地方議会に未来はあるか? 大山礼子(引用)

「地方議会活性化シンポジウム2018」という総務省主催のイベントからの文章です
https://www.soumu.go.jp/main_sosiki/jichi_gyousei/bunken/chihogikai_2018.html

基調講演として、駒澤大学法学部教授 大山礼子 氏の「地方議会に未来はあるか?」

クリックして000562255.pdfにアクセス

この問い「地方議会に未来はあるか?」を、自分に引き付けて、
「三宅町議会に未来はあるのか?」と問われたら?
三宅町議会の議員として、回答すると・・・・

例として「定数削減」を考えてみます。
「議員の人数を減らす」という問題です。
住民さんの多くは「数を減らすべき」「減らしても大丈夫」と考えています。
検索ワード【アンケート結果 議員定数削減】

同じように面白いアンケート結果もあります
【ご自身の地域の議員定数はご存じですか?】という質問に、「知らない」と回答する人が半数はあるという結果もあります。

とにかく、住民さんは「議員の数は減らせ」という意見が多い。ということになります。

一方、議会や議員の役割を考える側(学者とか研究者など)は、
「議会の役割は○○なので、人数を減らすならその機能が弱くなるよ」と警戒するものも多いです。
検索キーワード【地方議員 定数削減】

ちなみに、三宅町議会で定期購読している『地方議会人』という雑誌では、「君たち定数削減が議会改革だと思ってないよね? それをする前にもっとやることあるだろ」という論調ばかりです。

こういう中での「議員定数削減」の問題です。
われわれ住民の代表なので、住民さんの多くは「人数減らせ」ですし、
議会の役割を重視する立場の考えは「本当に、人数減らして大丈夫か」という危機感がいっぱいです。

さあ、ここで、あなたはいち議員はどうする、という立場が問われています。

まず、
「議会の役割を重視する立場の考えは「本当に、人数減らして大丈夫か」という危機感がいっぱいです」ということを知らないという議員は問題外だと思います。
では、
住民の代表の議員として「減らす」という立場をとるなら、議会の役割を考える側の「危機感」を受けて、
「何人にするのがいいのか?」を考えなければなりません。

わが三宅町議会では、「何人にするのがいいのか?」を話し合ったことすらありません。
もしかして、『「議会の役割を重視する立場の考えは「本当に、人数減らして大丈夫か」という危機感』を知らない議員が多数派なのか? と私は感じています。

ですので、
「三宅町議会に未来はあるのか?」と問われたら?
今の答えは、×××××××××××××自己規制×××××××××××××××××××××


地方議会に未来はあるか?   

1.  足元から自治を脅かす地方議会の危機

地方自治法制定から丸70年の節目を迎えた2017年、地方議会関係者にとってショッキングなニュースが報じられた。議員のなり手不足に悩んだ高知県大川村が、議会を廃止して、代わりに村総会を開くことを検討しているというのである。その後、大川村は方針を転換し、議会の存続に全力を尽くしていくと伝えられるが、この出来事をきっかけに、大川村のみならず、多くの地方議会が直面している危機的状況に改めて注目が集まることになった。

 地方議員のなり手不足は全国的な現象である。2015年の統一地方選では四町村が定数割れとなったが、そのほかにも、定数減を実行して辻褄を合わせている議会が少なからず存在する。定数を満たした議会でも無投票当選がじわじわ増加しており、都道府県議会、町村議会ともに約二割の議員が選挙を経ずに選出された。市議会での無投票当選の比率は1955年にはわずか0.4%であったが、2015年には3.6%まで増加している。今後は、なり手不足とは無縁と思われていた都市部においても、候補者探しが難しくなっていくのかもしれない。大選挙区制で行われる市町村議会選挙では、候補者数が定数をわずかに上回るだけの選挙も増えている。
 なり手不足の顕在化と並行して、投票率の低下も深刻である。統一地方選挙の投票率は2015年まで四回連続して過去最低の記録を更新中で、2015年の市区町村議会議員選挙の平均投票率は四七・三%、都道府県議会議員選挙では45.0%にとどまった。
 言うまでもないことだが、議会が「住民代表機関」として機能するためには、その構成員である議員が住民の投票によって選出されることが大前提である。無投票当選はもちろんのこと、定数プラス一名の立候補者で争う選挙なども、実質的に議員を選ぶ機会を住民に提供するものとは言い難い。選挙が実施されても、投票率が極端に低下すれば、当選者は住民の信任を得たと胸を張るわけにはいかなくなってしまう。候補者が減少した活気のない選挙は、さらに投票率を低下させる悪循環を引き起こす原因にもなろう。
 選出された議員が果たして住民のさまざまな意見を代表しているのかどうかにも、大いに疑問がある。議員構成の偏りは大きく、とくに深刻なのは女性と若者の過少代表である。諸外国の例を見ても、住民に身近な行政を担当する地方議会では国会より女性議員比率が高いのが普通だ。ところが、日本の場合、地方議会における女性議員比率はわずか一割前後に過ぎず、世界最低レベルの国会(2017年総選挙後の衆議院の女性議員比率10.1%は世界193カ国中の161位)と同等ないしそれ以下である。議員の平均年齢は高く、町村議会では60歳以上の議員が全体の約七割に達する。職業分布にも偏りがあり、議員専業者を除くと、農林業、不動産業 などの自営業者が大半を占めている。

