なぜ人は思い通りに動かないのか

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相手を説得できない――交渉下手は日本人の遺伝子?

  • 榊 博文 2007年10月22日(月)

 日本人は国際社会において、あまり交渉が上手ではないように見えます。戦前から戦後の現在に至るまで、国際交渉の舞台で交渉術を駆使して成果を上げたという記憶はまれです。

交渉とは、問題当事者間で互いの目的を実現させようとする意図のもとに妥協点を見いだすため、説得の応酬を繰り返す過程を言います。国家間交渉、企業間交渉、個人間交渉などケースによって難易度は異なりますが、その交渉妥協点がどちら側に有利だったかによって勝敗が決まります。

欧米人は交渉に臨む気迫が違う

私は社会心理学の立場で説得や交渉について研究してきました。その結果、日本人は世界の多くの民族の中でも、交渉に関しては「弱気の遺伝子」と呼んでもいいほどの乏しい力しか持っていないと痛感するようになりました。

外国・支配者などの強者に対して、平均的日本人はおとなしく、声高にものを言わず、後ずさりします。平均的日本人は性格が穏やかで喧嘩も交渉もできない。ところが諸外国を見ていると、欧米であれ、中東であれ、交渉に臨む場面では、「勝ってやろう」という気迫が顔つきや声だけではなく、全身にみなぎっているのが感じられます。

身近なところでは買い物で値切りの交渉をするところから、大きくは国家間の交渉に至るまで、日本人のおとなしさ、淡白さに比べ、諸外国の人々は「何が何でも勝つ」という発想で、交渉に臨む姿勢はしたたかでもあります。

こうした差はなぜ生じたのか。人類がアフリカで誕生してから、中東、南欧、中欧へと人々は移動し、さらに東のアジア大陸へ移動し、中国大陸の東端や朝鮮半島を経て、日本列島へとたどり着いたのがわれわれの祖先です。強い者たちはその地に住み着いて生活しますが、弱い者たちはその地では食べていけず、ほかの土地へ移動せざるを得なかった。

その仮説に基づけば、ユーラシア大陸を東進し、さらに東端の日本列島へと至った我々の祖先は、争いに勝った経験は少なく、負けて新天地を目指した人、あるいは性格が温厚で争い事を好まない人の集まりだったのではないかと思われます。その子孫である私たちは、外部との争いや交渉が苦手なのも無理はないのかもしれません。

人間心理を知ることで交渉はうまくなる

社会心理学では説得的コミュニケーションの方法をいくつかに分類しています。米国のように「ドア・イン・ザ・フェイス・テクニック」(後述)という強気の技法を国際交渉の舞台で駆使する国家と、日本のようにそうした技法を知らないか、知っていても使えない国家との交渉では、勝敗はおのずと明らかです。

そこで以下に述べる説得・交渉テクニックが非常に重要になってきます。ビジネスの現場でも「強気の遺伝子」を持った人たちはこれらのテクニックを有効活用することが予想されます。しかし、「弱気の遺伝子」を持つ人たちでも、これらのテクニックを学習し訓練すれば、強気の相手に対しても効果的に使用し、「柔よく剛を制す」ように勝つことが可能になるはずです。

では、社会心理学で研究・分類されている交渉テクニックをいくつかご紹介しましよう。

(1)フット・イン・ザ・ドア・テクニック(FITD)

小さな要請から始めて、次に大きな要請をする段階説得法。人は一度小さな要請に応じれば、次のより大きな要請に対しても応じやすくなるという心理傾向に基づく。

(2)ドア・イン・ザ・フェイス・テクニック(DITF)

最初の要求が応じかねるほど大きな時は人はその要請を断るが、その後に小さな要請があれば応じやすくなるという心理傾向に基づく。人は譲歩した相手に対しては、自分も譲歩する傾向がある。

(3)ザッツ・ノット・オール・テクニック

DITFの変形。DITFと異なる点は、相手の拒否の返事を待たずに要請水準を下げていく、または相手にプラスになるものを付け加えていくという点。テレビショッピングで「今日はさらにこれとこれをおつけして同じお値段」という宣伝文句がこれに該当する。

