民主主義でない国々の選挙について 早稲田大学政治経済学術院教授 河野 勝

民主主義国家とそうでない国家とを区別する最も重要な制度が選挙であるという考え方は、今日でも根強く残っている。民主主義のもとでの選挙は、競争的であることや定期的に実施されることが前提である。特定の政党に属さなければ立候補も当選もできないような選挙は、競争的とはいえない。また、選挙の実施自体が、為政者の思いつきや裁量によって決められるのであれば、選挙が制度として確立しているとはいえない。このように考えると、制度化された選挙によって民主主義を定義するのは、ごく常識的にも思える。
 ところが、最近、この「常識」が通用しないことが明らかになっている。というのは、どうみても民主主義と評価できないような国々、すなわち特定の個人や特権的な氏族・階級が長く権力に居座っているような国々でも、競争的で定期的な選挙が実施されていることが広く観察されるからである。選挙の有無で民主主義かそうでないかを決める二分法は、単純すぎる。 それにしても、権力をほしいままにしている独裁者や特権集団が、なぜわざわざ民主主義のような選挙を実施するのだろうか。選挙をすれば、確率は低いかもしれないが、選挙に負け、政権を明け渡さなければならなくなる危険もある。また、たとえ勝ったとしても、選挙を通じて、抵抗運動を勢いづかせてしまう可能性もある。こうした危険や可能性を天秤にかけても、権力者たちが選挙で得るものは何なのか。興味深い問いが、ここにある。
 この問いに、いま多くの気鋭の政治学者たちが取り組んでいる。まさに最先端の研究テーマなので、定説が確立されるには至っていないが、いくつかの見解が提示されている。
 一つは、権力者たちは、自らの体制の正統性を高めるために選挙をするという説である。国内で絶大な振るう権力者であっても、国際的な評価を気にかけることがある。例えば、国際機関に加盟したり、他国から経済援助を受けたいと望んでいると、自らの権力基盤が暴力や強要によって築かれたものでないことを対外的に示すことが必要になる。
 もう一つの考え方は、選挙を行うのは権力者たちが自らの力を誇示するためだ、という説である。暴力や強要によってではなく、堂々と選挙を行っても勝利を収めることができることを示せれば、政権の外にいる批判勢力、さらには体制内にくすぶる反乱分子に対するメッセージとしては、大きな意味を持つ。
 さらに別の見解として、選挙は情報収集のために行われる、という説がある。独裁者は、弾圧を恐れる国民の本心を知ることができない、というジレンマを抱えている。それゆえ、反対勢力を押さえ込みたくても、そもそもどの地域にどれほどの反対勢力が分布しているのかさえわからない。選挙結果を通して、その分布が判明すれば、それは体制存続にとって貴重な情報なのかもしれないのである。 お気づきのとおり、正統性にせよ、力の誇示にせよ、情報収集にせよ、どれをとってみても、独裁者が目的を達するためには、不正のない真っ当な選挙をするインセンティヴを持っていることになる。ここに、民主主義でない国々でも民主主義的な選挙が行われているというパズルを解く鍵が隠されているのである。