最近は、議員の不祥事などをきっかけに、地方議会に対する住民の不信感が募っている。「議員定数は少なければ少ないほどよい」という住民も少なくなく、議会不要論も出るありさまである。住民の過半数にとって、議員は「何をしているのかわからない」という調査結果もある。
しかし、不要どころか、議会の果たすべき役割は今後、ますます大きくなるはずだ。
その理由の第一は、地方分権改革によって、都市計画権限などが自治体に移譲され、首長の裁量権が拡大していることである。今後、地方財政制度の改革が進み、財政自主権が強化されれば、首長の権限は一層強大なものになる。監査委員制度の充実と並んで、議会によるチェックが欠かせない。
第二に、将来的に想定される自治立法権の拡大がある。国の法令の規律密度の引き下げや条例による上書き権の法定化などの改革が進めば、自治体独自の政策決定の可能性が広がる。議員発案のいわゆる政策条例の活発化が期待されるほか、首長提案による条例案についても議会審議の重要性が増すであろう。
そして、第三の理由は、人口減少と低成長の時代を迎えて、従来型の利益分配とは逆に、負担の分配の必要性が生じていることである。住民サービスの水準引き下げや税負担増など、これからの課題になると思われる政策転換を実施するには、住民の合意が不可欠である。地方議会は住民各層の代表者が忌憚なく議論する場であり、大方の住民が納得できるような結論に導く任務を負っている。
ただし、議会への住民の信頼が失われてしまえば、議会がその役割を十分に果たすことはできなくなる。直接民主制的手法に期待する意見もあるが、よほど小規模な自治体でもない限り、多くの政策課題について議会なしで住民の合意を図ることは不可能である。議会が機能不全に陥れば、自治そのものが成り立たなくなってしまうだろう。

