議会局「軍師」論のススメ
第61回 「地方が国を変える」とはどういうことか?
地方自治 2022.02.10
本記事は、月刊『ガバナンス』2021年4月号に掲載されたものです。記載されている内容は発刊当時の情報であり、現在の状況とは異なる可能性があります。あらかじめご了承ください。
コロナ禍が未だに収束しないなかで、新年度が始まる。20年度は議会の世界でも、様々なイレギュラー対応を迫られたが、非常事態だからこそ、高いハードルを越えられた一面もあった。特に議会のオンライン化などは、平常時にはないスピード感で変革が実現した。
だが逆説的に言えば、外圧なしには変わらない一面も否定できない。
■変革を阻害するものは何か
筆者が社会人として駆け出しの頃、上司から言われた言葉が記憶に残っている。その主旨は「書いてあるとおりにこなすだけの仕事なら学生アルバイトでもできる。正職員としての真価は、できないと思えることを何とかするところにある」というものであった。
それは決して無茶をやれという意味ではない。課題に直面して思考停止するのではなく、解決策を模索するところからが、担当職員のウデの見せ所であり、本命の仕事だとの教示だと理解している。
だが、議会(事務)局では、やらない理由を並べ、放置することは執行機関よりも容易である。新たなことは議会の合意形成がされていないため、行動を起こさなければ多くの事は現状維持となる。
そのうえ、議会運営における「先例主義」に代表される根強い前例踏襲意識や、未だに払拭されていない中央に対する従属意識が、新たな試みを阻害するからだ。
■地方議会は国会のアナロジーか
今般の本会議等の欠席事由に産休を加える議論を例にとると、標準会議規則(以下「標準例」)を所管する3議長会(注)では、「産前6週、産後8週」と期間明示する標準例の改正を行った。
注 全国都道府県議会議長会、全国市議会議長会、全国町村議会議長会。
大津市議会では2015年に「産前8週、産後8週」と、会議規程を改正している。そのため標準例を上回る基準にした根拠等について、多くの質問を受けた。その根底には、内容の妥当性よりも、標準例と異なる定めをすること自体に対する畏れが感じられた。
また議会の世界においては、国と地方の関係における主従意識が根強く残っており、これが地方議会を国会のアナロジーとして捉えることにつながっている。
標準例改正過程では、「『国が対応していないのに地方がやるのか』という声があるのは事実」と議長会幹部が認めた話が報道されていた。その潜在意識には、国会よりも改革を先行させることを良く思わない主従意識がある。一方で「地方に広まれば、国の規定を変更することにつながる可能性はある」と、地方議会が国を変えることへの期待も表明している。
■地方が国を変えるために
地方議会人に求められる意識を、北川正恭・早稲田大学名誉教授は「地方議会が地方を変え、地方が国を変える」と総括しているが、コロナ禍中では、国全体が中央集権体質に逆戻りしている感が否めない。
だが、法的根拠がない国会への忖度を、できない理由として市民には説明できないだろう。
同様の意識は、オンライン本会議の導入に関してもあるのではないか。導入に憲法改正が必要とされる国会に忖度して、地方議会で必要となる地方自治法改正が棚上げされているとの話も報道されている。
もちろんそれが全てとは思わないが、オンライン本会議の実現が、「地方が国を変えた」先例として語られるよう、私的にも尽力したい。
*文中、意見にわたる部分は私見である。
———–
第62回「続・「地方が国を変える」とはどういうことか?」
本記事は、月刊『ガバナンス』2021年5月号に掲載されたものです。記載されている内容は発刊当時の情報であり、現在の状況とは異なる可能性があります。あらかじめご了承ください。
先月号では、「地方議会が地方を変え、地方が国を変える」との北川正恭・早稲田大学名誉教授の言葉を引用して、地方議会人に求められる意識について述べた。
今月号では一つの実践例として、大津市議会のオンライン本会議実現への取り組みについて触れたい。
■オンライン本会議実現の必要性
大津市議会では、全国初の公開での実証実験でもある「オンライン模擬本会議」を、議会BCPにおける議会防災訓練として1月末に行った。
それは、昨年春の庁内クラスター発生による本庁舎閉鎖の苦い経験によるところが大きい。議場への全員参集が困難となっても、議案審議を完遂できる手段の必要性を実感させられたのである。
オンライン本会議は、議会の本質に鑑みると、通常の本会議(以下「リアル議会」)を恒常的に代替させるべきものではないが、非常時に二元的代表制を機能させるために、導入は避けられないものであろう。
