議会局「軍師」論のススメ
第11回 議会の「事件」はどこで起きているのか? 清水 克士
(月刊「ガバナンス」2017年2月号)
*写真の左手に座るのは、大津市のキャラクター「おおつ光ルくん (おおつひかるくん )」。
議会の自律権の意義とは
議会の事件といっても議決事件のことではない。前号までの中央崇拝的姿勢や先例主義などに対する考えを踏まえて、今号では16年8月号で概説した大津市議会の「会議規則の条例化」への反対論に、「議会の自律権」の観点も交えて論じたい。
議会の自律権とは、明文規定はないが議会が自らその組織及び運営に関して、自律的に決定し処理しうる権限とされている。そのひとつとして規則制定権があり、首長や住民など外部からの干渉を排除し、改正権限を議会に専属させるために、「規則」の法形式でなければならないとの論がある。しかし、会議規則の条例化によって外部から改正議案が提出されたとしても、議決による最終決定権は議会にあり、実質的な差異はなかろう。
次に、会議規則は議事機関としての意思決定によるものであるが、条例化すると自治体としての意思決定になってしまうとの反対論もある。だが、議会の開閉、会期の決定、延長などを決めることは議会固有の権限とされ、会議規則で定めることが一般的であるが、一方で議員定数や定例会の回数は条例で定めることが法定されている。議会の組織、運営に関することでも、法は自治体としての意思決定によることも想定しているのであるから、議会が他の議会固有権限についても、同様に扱うことは、各々の議会の自由裁量であろう。
大津市では議員定数削減条例が市長から提案されたことがあるが、議会の根幹に係ることでさえ首長の関与を認めているのに、軽易なことだけを議会の自律権の範疇だと主張する意義があるのだろうか。むろん、机上の理論としてはあり得るであろうが、自治体の現場における得失についての比較衡量が必要であろう。そして、旧来からの理論優先による実益が乏しいなら、新たな発想による条例化によって、首長の関与はもちろん、市民からの直接請求も可能な例規体系とするほうが、市民利益に資するのではないだろうか。
市民ファースト的な考察を
他にも会議規則の条例化の反対論には、国会法と議院規則との関係性や、標準会議規則制定時の関係者の発言、著作を援用して論理構成されているものもある。だが、元来、国会と地方議会は制度上、似て非なるものであり、地方議会が国会のルールに準じなければならない理由もない。地方分権時代に、地方議会は国会の例に準じるのが当然と謂わんばかりの意見は、筋違いではないだろうか。また、当時の関係者の考えについても、前号までに述べたとおり、地方議会を取り巻く環境が大きく変容している現在においても、それが真理だとするのは思い込みであり、それを検証せずして論旨展開することには疑問を感じる。
紙数の都合上、反対論の全てに論ずることはできないが、ポイントは同一事象であっても視点、角度によって見える風景は変わってくるということである。
例規もどこに重点を置いて考えるかによって導かれる結論は異なり、司法の場で決着させない限り、絶対的解釈などあり得ない。立法当時の背景や議会の自律権などの議論を全否定するものではないが、それで不利益をこうむる人がいないなら、より市民ファースト的な考察を優先すべきではないだろうか。
有名な映画の台詞に譬えれば、議会の事件(課題)は、過去や中央の会議室ではなく、現在の地方議会の現場で起きているのだから。
*文中、意見にわたる部分は私見である。
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第12回 議会は「歌を忘れたカナリア」なのか? 清水 克士
(月刊「ガバナンス」2017年3月号)
刀剣と鉄砲
ある研修会に参加したときのことである。詳細な調査に基づく優れた政策提案を、議会の会派から首長に提言書として提出し、前向きに検討されそうだとの発表があった。しかし、内容が良かっただけに、せっかくの研究成果の実現を首長任せにするのではなく、議会提案で条例改正して実現させないのはもったいないと感じていた。そう思ったのは私だけではなかったようで、会場からも同様の質問があった。それに対して発表者からは、「会派からの政策提案であるため会派間調整が困難なことや、条例化する法務能力や執行部との調整能力が議会にないので、首長に委ねることにした」との回答がされた。