2. 住民に届かない議会改革の意欲

地方議員のなかにも、地方議会の現状に危機感を抱く人々はけっして少なくない。これまでも、そうした議員が先頭に立って、議会改革を進めてきた。
2006年に初めて北海道栗山町が議会基本条例を制定して以来、栗山町にならって条例制定を検討する議会が増え、現在までに市議会の六割以上、全体で700以上の議会が議会基本条例を制定している。議会基本条例の内容はそれぞれの議会によって異なるが、多くの議会に共通するのは、情報公開の推進(議事録のインターネット公開、政務活動費の使途公開など)、住民参加の拡大(議会報告会の開催、住民からの意見受付、傍聴者の発言機会確保、休日・夜間議会の開催など)および審議の改革(通年会期の採用、一問一答方式の導入、議員活動補佐体制の強化など)である。
近年の地方自治法改正も議会の改革を後押ししてきた。2000年から2017年の間に行われた10回に及ぶ改正のうち八回は、地方議会に関する規定の修正を伴うものであった。その内容は、議会活動の自由度を増すもの(定例会招集回数の自由化、議員定数の法定上限の撤廃、委員会運営等に関する法定事項の条例委任など)と議会の権限を強化するもの(臨時会招集請求権の議長への付与、専決処分不承認および決算不認定の場合の長から議会への報告義務など)に大別できる。とりわけ議会活動を自由化する改正は、それぞれの議会が創意工夫によって一層の改革に取り組むことを可能にしたといえよう。
もちろん地方議会がすべて同じような熱意をもって改革に取り組んできたわけではなく、地方自治法改正による規律密度の低下は、先進的な試みを実行している議会と旧態依然たる運営を続けている議会との差を拡大した側面もある。しかし、国会と比較すれば、地方議会のほうが総体としてはるかに改革に積極的であることは間違いない。
国会では数十年来、細切れの会期制度や会期末に多くの議案が廃案になってしまう「会期不継続原則」の見直しが提唱されていながら、一向に実現する気配はない。与野党対立一辺倒の審議を見直して、立法過程を改革しようという動きもみられない。地方議員の政務活動費の使途がしばしば問題にされるが、国会議員に支給される月額100万円にものぼる「文書通信交通滞在費」には使途の報告義務さえない。国会と比較すると、地方議会は有権者からの距離が近く、厳しい批判にさらされるがゆえに、改革への努力を怠るわけにはいかないのだろう。地方議会同士の競争が改革への推進力になっているとも考えられる。
ところが、こうした議会側の努力にもかかわらず、住民の議会イメージはそれほど改善していないようだ。あいかわらず、住民から求められる議会「改革」の筆頭は、議員定数の削減、あるいは歳費や政務活動費の削減である。議員定数削減とは住民自身の代弁者の数を減らすことであり、経費の過度な削減は住民代表である議員の活動力を殺ぐものであるのに、それが「改革」の第一に掲げられるとは、一体どうしたことであろうか。
 議会改革は議員のなり手不足の解消にもつながっていない。改革のトップランナーである栗山町でさえ、2015年の選挙では定数と同じ12名しか立候補せず、全員が無投票当選となった。

改革の意欲や成果が住民に届かないのはなぜだろうか。
 その原因の一つは、これまでの議会改革が審議手続の改革に重点を置いてきたことにあるのではないか。
 議員間討議の実施、一問一答形式の導入、反問権を長に認めることなどは、いずれも審議を活性化するうえで重要な改革である。しかし、あくまで議会内の改革に止まるため、日頃傍聴に出かけたり、議事録をまめにチェックしたりしている人でもない限り、一般の住民にアピールする効果は薄い。また、議事録の公開など、議会活動の公開性を高める改革は住民代表機関として当然取り組むべきもので、民主主義の根幹に関わる重要性をもつが、これも審議の中身に関心のない住民にとっては大きなメリットを感じられないかもしれない。改革が行われたことに気づかない可能性さえある。
住民が議会の存在意義を評価するのは、議会の活動によって政策が変化し、地域の課題を解決できたと実感できるときであろう。議会報告会などを開催して、活動内容を知らせることは、政策決定過程における議会の役割について住民の理解を得るための試みとして評価できる。しかし、結果の報告に終始していては、所詮他人事という印象を与えかねない。住民が議会活動を「わがこと」としてとらえるには、政策決定過程に参加しているという感覚が必要なのではないだろうか。
 その意味で、今後の改革においては、議員と住民との協働関係をいかに構築するかが最重要課題となろう。すでにほとんどの議会がインターネット上での情報公開に取り組んでいるが、結果の公開・広報だけではなく、現在進行中の議題について住民の意見を募る仕組みを一層充実させる必要がある。比較的小規模の自治体であれ ば、日時を決めて住民の審議参加の機会を設けることも考えられる。長野県飯綱町が実践している「議会政策サポーター制度」のように、議員と住民から成る小グループで継続的に政策を議論する場を作っていく試みも有益であろう。
住民からの意見聴取は、これまで個々の議員任せにされてきた面があるのではないか。もちろん、議員が支持者の意見を聞くことは当然であるが、それだけでは議会全体の信頼回復にはつながらない。自分の知り合いの議員さんがよくやっているのはわかるが、議会が何をしているのかわからない、というのが、住民の典型的な反応である。議員との接点をもたない住民にとっては、なおさら議会活動は見えにくい。たとえば、議会ホームページに個々の議員にアプローチできるリンクを設けるなど、議員が議会の一員として住民の声を聞く姿勢を明らかにすることが必要だと思われる。