だが、昨年10月号でも述べたとおり、オンライン本会議を現行地方自治法(以下「自治法」)の解釈論で運用するには無理があり、「会議方法」、「出席の概念」、「会議公開原則」等について、法改正が必要との考えに変わりはない。
大津市議会としても昨年6月16日付で「オンライン本会議の実現に必要となる地方自治法改正を求める意見書」を提出している。
■オンライン模擬本会議の概要
一方、実務面からの検証も不可欠と考えたため、模擬本会議を実証実験として行った。
形態はZoomによる完全オンライン型で、議場は議長と局職員のみで進行し、議場インターネット中継システムに接続して公開した(注1)。
注1 大津市議会HPで録画が視聴可能。
自治法115条1項では「普通地方公共団体の議会の会議は、これを公開する」と定められているが、判例では「公開」とは傍聴と会議録の閲覧を認める趣旨とされている。「傍聴」とは「会議の状況を直接見聞すること」(注2)であり、テレビ放送やインターネットによる実況中継をもって、「公開」しているとは解せないのは課題の一つである。
注2 「地方議会運営辞典(第2次改訂版)」(ぎょうせい、2014年)。
採決方法に関しては、アプリ上の挙手機能を採用した。それによって賛否態度の意思表示が明確、かつ、挙手者数がホスト端末に即時表示されるため、スムーズな議事進行が可能となった。
全体としては、ハード面での議場放送システムとの接続やハウリング対策で一部課題が残ったものの、ソフト面ではリアル本会議と遜色のない議事運営が可能であることを実証できた。
■オンライン化の目的は何か?
議会の最も重要な機能は議案の議決である。だが、議案審議のオンライン化を目指しても、そのプロセス上、議決を担う本会議をオンライン化できなければ、コロナ禍対策としては未完であり、抜本的解決策とはなり得ない。
現行法の解釈論で可能なものだけでお茶を濁されても、本来の目的に合致する手段が保障されなければ、現場では本質的利益に乏しい。
一方で、国策としてデジタル化が推進されようとしている今般、オンライン本会議実現のための法改正には絶好のタイミングと感じる。
今こそ地方議会の総意として、国会に先駆けてオンライン本会議を実現しようとする強い意思を、国に伝えるべきではないだろうか。
*文中、意見にわたる部分は私見である。
—————-
第63回 議選廃止によって監視機能は本当に低下するのか?
本記事は、月刊『ガバナンス』2021年6月号に掲載されたものです。記載されている内容は発刊当時の情報であり、現在の状況とは異なる可能性があります。あらかじめご了承ください。
大津市議会では、2017年の地方自治法改正によって、議員から選任される監査委員(以下「議選」)が必置から任意になったことに伴い、2018年に議選制度を廃止した。
今号では、廃止後3年を経て、議選廃止が議会の監視機能に及ぼした影響について総括したい。
■大津市議会での議選廃止経緯
議選制度の存廃議論については、議会と首長が対等・独立の関係にある二元的代表制下で、議事機関の構成員である議員が、執行機関の特別職である監査委員を兼任する制度自体の是非を論ずる「制度論」と、議選制度が議会の監視機能強化に資する利益を論じる「機能論」の二つに大きく分けられる。
筆者個人としては、両者の高い独立性を前提とする二元的代表制の根幹的理念と矛盾し、「用心棒論」と称される議選がいるからこそ監査の権威が担保できるという、法的効果ではなく政治的効果に期待した制度設計に疑問を感じており、法的に廃止すべきと考えている。
一方で大津市議会としては、機能論の観点から議論され、議選個人として得た監査情報を、議会にフィードバックして活用するのは、守秘義務が課されている現状では事実上困難であり、監査の独立性、専門性の観点からも問題があるとして、議選廃止が決定された。
廃止当時は、全国で3番目という圧倒的少数派だったこともあり、議会の監視機能低下を招くとの批判を想定して、監視機能強化策が検討された。だが、そもそも議選によって議会の監視機能が向上している例など本当にあるのだろうか。
仮にあったとしても、監査委員に課されている守秘義務は、議選も識見監査委員も同じであるのだから、識見監査委員と情報交換すれば、議選と同等の監査情報が議会として得られるはずである。
■大津市議会の監視機能強化策
そのような観点から、議選に期待されてきた役割を踏まえて、大津市議会では議会と監査委員との情報共有の仕組みが構築された。
その一つとして、当初は全員協議会で半期に一度の定期監査の報告を受けての質疑応答のほか、全監査委員との自由な意見交換の場を設定した。その後、活発な議論のために議員数を絞るなど、改良を重ねて監査委員との情報共有や意見交換を続けている。
