余計なお世話」とは何か? 清水 克士
(月刊「ガバナンス」2019年6月号)

 前号では、議員のためではなく、市民のために仕事をするという意識が、局職員には必要だと述べた。そのためには、議員のお世話係との意識からの脱却が求められる。

 だが、議員は市民の代表であるのだから盲目的に従うことが、結果として市民のために仕事をすることに他ならないとの考えもあるようだ。果たしてそうだろうか。

■市民感覚とのズレ
 私が執行部に在籍していた時代の古い話で恐縮だが、あるイベントに参加した時のことである。

 プログラムの冒頭で挨拶することになっていた議員が時間どおりに会場に来ないため、イベントスタッフが気を揉んでいた。スタッフは遅刻議員の支援者でもあるようだったが、「遅れて来るのが大物の証だと勘違いしているんだ。だいたい時間一つ守れない人間に公約なんか守れるかよ。遅れるぐらいなら、来なければいいのに」と、怒り心頭だった。議員が到着した時点で、臨機応変に挨拶の時間を挟むイレギュラー対応を求められることが、イベントスタッフにとっては大きな負担となるからだ。

 だが、いざ議員が会場に現れると、先の本音とは裏腹に「よくぞお出でくださいました」と、議員に笑顔ですり寄っていく姿に、こうして議員は「裸の王様」になっていくのだなと感じた記憶が残っている。

■「裸の王様」に伝えるのは誰か
 当時、私は議会局職員ではなかったので傍観していたが、今の立場なら議員への直言を迫られるだろう。なぜなら、故意に遅参する勘違いは論外だが、多忙による遅刻だとしても、市民には無関係な事情であり、議員だから多少は許されるとの驕り故の行動としか受け取られないからだ。時間を守ることは、社会人として最低限のマナーだけに、その人に対する信頼度を大きく左右する。だが、議員に近い支援者でさえ、本音で忠告することがなければ、市民の厳しい視線に当該議員が気づくことはないだろう。

 問題の本質は、遅参によるイベント進行に対する影響そのものではなく、議員は約束を守らないとの印象を市民に与え、議員自身はもちろん、ひいては議会全体の信頼を損なうことだ。

 もちろん、議長や議員派遣手続きを経た議員以外の議員の各種行事への参加は公務外の活動であるため、局職員が業務として対応する必要性は法的にはない。だが、議員が市民からの信頼を損ねている場面に遭遇して、見て見ぬふりをして良いのだろうか。

■職員は「市民と議会の懸け橋」に
 局職員は議員のためではなく、市民のために仕事をすることが、地方公務員法で義務付けられている。信頼を損なう議員の行動に対して直言することは、いわば局職員が「市民と議会の懸け橋」になることを意味する。議会・議員に対する市民の信頼感が高くはない現状は、局職員にとっても他人事ではあり得ず、信頼度を向上させることは「議会局のシゴト」の範疇であろう。

 雑務的な議員の身の回りのお世話が局職員の仕事だとする誤解が未だにあるようだが、本来すべきは、議員が気づかない市民からの耳の痛い話をあえて伝える「余計なお世話」である。

 儀礼的にではなく、本質的な部分で議員に本気で接してこそ、議員も局職員を「チーム議会」の一員と、認めるのではないだろうか。

*文中、意見にわたる部分は私見である。

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第40回 「本会議」のどこが「会議」なのか? 清水 克士
(月刊「ガバナンス」2019年7月号)

 大津市議会では、議員任期4年間の実行計画「ミッションロードマップ」を策定している。これは議会の政策立案と議会活動評価のサイクルを制度化したものである。

 任期最終年度には、議会活動全般についての外部評価を、連携協定を締結している3大学の大津市民でもある研究者に依頼した。その中で真山達志・同志社大学教授からは、「議会だより」のあり方についての指摘を受けた。

 今号では「議会だより」のあり方と、そこから気づいた「本会議」の本質についても考えてみたい。

■市民に伝えるべきものは何か
 真山教授は、「市民は個々の議員が本会議や委員会でどのような質問をしたかに関心があるわけではない。議員毎の議会活動については、それぞれの議員が政務活動費を使って広報すれば足りることである。

 議会としてどのようなイシューが取り上げられ、何が問題となっているのか、問題がどこまで解決したのか、今後の課題が何かを分かりやすく伝えることが必要であろう。

 議会は会派に分かれている機関であるから、一つの見解を表明することは難しいのは言うまでもない。したがって、現状についての客観的事実と論点整理が中心にならざるをえないが、それであっても、質問と答弁を中心とした『議会だより』よりは意味がある」と市民視点からの指摘をしている。

 そして政務活動費で会派広報紙も発行している議会では、公費の二重支出と言われかねない側面も看過できない。議会費で発行される「議会だより」のほか、政務活動費で発行される会派広報紙においても、多くの場合、一般質問等の質疑応答が中心となっているからだ。

 内部的には支出根拠や発行趣旨が異なり批判には当たらないと言えるのだろうが、市民視点からは同一の質疑応答を重複してまで伝える必然性について、納得感を得るのは難しいであろう。

■「本会議」のあるべき姿とは
 「議会だより」における質疑応答の取り扱いからは、「本会議」についての気づきもあった。

 多くの議会では、一般質問が議会の中心的議事日程となっている。だが、一般質問は議会が行わなければならない法的根拠はなく、各議会の会議規則(大津市議会では会議条例)で定めて行っているに過ぎない。

 それは、法の意思として議会の任務は合議制の議決機関としての活動であり、議員個人の活動はあくまで監視機能を補完するオプションと解されるからではないか。

 「本会議」の用語の意味からも、それは推察される。一般質問は「本会議」で行われるが、議員が質問し執行機関側が答弁するという一方通行的スタイルが、社会通念上の「会議」に相当するものだろうか。反論権不要論の中には、「本会議は議論する場ではない」というものさえあるが、「会議」の意味は「何かを決めるため集まって話し合うこと」(広辞苑)である。

 本来、法が予定する「本会議」とは、議案に対する執行機関との議論や議員間討議であって、一方通行的な「質問」の場ではないのではないだろうか。

 いずれにしても、議会は議論する言論の府であり、個人的な議員活動よりも機関としての議論、「会議」する機会の充実に注力すべきであり、新時代の議会では、「本会議」でこそ「会議」を実現すべきと思う。

*文中、意見にわたる部分は私見である。