3.  選挙制度改革の必要性

低投票率や議員のなり手不足は選挙制度にも原因がありそうだ。
大川村からの問題提起を受けて、現在の二元代表制の仕組みそのものを見直し、シティマネージャー制導入などの抜本的改革を求める意見も出ている。少数精鋭の議会と町村総会を並立させる制度なども、長期的な検討に値しよう。しかし、それ以前に、選挙制度を変えることによって、事態を改善させる余地があるのではないか。
地方議会の選挙制度は基本的に戦前からの制度を引き継ぐものであり、1950年に選挙に関する規定がほぼそのまま公職選挙法に移されて以来、社会の大きな変化にもかかわらず、抜本的な見直しを受けることなく現在にいたっている。そのため、現行制度にはさまざまな歪みが生じている。
政令指定都市を除く市区町村議会の選挙は、市区町村全域を一つの選挙区とする大選挙区非移譲式単純多数制で行われている。法律上は自治体の判断にもとづいて選挙区を設定してもよいことになっているが、現職議員の利害や実務上の問題から選挙区を設けるのは容易ではなく、これまでほとんど例がない。議員定数が50に達する議会の選挙であっても、有権者はたった一人の候補者しか選ぶことができず、単純な得票順で当選者が決まるのである。その結果、大規模な議会では、有効投票の二%以下、有権者比では一%未満の得票で当選することもあり得る。これでは、有権者の投票意欲を低下させるばかりか、かりに有権者の大半があきれるような問題議員がいても、次の選挙で落選させるのは難しい。また、固定票を確保できる候補者はたやすく当選できるので、多くの議席が地区代表や各種団体の代表の指定席になりがちだという問題もある。
都道府県および政令指定都市の議会選挙は選挙区を設定して行われるが、人口移動によって選挙区ごとの定数の差が拡大している。とくに都道府県議会では、1947年には154区(18.4%)であった一人区が2013年には460区(40.4%)まで増加している一方で、県庁所在地など都市部の選挙区の定数だけが大きくなる傾向にある。鹿児島県の例では、21選挙区のうち過半数の11区までが一人区になってしまったのに、鹿児島市(および島しょ部)の選挙区だけが定数17と突出して大きい。選挙区定数の大小にかかわらず有権者が選択できるのは一人の候補者だけで、小選挙区と定数の多い中選挙区が混在している状況である。同じ議会の議員を選出する選挙であるにもかかわらず、地域によってまったく性格の異なる選挙を同時に実施しているようなものだ。農村地帯に支持基盤をもつ政党は一人区の議席を独占できるのに対して、都市部を基盤とする政党は都市の選挙区でも他党と議席を分け合わなければならないという不公平も生じている。
都市部への人口集中と市町村合併の進展によって、従来のような行政区画を基本とする選挙区の設定が困難になってきたため、2013年に公職選挙法が改正され、都道府県議会では郡の区域の分割・合併、指定都市議会では行政区の合併が可能となった。しかし、選挙区設定の自由度が拡大すれば、現職議員に有利な恣意的区割りが行われる危険性も大きくなる。
では、今後、どのように選挙制度を改革すべきなのだろうか。難しい問題であるが、検討にあたっては以下のような点に留意すべきであろう。
一つ目は二元代表制との関係をどう考えるかである。戦後改革によって首長公選制が導入され、自治の枠組みは大きく変わった。しかし、それに伴って選挙制度が改革されたわけではなく、二元代表制下の議会選挙のあり方が本格的に論じられたことはない。
議院内閣制下の議会は行政府の長の選出という役割を負っているため、行政府の継続性という観点から、議会内に内閣を信任する安定した多数派(与党)が存在することが望ましい。これに対して、二元代表制下における議会では多数派形成の必要性は低い。一般に比例代表制では多数派が過半数議席を確保するのは困難で、小党分立になりやすいとされるが、地方議会ではそうした点はそれほど気にしなくてよいことになる。
ただし、かりに都道府県全体を一区として比例代表制の選挙を行う場合には、各地域の代表をどのように確保するかが課題になるかもしれない。議員は地域代表であるべきだという単純化された意見に対しては、果たして同じ地域に居住しているというだけでそこの住民が「共同の利益」をもつと言えるのか、また、一人区選出のたった一人の議員が選挙区民の総意を代表できるのか、といった疑問もあるが、自治体の区域をいくつかの比例代表区に分割する、ドイツ連邦議会のような選挙区と比例代表の併用制を導入するなどの対応策を構想することは可能である。