それによって、議会と監査委員との接点は増え、その関係性は議選廃止以前と比して、明らかに活性化している。
■議会現場での実感
他の観点からの議選廃止の効用としては、監査の専門性の向上があげられる。現在、大津市監査委員は、県職員OB、弁護士、公認会計士、社会保険労務士の4人で構成されている。これは2人の議選枠を廃したからこそ、結果的により多様な分野、経歴の人材が任命可能となり、実現したものである。
少なくとも大津市議会においては、議選廃止を契機として、議員が得る監査情報はむしろ豊富化している。その意味では、机上の理論はともかく、議会の現場の実情からは、法制度上の矛盾を看過してまで議選を残す意義は感じられない。
議選問題の本質は、監査委員を議会の機関ではなく、執行機関に位置づけている地方自治制度上の問題であるが、現行法上は議選廃止が最適解であると、廃止後3年の実践を経て確信を深めている。
*文中、意見にわたる部分は私見である。
——————-
第64回 2030年の地方議会に求められるものは何か?
本記事は、月刊『ガバナンス』2021年7月号に掲載されたものです。記載されている内容は発刊当時の情報であり、現在の状況とは異なる可能性があります。あらかじめご了承ください。
筆者は、5月末のマニフェスト大賞2021キックオフ研修会「改革から変革へ〜地域から日本を変える」で、「変革へ向けた議会のあり方」と題するセッションで発表した。
議題は「2030年の議会はどうなっているか?それに向けて何をなすべきか?」というものであった。
だが、コロナ禍で激変する社会を目の当たりにして、そんな先のことなど、誰も正確に見通せないであろう。したがって、ここでは私的な理想論に過ぎないが、当日話せなかったことも補足して論じたい。
■未来の議会の実質的要件
2030年の地方議会の姿は決してひとつではないだろう。法定義務のある最低限のことだけをこなす「形式的要件に終始する議会」と、住民自治の根幹としての任務を果たそうとする「実質的要件を備えた議会」に二極分化するのではないか。
ここでの実質的要件の意味は、住民参加をどれだけ推し進められるかである。そして住民参加は、議会報告会や意見交換会等の議会外での非公式議会活動を意味しない。
その理由のひとつは、首長が住民と直結することを議会軽視と批判する「議会迂回説」(注1)が通用する時代ではないからだ。現実問題として、住民要望を直接実現可能な執行権を持つ独任制機関の首長が、議会と同様の住民参加を実践すれば、執行権のない合議制機関である議会は、住民要望の実現可能性やスピード感においてとても敵わないだろう。
注1 西尾勝「過疎と過密の政治行政」日本政治学会編『55年体制の形成と崩壊─続現代日本の政治過程』(年報政治学、1977年)。
二元的代表制は「機関競争主義」(注2)とも呼ばれ、役割の異なる機関が住民意思の実現を競い合うものであり、他方に対して明確なアドバンテージを見いだせない行動を、同様の手法で続ける意義は希薄である。
注2 江藤俊昭『自治体議会学』(ぎょうせい、2012年)。
議会は立法機関、議事機関など、機能面から様々に表されるが、最も本質的な面からは議決機関である。議決機関の最も重要な機能は、議案を審議し議決することだが、それは本来、議案に対する住民意見の反映を前提としたプログラムを経て、意思決定されるべきものであろう。
つまり議会に最も求められる住民参加は、議案審議のプロセスにこそ求めるべきであり、それこそが執行機関には行い得ない、議会ならではの住民参加の実現といえるのではないだろうか。
■本会議の抜本的改革の必要性
議会への住民参加の法定手法としては公聴会があるが、手続きに日数を要し、議会日程との親和性に乏しいため、事実上活用されていない。そのため、大津市議会では代替案として独自に「市政課題広聴会」制度を創設したが、そこまでこだわる理由は、公式な議案審議プロセスにおいて聴取した住民意見を公式会議録に残し、議案審議に活かすことが、議事機関としての重要な役割であると考えるからである。
それは現行の標準的な議会運営を前提としたうえでの「改革」でしかないが、抜本的には「本会議」という名称でありながら、実質的な議論など行われず、「会議」の体を成していない本会議のあり方を、ゼロベースで見直す「変革」が求められよう。
「住民参加」を、自治体の意思形成過程に実質的に関わる「住民参画」に昇華させることは、議会にしかできない。米国の基礎自治体議会ではごく一般的なようだが、住民と議論する機会を議会日程に組み込み、本会議を文字どおりの「会議」の場とすることが、2030年に期待される地方議会の姿ではないだろうか。
*文中、意見にわたる部分は私見である。
—————–
第65回 自治法改正をどのように実現すべきか?