(4)ロー・ボール・テクニック

相手が取りやすいボールを投げてまず取らせてしまう、つまり決定させてしまい、後で良い条件を取り除いたり、逆に悪い条件を付加するという方法。人は一度ある決定をしてしまうと、後でその内容が変わっても――すなわち良い条件が取り除かれたり、逆に悪い条件が追加されたりしても――なかなか決定を変えようとしないという心理傾向を利用。

(5)フォー・ウォールズ・テクニック

「イエス」「イエス」と答えさせておいて、最後にも「イエス」と答えさせる方法。

(6)ブーメラン・テクニック

相手の考えと同じ考えをわざと強調してブーメラン反応(当初の意見とは逆の意見が頭に浮かんでくること)を誘い、相手を逆方向に意見変容させる技法。

これらは私たちの日常生活でも経験することではないでしょうか。

正々堂々だけでは勝てない

交渉において重要なのは、「相手の目的は何か、そのために何をしようとしているのか」を見極めることです。日本人は武士道の影響なのか、交渉においても「正々堂々と立ち向かう」という傾向の強い人が多いようです。ところが欧米や中東では「何としても交渉に勝つ」という気概に満ちていて、「相手の弱みを突いてでも勝つ」という傾向があり、まさに心理的弱点を突くような交渉テクニックを駆使するのです。

日本人は、「良い製品」を作り、輸出することで成功してきました。輸出先の国情や国民の嗜好を綿密に調査し、相手国の文化、習慣に合うように、日本で作ったものをわざわざ修正して輸出する。私はこれを「あらかじめ屈折」と呼んでいます。最初から相手に合わせた製品を売り込めば、交渉をいちいちしなくても買ってもらえると考えるわけです。こうした発想と行動も、交渉より結果で勝負する穏やかな気質の一面を示しているように思います。

これからの日本人、とりわけ外国との交渉に当たる人々は、「説得交渉術」をもっと勉強する必要があると思います。説得交渉能力、説得交渉コミュニケーションスキルというものを、これからは体系的に学ばなければ、外国との交渉で勝利を収めることは難しいのではないでしょうか。


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なぜ人は思い通りに動かないのか(第2回)

会議がつまらない――集団浅慮の落とし穴

  • 榊 博文2007年10月23日(火)

「3人寄れば文殊の知恵」ということわざがあります。1人で考えるよりも、何人もの人々が寄り集まれば、何倍もの知恵が出てくるというものです。果たして本当なのでしょうか。

もし本当ならば、大勢が集まる会議で意見を出し合えば、素晴らしいアイデアが出てくるはずです。しかし、実際にはそうではありません。会議は時間がかかるばかりで、その場で目覚ましいアイデアが出てくるようなことはあまりありません。1日に何度も会議に出席するような方々は、会議の結果が必ずしも望ましいものばかりではないことが骨身に染みていることでしょう。

「集団思考」「集団浅慮」が意思決定を誤らせる

社会心理学で「集団思考」あるいは「集団浅慮」と呼ばれている現象があります。集団で意志決定をする場合に、集団であるからこそ最適な決定ができなかったり、間違いを犯したりすることに着目した概念です。