二つ目の論点は、国会の選挙制度との関係である。戦前の選挙制度改革では、国と地方を連動させる議論が存在していた。1899年から1900年にかけて、府県会と衆議院についてそれまでの連記制を単記制に改める改正が行われたのち、1911年の市制・町村制の改正によって市会、町村会でも単記制を導入することになったのだが、その際の政府の説明は市町村だけが連記制を維持していては「制度の権衡を得ない」というものだった。
ところが、1994年に衆議院の選挙制度が大幅に変更され、中選挙区制から「政党本位」の小選挙区比例代表並立制に改められたにもかかわらず、参議院や地方議会の選挙制度には手がつけられなかった。結果的に、大選挙区制の市区町村議会では政党化が進展せず、無所属議員が多数を占める状況が残った。
都道府県・政令指定都市議会には中選挙区制が存続し、個人中心の利益誘導型選挙から脱却できずにいる。近年、首長新党が議会で多数の議席を獲得したのち、国政進出をうかがう動きが相次いでいるが、これも地方議会の選挙制度に一因があるといえよう。定数の大きい選挙区では新規参入や議員の鞍替えが比較的容易であり、新党の橋頭堡となりうるからである。
そして、最後に、上述の二点にも増して重要な論点は、議員の多様性をどのように確保するかということである。

住民代表機関に住民の多様な意見が反映されなければならないのは当然である。女性議員ゼロの議会で保育所の問題を論じることの不都合は誰にでも理解できるだろう。女性や若い世代の議員が多い議会ほど議会改革が進んでいるというデータもあるが、議員の多様性が従来の慣例にとらわれない、緊張感のある議会運営をもたらすと解釈できるのではないか。自治体運営が厳しさを増すなかで、多様な人材の参加は議会審議の質の向上にも欠かせない。また、議員構成が住民の構成と大きく隔たっていると、住民からみて、議会は自分たちには関係ない人たちの集まりになってしまう。議員の多様性確保は、議会制民主主義への信頼に直結する問題なのである。
多様な人材が活躍できる議会に変革していくには、広い意味での選挙制度改革が必要だ。女性や若い世代の議員を増やすには、小選挙区制よりも比例代表制のほうが効果的とされているが、狭義の選挙制度にとどまらず、被選挙権年齢の引き下げ、選挙運動の自由化、厳しすぎる立候補制限の緩和なども、同時に検討していくべきであろう。

4.  志のある人材が議会の未来を拓く

地方政治に志を抱く人材を議会に呼び込むためには、議員をやりがいのある魅力的な職業にしていかなければならない。行政監視は議会の重要な役割であるが、チェックだけが主要な任務というのではやりがいを感じるのは難しいかもしれない。もっとポジティブに、新しいアイディアを政策に活かしていくために、議員の試みを応援する議会でなければならないし、それを支える事務局体制の整備も必要である。
議会への参加を阻む障壁は選挙制度ばかりではない。候補者探しが難航する原因としてよく耳にするのは、現役世代は仕事が忙しくて余裕がないという話である。長時間労働が続いて政治に目を向ける余裕もないとすれば、肝心の仕事に関しても発想が貧困になるだろう。民間企業だけでなく、定員削減によって余裕を失った公務員の世界にも同様の問題が生じている。労働者の疲弊は社会全体の損失であり、働き方を抜本的に変革していかなければならない。現状では、とくに小規模市町村の議員報酬は低水準であり、仕事に見合ったものになっていない。議会がブラック企業化しているわけで、これではなり手がみつからないのも当然である。それぞれの議会で適切な議員報酬について議論を深め、住民の理解を得ていく努力が必要である。
同時に、多様な人材が議員として活動できるような体制づくりも考えるべきだろう。退職しないでも立候補できる立候補休暇制度、議員任期終了後には復職が可能となる休職制度などを全国一律に実施するには法制度の整備が必要だが、個別に地元企業の協力を得ることは不可能ではないはずだ。兼業議員の活動を容易にするための夜間・休日議会の開催なども、議会独自の判断で実現できることである。2017年には熊本市議会において子連れで出席した女性議員を厳重注意処分にするという事件があったが、子連れの是非はともかく、議会側に多様な議員を受け入れる積極的な姿勢があれば、違った対応がありえたのではないかと思える。
現在の危機をチャンスととらえ、幅広い人材に門戸を開いていくことが、地方議会の未来を拓くのではないだろうか。
(駒澤大学法学部教授)