本記事は、月刊『ガバナンス』2021年8月号に掲載されたものです。記載されている内容は発刊当時の情報であり、現在の状況とは異なる可能性があります。あらかじめご了承ください。
大津市議会では、桐田議長が6月30日に武田総務大臣と平井デジタル改革担当大臣に面会し、オンライン本会議実現のための地方自治法(以下「自治法」)改正を要望した。
昨年6月にも同様の意見書を提出しているが、それだけでは現状は変わらないと感じたからだ。
意見書は、自治法99条に定める機関意思を国等の関係行政庁に伝える法定手段ではあるが、国等には受理義務はあっても、回答などの対応義務はないため、実効性に乏しい一面は否定できない。
事実、すでに二十数議会から同様の意見書が提出されているが、自治法改正に向けて前進したという話は聞かない。
■大臣要望の趣旨
要望趣旨は、大津市役所の庁内クラスター発生の教訓からは、感染拡大時においても議会の権能を果たしうるオンライン本会議の実現が必要であり、自治法の早期改正を要望したものである。
武田総務大臣からは、「国会に準拠する必要はなく、むしろ地方議会が先行することで国会改革にもつながる。『時代と流れは創るもの』であり、オンライン本会議もいずれ実現する」との見解を示された。
平井デジタル改革担当大臣からは、「地方議会のデジタル化自体は目的にはなり得ず、市民目線での大義が必要。デジタル化には、これまでの当たり前を見直す自己否定の視点が必要」とされた。
■自治法改正の工程
自治法の重要な改正は、内閣総理大臣の諮問機関である地方制度調査会(以下「地制調」)の答申を踏まえて行われることが多い。その過程では地方6団体(注1)からの意見聴取もされ、地方現場の意見が反映される。
注1 全国知事会、全国市長会、全国町村会、全国都道府県議会議長会、全国市議会議長会、全国町村議会議長会を指す。
だが直近では、デジタル改革関連法案の提出を優先させるために、議員のなり手不足解消のために兼業禁止規定の緩和などを盛り込んだ第32次地制調答申のように先送りされた例もあり、地制調の答申に反映されれば法改正が保証されるといったものでもない。
他には地方6団体からの要望を直接反映する場合や、あえて議員立法によって改正されるものもある。しかし、兼業禁止規定の緩和は議員立法でも提出さえ見送られた一方で、自宅療養中の新型コロナウイルス感染者の郵便投票を認める特例法のように、「影も形もなかったもの」が成立するなど、政治的状況に左右されることも否めない(注2)。
注2 「地方行政」6月21日号。
■早期の法改正の実現を!
大津市議会では、5月19日にオンライン委員会を可能とする条例改正をしたところ、同月28日には急遽、委員長が登庁不能となり、オンラインで議事進行するハイブリッド型オンライン委員会を余儀なくされた。この経験からは、本会議においてもオンラインでの運用を迫られる事態は、突然訪れると実感させられた。
自治法には、憲法の規定を具体化する憲法附属法としての一面もあり、その改正は憲法秩序を変動させ得ることから慎重さが求められることも理解している。しかし、英国下院では2020年新型コロナウイルス法により、暫定的にオンライン本会議を認めるなど、昨年3月の時点で迅速な対応がされている。非常時には迅速さが正確さに優先されることもある。
コロナ禍におけるオンライン本会議の実現も、それに類するのではないだろうか。
*文中、意見にわたる部分は私見である。
—————–
第66回 信心がないことは悪いことなのか?本記事は、月刊『ガバナンス』2021年9月号に掲載されたものです。記載されている内容は発刊当時の情報であり、現在の状況とは異なる可能性があります。あらかじめご了承ください。
7月に早稲田大学で開催された「全国地方議会サミット2021」で「チーム議会における議会(事務)局職員のミッション」と題する議会事務局セッションに登壇した。今号では、セッションで触れた局職員による議員に対する補佐のあり方(以下、「補佐の射程」)の論点から、課題に対峙する姿勢について、当日の議論に補足して掘り下げたい。
■国会が地方議会の標準なのか?