やや専門的になりますが、米国の社会心理学者ジェニスは集団思考を次のように説明しています。

「集団思考とは、凝集性の高い(まとまりが強い)内集団で、意見の一致を重視するあまり、取り得る可能性があるすべての行動の現実的な評価を無視する思考様式である」

有名な例は、1961年の米国ケネディ政権によるキューバ・ピッグス湾侵攻に関する決定プロセスです。

また、日常の会議でも起こりがちな集団思考の前提条件は次のようなものです。

(1)高度に凝集性の高い意志決定者群である

(2)外部の影響から集団が隔離されている

(3)指導的なリーダーがいる

(4)取り得るすべての行動を注意深く考慮する確認手続きがない

(5)リーダーが考えるよりも良い解決方法が見つからない場合に、外部の脅威から強いストレスが加わり続ける

一見するとメンバーの士気が高く、指導的なリーダーの下でよくまとまっている、理想的とも思えるような意思決定集団です。

極端な方向に振れ、異論を言えない雰囲気に

ところが、こうした状態では「集団極性化」(後述)が進行し、ある極端な方向に意見がまとまりがちになってしまいます。考えられる可能性を注意深く比較検討しなければならないはずの会議で、ある特定の意見が支持を集め、疑問を感じつつも異論を述べることができないような雰囲気を経験されたことが、どなたにでも1回はあるでしょう。それが「集団思考」なのです。

ここで、「集団極性化」というのは、集団討議の後で集団全体の立場がより極端な方向へ変化する現象のことを言います。より安全な方向へ変化することを「コーシャスシフト(Cautious Shift)」と言い、より危険な方向へ変化することを「リスキーシフト(Risky Shift)」と言います。この集団極性化がさらに進行すると、比較的有能な教養ある人たちでも、何かを決める時に決定の質が落ち、とんでもない誤ちを犯すことがあるのです。

会議で議長が出席者に「ご異議ありませんか」と問うことがあります。ここで「全会一致の幻想」が働くと、何かを述べようと思っていた出席者も「疑問や異論の自己検閲」をすることで沈黙してしまいます。全体の決定に異論を唱える人に対して、その意見を取り下げるよう直接的に圧力をかける人も出現します。

企業の不祥事隠しの温床に

こうして、疑問も異論もなく全会一致で決定したことが、後になって大きな失敗を引き起こすことがあります。企業の不祥事が相次いでいる背景には、知らず知らずのうちにこうした集団思考に陥っているケースが少なくないと思われます。また先の戦争で日本軍部内での集団思考が大きな惨禍を招くことになったことも事実です。

集団思考を避け、集団的意志決定を実効あるものにするためにはどうすればいいのでしょうか。以下に列挙してみましょう。

(1)リーダーは提出された意見に対して異論や疑問を出すことをメンバーに奨励し、メンバーからの批判を受け入れること。

(2)リーダーは最初はむしろ中立的な立場を取り、メンバーが自分の意見を述べた後で自分の立場を述べること。

(3)大勢の意見にあえて反対意見を述べることを役割とするメンバーを、集団内に少なくとも1人は入れておくこと。

(4)問題となっている事柄が敵対的関係にある組織に関する時は、その組織の情報収集に多くの時間を充てること。

(5)集団をいくつかの下部委員会に分けてそれぞれ独立に議論させ、後で一緒に相違点を明らかにすること。

(6)場合によっては、集団外の専門家を議論に招き入れること。

反対意見を言う人を入れることが大切

こうした対策を取ることによって、集団思考に陥ることを回避できる可能性が高まります。特に、(3)の「反対意見を言う人を必ず入れる」ことは大事だと思います。

集団で意志決定する時に必ず集団思考に陥るとは限りません。しかし、成り行きに任せていると、陥る可能性が高いことを社会心理学では実験によって確認しています。

日常の会議では、そういった弊害があることを知らないで参加している人が少なくありません。逆に、自分の都合のいい方向に結論を誘導するために集団思考を利用するような人もいるのです。会議にはそうした落とし穴があることを、まずは知ることが大切なのです。


なぜ人は思い通りに動かないのか(第3回)

他人に合わせてしまう――自己と集団の間にある葛藤

  • 榊 博文 2007年10月24日(水)

 

人は1人でいる時と何人かでいる時では、行動が変わることがあります。例えば、何人かで飲食店へ行って食事や飲み物を選ぶ時、最初に誰かが注文するとほかの皆も同じものを注文した経験はありませんか。仕事の後で何人かで飲みに行って、「ご注文は?」と聞かれ、最初の人が「ビール」と答えると、後の人も「取りあえずビール」と答えるような光景です。

お店の人が注文を聞きに来る前は、「ウーロンハイにしようかな」「熱燗がいいな」と思っていても、最初の1人が「ビール」と注文し、次の人もその次の人も「ビール」となると、1人だけ別のものを注文するのは気が引けて、周囲に同調してしまうのです。

また、会議で自分の意見を述べようと思っている時、他の出席者がことごとく自分とは逆の意見を述べた場合、あえて自分だけ反対の意見を述べることは勇気が必要です。自分の意見を引っ込めて、多数意見に賛成してしまうことが少なくありません。

つまり、人は何人かでいると、ほかの人の発言や行動の影響を受けて、もともとの自分の意見や行動を変えてしまうことがあるのです。

“サクラ”の誤解答に大勢の人が誘導されてしまう

米国の社会心理学者アッシュは、この人間心理に関する実験を行いました。まず、1本の線が書いてあるカードを見せて、次に3本の線が書いてあるカードを見せます。このうちの1本は最初に見せたカードに書いてある線と同じ長さで、ほかの2本は明らかに長さが異なります。3本の線のどれが最初のカードの線と同じ長さかを指摘させる簡単な質問で、まず間違えることはありません。

ところがその場にいるほかの回答者を、あえて間違った答えをする“サクラ”にしておくと、被験者は内心「おかしい」と思っていてもその回答者に同調して誤った答えをしてしまうことが多いのです。サクラに全く影響されなかったのは26%に過ぎませんでした。

これが「集団への同調」と呼ばれる現象です。テレビコマーシャルで「この商品は既に大勢の人(会社)が使っています。あなたはまだお使いではないのですか?」というようなメッセージが流されることがあります。これも集団への同調を利用したものです。

流行を追う人は「集団への同調」で安心を得ている

流行も集団への同調の一種です。流行を最初に起こす人は、自己顕示、個性化、差別化、自己主張の動機から流行を取り入れます。流行に追随する人は「社会から受け入れられたい」「社会の一員でありたい」「自分も皆と同じでありたい」という社会的帰属の動機からこれを受け入れます。自分も皆と同じであることで、人は制裁や懲罰、嘲笑を免れ、安心できるわけです。流行に乗るということは、集団に同調しているということにほかなりません。

あなたが飲食店に入ろうとする時、店内に客が全くいない店と、客で賑わっている店とでは、どちらを選ぶでしょうか。多くの人が後者を選ぶのです。ところが、1人の客が店に入ると、今まで閑古鳥が鳴いていた店がたちまち満員になってしまうようなこともあります。人の行動は、そのぐらい他人から影響を受けやすいものなのです。

この影響は、プラスにもマイナスにも働きます。先ほどのアッシュの実験でサクラの中に正しい答えをする人を1人入れておくと、ほとんどの被験者は“誤答するサクラ”の影響を受けずに正しい答えを選ぶことも分かりました。自分1人だけだと弱気になって確信が揺らぐのに、味方がいると強気になるわけです。

社会心理学者のクラッチフィールド、クローン、マーローの研究によると、“同調しやすい人”は以下の特質を備えています。

(1)社会的関係が未成熟である

(2)自信がない

(3)性格が固く、権威主義的である

(4)社会から認められたい

(5)知的な影響力を持たない

もし以上のような性格を持つ人が同調行動を起こしやすいとするならば、どのような場合でもそのような傾向にあるはずです。ところが実際には、その時々の状況的要因が入ってくるので、それらの相互作用として同調行動は起こります。またその人が前記の5つの特質のうち、特にどの点において強い傾向を持っているかによっても変わってきます。

「制限」は欲求を刺激し、「強制」は欲求を削ぐ

一方、人は他者からの強制や圧力によって自分の信条や行動の自由が除かれたり、脅威を受けると、心理的リアクタンスが生じます。心理的リアクタンスとは、人が自由を侵害された時に喚起される自由を回復しようとする動機づけ状態のことです。