冒頭、「『議会局職員=軍師』論~議会の政策立案プロセスにおける議員との協働~」と題して報告した。
議会の機能のうち、監視機能については、多様な運用手法が確立されている。
一方、政策立案機能については条例制定権が法定され、法定外の政策提言なども行われるものの、活用度は議会によって差が大きく、標準的運用手法も確立されていない。そのため、補佐の射程に関する課題は、政策立案プロセスで顕在化する。
大津市議会局の補佐の射程は、衆議院法制局との比較で「越権」と揶揄されるほど近いが、国会での標準を地方議会に類推適用しようとするのは、法的根拠や合理性に乏しいとの持論を展開した(注)。
注 詳細は本連載2017年5月号「『地方議会』は国会のミニチュアなのか?」、2018年10月号「続『議会事務局のシゴト』とは何か?」参照。
だが、一般的には、論者の社会的地位に忖度してその意見を盲信し、自分で是非を判断しようとしない傾向にあることも指摘した。
■時代の変革者の資質
死が日常の世に生きる戦国武将だからこそ、誰もが信心に救いを求めた時代に、現実主義者の織田信長は、神仏に対する信心がなかった。
キリスト教宣教師が伝えた地球球体説などの科学的知識は自身で理解し、納得して信じたが、やはりデウスの神は信じなかった。神の存在は宣教師も合理的証明ができなかったからだという。
自ら確かめ考えて、納得したものしか信じない生き方は、特異かもしれないが、他人の言説を鵜呑みにせず自分で判断しようとする姿勢は、時代の変革者に求められる重要な資質ではないだろうか。
■求められる課題対峙の姿勢
地方議会でも通説とされている理論を前提に思考展開するのではなく、ゼロベースで通説自体を疑うところから始めるべきであろう。
まずは通説として確立された時代を確認することだ。同一憲法下においても、終戦直後と現在では、地方自治に対する意識が大きく変化している。特に地方分権改革の前後で、国との関係性の変化は大きく、法的根拠なき単なる中央準拠の主張は疑うべきである。
次に地方議会現場の視点の有無である。事業や人に対する評価が、組織の内外で正反対という例は珍しくないが、同様のことが理論の実践においても当てはまる。理論の実践は現場でしか行い得ないが、前提となる現場の実情は、必ずしも部外者からは見えない。だからこそ理論の前提条件の是非は、現場にいる人にしか判断できないのである。
補佐の射程の議論も、時代の変化によって、法的根拠なき中央準拠の前提自体が、論理の飛躍を生じさせている。また地方議会を一括りにしているが現実には格差が大きく、衆議院法制局での補佐の射程は、多くの地方議会、一般市民にとっては、最適解となり得ないだろう。
当該事例に限らず、課題に対峙する時には、局職員は多様な理論の現場への適用の是非を冷静に見極める、信心のない現実主義者であるべきではないだろうか。
*文中、意見にわたる部分は私見である。
—————-
第67回 外の世界での活動はインテリジェンスなのか?