心理的リアクタンスが生じると、自分の行動を決めるのは自分自身であるという感情を引き起こし、制限された行動に対する欲求や魅力を増加させる一方で、強制された行動に対する欲求や魅力を減少させます。自分が望んでいることを禁止されると無性にやりたくなる。逆に、自分が望んでいないことを強制されると絶対にやりたくなくなる。そういうことは、誰でも経験したことがあるでしょう。

しかし、人は自分の考えとは違う行動を取ってしまう場合、あるいは取らざるを得ない場合が少なくありません。前述のアッシュの実験でも、「おかしい」と感じつつ、ほかの回答者の答えに引っ張られてしまう。自分だけ周囲とは別の答えを選ぶのを躊躇し、「間違っている」と思う答えの方を心ならずも選んでしまうのですから、心の中では激しい葛藤が起こります。“考え”と“行動”が矛盾している状態を社会心理学では「認知的不協和」と呼びます。

会社などの集団の規範と、自分の意見が異なっていると、それだけで認知的不協和が起こり、人はこの不協和を解消しようとします。

「認知的不協和」は時として、不祥事を生む温床に

不協和がそれほど大きくない場合は、「自分の考えの方が正しい」と思うことができます。しかし、不協和が大きくその重圧に耐えられないような場合には、自分の考えを集団の規範に近づけ、集団に同調することで不協和を解消しようとします。

こうした心理的葛藤は常に意識的であるとは限りません。会社や部署の“空気を読む”ことによって、無意識のうちに自分の考えを抑圧し、最初から受け入れられやすい方針や行動を取ることが少なくないのです。帰属する集団に順応しようとするのは、認知的不協和を解消する、あるいは起こさないようにする方策なのです。

人はほかの人の考えや行動を見て、自分自身の考えや行動を変えるものなのです。1人でいるのか、大勢でいるのかによって、行動が大きく変わってきます。ですから、人は予想とは全く逆の行動を取ることがありますし、ある行動が伝染するように多くの人々に拡がることもあります。

この原理を利用すれば、人の行動を意図した方向に誘導することも可能です。また、会社組織にそうした行動が根づいてしまうと、不祥事を生む温床にもなりかねません。そうした点には、十分注意する必要があります。


なぜ人は思い通りに動かないのか(第4回)

知らぬ間に気持ちを逆なで――テレビの“山場CM”の場合

  • 榊 博文 2007年10月25日(木) (このシリーズは今回が最終回です)

 相手の心理を読んで行動したつもりが、逆に、反感を買ってしまうようなことはよくあるものです。例えば、テレビで最近流行の“山場CM”を取り上げてみましょう。

消費者に購買意欲を起こさせるために、毎日多くの“広告”が露出しています。広告には商品情報の視聴者への提供、購買促進、娯楽、教育など多くの機能が含まれています。広告が視聴者の態度に与える影響は、広告の送り手にとって重大です。特に、テレビCMの影響力はほかのメディアの比ではないと言っていいでしょう。

ところが10年ほど前から、テレビCMの持つマイナスの側面や効果がしばしば指摘されるようになってきたのです。

山場の直前にコマーシャル──効果的どころか反感を買う

従来、CM露出に際する主要な問題は、「番組枠かスポット枠か」「曜日」「時間帯」「番組内容と広告商品との適合性」「15秒CMか30秒CMか」といったことでした。ところが、最近、「番組内CMのタイミング」が問題視されています。

最近のテレビをご覧になればお分かりのように、ドキュメンタリー、バラエティー、クイズ番組、ドラマなど多くのテレビ番組で、「ここぞ」という山場になると、いったんCMが入ることが増えています。視聴者の気を引くことによって、CM明けまでテレビの前に釘づけにすれば、その間に流れるCMもよく観られるはずだ、というのが狙いです。

このような“山場CM”を見せられた視聴者は、「番組の次を観たい、知りたい」という欲求を掻き立てられるどころか、逆に、不快感や嫌悪感といった負の感情を抱いてしまうことが少なくないのです。