本記事は、月刊『ガバナンス』2021年10月号に掲載されたものです。記載されている内容は発刊当時の情報であり、現在の状況とは異なる可能性があります。あらかじめご了承ください。
例年、早稲田大学で開催されている「全国地方議会サミット」(ローカル・マニフェスト推進連盟等主催)の主な参加者は議員であるが、議会事務局セッションも必ずプログラムに加えられる。それは、主催者幹部に、議会改革推進の原動力となる「チーム議会」の醸成には、局職員との協働が不可欠との強い信念があるからだ。
今号では、この数年間、同セッションの構成を任された経験を通して、感じたところを記したい。
■事務局セッション特有の課題
議会事務局セッションの構成で一番苦労するのは、間違いなく登壇者の確保である。
もちろん、決めたテーマにふさわしい実績を持つ議会事務局を探すのも大変ではある。全国的にはルーティンの議事運営以外に、局職員が主体的に関わっている例自体が少ないからだ。
だが、本当の難関は出演交渉である。議員を差し置いて表舞台に局職員が出ることなど、出過ぎた行為との意識が強い事務局が、依然として多いのである。これが議員を登壇者とするセッションを構成する場合との大きな違いである。議員に登壇依頼して断られることはほとんどないが、局職員からは断られることのほうが圧倒的に多い。
本人に登壇意欲がある場合でも、それが局長ならば幸運だが、次長以下の職員に依頼した場合には、上司の理解が得られずに断念ということもままある。
だが、日常では内部視点に傾きがちな局職員こそ、自分たちの議会を俯瞰し、核心に触れる情報交換ができる人脈が外部に必要である。それを構築できる貴重な機会を逃すのは、いかにも惜しいと感じる。
■外の世界とつながる意義は何か
わが国の地方議会制度は法的には全国単一制度であるが、実務レベルの議会運営ではガラパゴス化している。自分たちの議会運営が全国標準だと思い込みがちであるが、他議会と意見交換すると、全く話が噛み合わないことも珍しくない。
地方議会は、行政のような国、広域自治体、基礎自治体といった縦の関係とは無縁で、横の連携も法定制度はなく、それぞれがスタンドアロンの存在だからだ。
機関としての制度設計自体に、井の中の蛙に陥りがちな要素があるところに、局職員が意識的に外とのつながりを求める必要性がある。
具体的には、ネット社会となり情報量は格段に増えたが、本当に重要な情報は公開されておらず、依然として人脈の中からしか得られないことが多いからだ。公開情報の多くは成功例であるが、デメリットはもちろん、成功に不可欠な前提条件も省かれていることが普通である。ましてや失敗例に至っては、公開されることなどほとんどない。だが、成功に至るプロセスで、本当に重要な情報は、失敗例やデメリット情報である。
特に議会改革のように、全ての議会にあてはまる方程式などない分野での情報こそ、表層的なインフォメーションではなく、企業秘密的なインテリジェンス(注)であることが求められるが、それを得るのは信頼関係が構築された人脈の中でなければ、一般的には難しいだろう。
注 分析された情報、情報戦略、諜報活動などを指す。
もちろん、外の世界とつながる意義はそれだけではないが、局職員にそのような意識が芽生えたなら、議会(事務)局はそれを積極的に応援する懐の深い組織であってほしい。
*文中、意見にわたる部分は私見である。
————–
第68回 オンライン本会議の実現が「本会議」を変えるか?
本記事は、月刊『ガバナンス』2021年11月号に掲載されたものです。記載されている内容は発刊当時の情報であり、現在の状況とは異なる可能性があります。あらかじめご了承ください。
大津市議会では9月16日に完全オンライン型で委員会を開催し、議案採決した。オンライン委員会の実績としては、5月の委員会条例改正直後に、議会運営委員会をオンライン開催している。これは委員の一人が新型コロナ感染症の濃厚接触者に指定されたため、急遽ハイブリッド型で開催したものであり、採決を含む議案審議をオンライン化したのは初めてである。
オンライン委員会の運営自体は、何も問題なかったが、1月のオンライン模擬本会議との実務上の対比では、法的議論とは正反対に、実質的な議論が期待される委員会よりも、形式的な縛りが強い本会議のほうが、オンライン会議システムとの親和性は高いと感じた。
さらに、今号では本会議をオンライン化する意義について、議会広聴の観点からも考えてみたい。
■議会広聴の本流とは
議員は住民の代表として選ばれた存在ではあるが、選挙によって全てを白紙委任されたわけではない。したがって市民意見を的確に政策に反映させるためには、議会への市民参加は欠かせない。
一般的には議会外での市民との意見交換会が、議会の広聴活動と思われがちだが、議決機関の本質的活動の場であり、公式会議録が残される本会議等への市民参加こそが、最も重要な議会広聴だろう。
愛知県犬山市議会では、市民が議場で全議員を前に、犬山市政に関して5分間話せる「市民フリースピーチ制度」を実現している。
制度を提案したビアンキ・アンソニー元議長は自著(注)で「会期中に市民が直接議会で発言ができる制度」は、「アメリカではどこでも当たり前に行っている制度」で、「外に出かける意見交換会よりも長い歴史を持つ、一番純粋な市民参加」であり、「他の取り組みよりも中心として最初に取り組むべき」としている。
注 『1人から始める議会改革』学陽書房、2021年。
定例会中に行うものでありながら、必ずしも議案審議に関わる制度でないことや、発言記録を作成しないとしていることは今後の課題であろうが、日常的に使える議会広聴の制度としては、最も議事機関の本質に適うものと思う。
一方、大津市議会でも議案上程前に市政の重要課題に関して、議場で市民意見を聴取し公式会議録に残す「市政課題広聴会」制度を昨年4月に創設した。その意義は、住民代表機関が市政課題を議論するにあたっては、議場において市民意見を求め、公文書である会議録に残すことが、議会広聴の基本だと考えたところにある。
■オンラインが本会議を変えるか
だが、議会広聴に共通する課題の一つは、参加者の継続的な確保である。最初は盛況でも、新たな参加者がなく、参加者確保に苦労している例は珍しくない。まして議員でも緊張するという議場独特の荘厳な雰囲気は、必ずしも参加者増に貢献しないだろう。
対策としては、オンラインフォーラム等の参加者動向に鑑みて、本会議を市民参加促進の観点からオンライン開催し、参加のハードルを下げることも考えられよう。
これまで本会議における広聴機能は事実上機能してこなかったが、オンライン化は本会議を多様な市民意見を反映させる実質的な議論の場に変えるという、本会議のあり方自体をも抜本的に変える可能性を秘めているのではないだろうか。
*文中、意見にわたる部分は私見である。
———————–
第69回 「議会だより」は永遠に不滅なのか?
本記事は、月刊『ガバナンス』2021年12月号に掲載されたものです。記載されている内容は発刊当時の情報であり、現在の状況とは異なる可能性があります。あらかじめご了承ください。
「議会だよりなんて、誰も読んでいないんですよねえ」
これは前議員任期の議会活動について外部評価を受けた際に、有識者が呟いた率直な感想である。
大津市議会では、議員任期4年間の実行計画「ミッションロードマップ」を任期当初に策定している。
今任期の「ミッションロードマップ2019」では、テーマの一つとして「広報のあり方検証」を掲げ、議会広報全般を抜本的に見直そうとしている。その原点は、冒頭の「議会だより」(以下、「議会報」)に対する厳しい評価にある。
■議会報の現在
議会人にとっては、議会広報=議会報発行との固定観念があり、広報改革というと、紙媒体である議会報の編集技法の議論に終始してきたことは否めない。だが、読まれなければ売れなくなる有料出版物とは異なり、議会報は無料であるがゆえに、どれだけの人に読まれているのかさえわからない。
したがって、最初に議会広報全般に関して、無作為抽出方式による市民アンケート調査を行った。その結果、議会報を「いつも読んでいる」と答えた市民は、70代が38%、60代が23.7%、50代が15.1%、40代が15.2%、30代が12%、20代が10.3%、10代が2.3%、全体では18.7%であった。全体的には意外に読まれていると感じたものの、現役引退世代と選挙権のない世代との差は17倍弱にも及び、年代による差が顕著であることが大きな課題と思われた。
もう一つ特徴的だったのは、30代以下の自由記述欄での意見が、予想外に多かったことだ。多くは印刷や配布にコストを要する紙媒体の発行自体に批判的であり、内容的にも文字が多く読む気にならない、若者に伝えたいなら動画や写真、短文を特徴とするSNSを活用すべきとの論調であった。
もちろん、50代以上では紙媒体の議会報を支持する意見も多く、回答者全体の約5分の1が「いつも読んでいる」と回答し、自由意見の内容も勘案すると、現状での議会報廃止は時期尚早と感じられた。
■議会報の未来
一方で、長期的には議会報を発行する議会のほうが少数派になるかもしれないとも感じた。
30代以下の意見は、単に紙媒体の議会報を電子化すれば読むといった主旨ではなく、文字よりも動画等を主体とした伝え方を望んでいる。そのような世代が歳を重ねたからといって、習慣が突然変わるとは考えにくく、情報発信手法の抜本的変革が求められている。
30〜40年後には紙媒体を支持する世代の多くはこの世を去り、SNSで育った世代が社会の中核を占める。その時代には、紙媒体の議会報は自然消滅を免れないのではないだろうか。
取り越し苦労との反論もありそうだが、果たしてそうだろうか。音楽市場では、CD売上がピーク時から20年で半減し、デジタルダウンロードが増加した。だが、今では概念が全く異なるストリーミング(注)が主流となるなど、一旦変化が始まれば劇的な勢いで変革を求められるのは、分野を問わず必然であろう。
注 従来のように楽曲を所有せず、利用するサブスクリプション方式による音楽配信。
議会でも、短期的には議会報を改善しつつも、長期的には旧来の固定観念から脱却し、次世代のための変革を実現する広報戦略を確立しなければ、市民との距離はますます広がるのではないだろうか。
*文中、意見にわたる部分は私見である。
——————
第70回 地方議会は国会のアナロジーなのか?