社会心理学の観点では、CMに対する「認知反応」が起こる前に「感情反応」が生じてしまい、CM内容を理解したり納得したりすることを阻害していると考えられます。感情反応が認知反応に歪みを与え、人の態度や行動に影響を与えることは既に知られている事実です。

そうなってしまうと、“山場CM”は「番組視聴率」と「商品の売り上げ」の双方にとって本当に効果的なのかという疑問が生まれます。CMを出すタイミングに対する不快感や嫌悪感が、CM内容への反感、ひいては商品やそれを販売する企業に対するネガティブなイメージにつながってしまうのです。また、長期的に見れば、テレビ嫌いの人を増やしてしまう恐れもあります。

“一段落CM”の好感度は“山場CM”の6.6倍

テレビ番組を観る人の中には「その番組が好きだから」という理由だけではなく、1日の疲れを癒やしたいとか、リラックスしたいという理由で観る人もいます。そのような人々にとって、テレビが新たなフラストレーションの原因になってしまう可能性があるのです。

実際、筆者らが2002年に行った「番組内CM提示タイミングが視聴者に与える影響に関する調査」では、山場CMを提示されると、視聴した多くの人々が極めて高い不快感を経験し、まずCMと番組に怒りの矛先を向けました。山場CMの商品に関しては「好感が持てない」「買いたくない」「覚えていない」という回答もあり、決して無視できません。

購買意欲に関して、番組の区切りのよいところで流す“一段落CM”の商品を買いたいと答えた人は、山場CMの商品を買いたいと答えた人の6.6倍にも達しました。記憶度に関しても、一段落CMの商品を覚えていると答えた人は山場CMの商品を覚えていると答えた人の2倍強です。つまり、購買意欲、記憶度のいずれを取っても、一段落CMの方が山場CMよりも効果的なのです。

ちなみに、日本ではニュース、ドキュメンタリー、バラエティー、クイズで山場CMが流され、一段落CMは映画、スポーツで多く流される傾向があります。米国では、ニュースとドラマではばらつきがあるものの、ドキュメンタリー、映画、スポーツ、バラエティー、クイズでは、ほぼ一段落CMです。

英国では映画以外のほぼ全ジャンルにおいて一段落CMであり、映画にしてもごくわずか、それほど大きな山場ではない場面に挿入されるCMです。フランスでは、そもそもCMが非常に少ないうえに、全ジャンルで一段落CMであり、山場CMはありません。

人の心につけ込むとしっぺ返しを食らう

山場CMによって生じた不快感情を解消するために、視聴者は意識的に、あるいは無意識のうちに“ザッピング”という行動に出たりします。さらに、山場CM明けの展開は期待外れであることが圧倒的に多く、それを何回も経験すると「学習効果」が生じ、視聴者はチャンネルを変えたらもう戻ってこないか、テレビのスイッチを切ってしまうという選択をするようになります。

最近は番組の間につぎつぎとCMが怒涛のように流れ、そしてCM明けに場面の繰り返しが少なからずあるので、視聴者はCM時間を余計長く感じ、その間に携帯電話のメールのやり取りをしたり、ほかの用事を片づけてしまったりするのです。これも不快感を解消するための学習効果の1つと言えるでしょう。結局、視聴者はCMを見てくれないのです。

これは余談ですが、最近、9時55分とか10時54分など区切りの悪い時刻に始まる番組が増えています。他局よりも少し早く番組を始めることで、視聴者を自局に引きつけようという狙いがあるようです。しかし、多くの視聴者にとっては区切りのいい時刻にチャンネルを合わせるというのが、ごく普通の感覚でしょう。視聴者からすればテレビ局側の意図が透けて見えるだけで、好感を持って受け入れられているとは考えられません。

視聴者の心理を突いたつもりになって始めた“山場CM”が、逆にCMや番組、商品や企業に対するマイナスのイメージにつながっている――。ビジネスでは、人間心理をよく理解して行動することが大切ですが、人の心につけ込んだり、やり過ぎたりするとかえって逆効果だということを物語っています。

(このシリーズは今回が最終回です)