本記事は、月刊『ガバナンス』2022年1月号に掲載されたものです。記載されている内容は発刊当時の情報であり、現在の状況とは異なる可能性があります。あらかじめご了承ください。
大津市議会は「第16回マニフェスト大賞」において、「ウィズコロナ時代を見据えたオンライン本会議実現へのミッションロードマップ」のテーマで、優秀成果賞を受賞した。これは、オンライン本会議の意義、実現に向けた活動、今後の課題などを、工程として集約したものである。
授賞式の前日程では、優秀賞受賞者による受賞事例研修会も開催された。プレゼンでは、オンライン本会議を可能とする自治法改正ができない理由の一つとして示される、「国会で実現できていないことは地方議会でも認めがたい」という、法的根拠なき国会準拠の考えに疑問を呈した。
■国の地方への権限強化の動向
中央では国の地方への権限強化に関する議論が始まっている。総務省が所管する「デジタル時代の地方自治のあり方に関する研究会」が2021年3月から開催されており、次期の地方制度調査会(注1)が立ち上がった際の議論の前提になると言われている。具体的には、保健所の国直轄化をはじめ、国の地方に対する権限強化を図り、地方分権のあり方を再検討する場になると報道されている(注2)。
注1 首相の諮問機関。近年は法案作成プロセスに組み込まれている。
注2 日本経済新聞2021年7月8日付け。
研究会での意見の一つに、特別定額給付金支給事務などは、本来、法定受託事務とすべきものであるが、自治事務として執行されたことを問題視する指摘がある。
地方分権一括法施行に伴って機関委任事務が廃止され、国の政策事務で自治体に事務処理を義務付けられるものは法定受託事務に整理されたはずだからだ。本来、国が関与できない自治事務の枠組みで、事実上、全自治体を統制したことは、立法趣旨から逸脱していると言われても仕方ないだろう。
一方、非常時にはトップダウン体制が有利に働く一面があることも事実で、非常時対応に限って国と地方の権限のあり方を再検討すること自体は、一概に否定されるものではない。だが、分権改革以降も法的整理が不十分なままの事務もあり、なし崩し的に分権改革以前の状態に逆戻りすることがないよう注視していく必要があるだろう。
■デジタル化を阻むアナロジー
地方議会制度は、分権改革の洗礼を受けていないこともあり、行政と比しても中央の見解への依存度や前例踏襲度が高い感は否めない。
議事運営上の議論一つをとってみても、国会での類似例だけを根拠に結論に導こうとする例が散見されるほか、地方議会の事務局が単純に議院法制局との比較で論じられるなど、あたかも国会が地方議会の「標準」のように扱われてきた。
オンライン本会議実現の議論においても、2021年3月12日の衆議院内閣委員会では、「地方自治体がそれぞれの事情に応じた判断の中でオンライン本会議の開催是非を決定できるように環境整備すべき」との中谷一馬委員の質問に対して、熊田裕通総務副大臣が「国会における出席という考え方にも留意しながら考えていく課題だと認識をしております」と答弁を締めくくっている。
だが、国会は議院内閣制における立法機関、地方議会は二元的代表制における議事機関と、法的に異なる位置づけのもとで相互に無関係であり、法的根拠なきアナロジー(注3)的思考は必ずしも適切ではない。また、地方分権改革の趣旨からも、国会を「標準」とするアナロジーが、「できない理由」にはならないだろう。
注3 類推、類比。
*文中、意見にわたる部分は私見である。
——————–
第71回 議会に機関としての本質的進歩はあったのか?