だが、そこで諦めていいのだろうか。新たな政策をやらない理由は、いくらでも後付けできる。提言するだけでは、首長に黙殺されれば執行権がない議会は無力である。国において政策を創ることは法律を作ることとほぼ同義であり、広範な条例制定権を持つ立法機関である地方議会でも、そうあるべきだろう。
たとえ話で恐縮だが、議会からの政策提案に関する手法を戦国時代における武器に例えれば、首長に対する提言や決議は旧来からある刀剣、議会による条例制定は新兵器である鉄砲のような関係性にあると思う(条例制定権は元来議会にあり新しくはないが、活用されてこなかったという意味で新兵器に例えている)。刀剣の扱いはノウハウが蓄積されており容易だが、その威力は鉄砲と比べると見劣りする。反面、当時の鉄砲には、弾丸装填に時間がかかることや、火縄を使うため全天候性に欠けるなどの難点もあり、運用方法も確立されていなかった。そのため、当時の武将たちの多くは、鉄砲を主力兵器とはみなしていなかった。
だが、俗説であるようだが、織田信長は有名な鉄砲三段撃ちなどによる、欠点を補う組織的運用によって主力兵器とし、以降、戦術は大きく変貌した。そして、近代における組織戦では、もはや刀剣の出番などはない。
立法機関の本質とは
同様に議会からの政策提案においても、使いこなすのが難しいからといって、立法機関である議会が条例制定権を行使しようとしないのは、「歌を忘れたカナリア」のようにも思える。課題解決にあたっては、より本質に近く、より強みを活かせる順に採り得る解決手法を検討することが、本筋ではなかろうか。
そして、今は少数意見であろうとも、議会が市民福祉向上を実現するには、条例制定によることが常識と言われる時代が必ずくると、私は信じている。それは、直面する行政課題に対して、将来を見据えた政策を実現するためには、事後の個別対応ではなく、実効性ある普遍的ルールを作ることこそが、立法機関たる議会のとるべき王道と考えるからだ。
そして、地方議会は規模の大小によって、法的権能が区別されているわけではなく、小規模議会であっても政策条例の立案ができるよう努力することが必要であろう。なぜなら、執行機関は自治体行政の現在に責任を持たなければならない立場にあり、二元代表制の一翼を担う議事機関こそが、市民とともに自治体の未来についてともに考え議論する「未来を語る議会」であるべきだと思うからである。
そして、未来を語る議会を補佐していくことこそが、これからの議会事務局の主要なミッションではないだろうか。
*文中、意見にわたる部分は私見である。
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第13回 「チーム議会」の必要条件とは何か? 清水 克士
(月刊「ガバナンス」2017年4月号)
議会の政策立案機能とは
この連載も2年目を迎えることとなった。これもひとえに、読者のみなさんのおかげであり感謝に堪えない。地方議会の現場に身を置く立場からの率直な個人的意見ではあるが、何らかのお役に立てれば望外の喜びである。
さて前号では、議会からの政策立案の機能発揮は、政策条例の制定によることこそが、立法機関たる議会のとるべき王道であると述べた。今号では、立法機関であり合議制機関である議会からの政策立案を実現する要件について、思うところを述べてみたい。
議会には大きく分けて監視機能と政策立案機能の二つの機能があるが、レベルは様々でも監視については、多くの議会で機能発揮されている。それは、検査権、監査請求権、調査権などが法定されているほか、会議規則(大津市議会では会議条例)で定めることによって、一般質問がルーティンの制度として確立されていることが要因として大きい。それは、質問にあたっては自ずと執行機関の事務事業について調査、検証することとなるため、必然的に監視は果たされるからである。
それに対して、政策立案機能については、多くの議会で手つかずである。それは根源にさかのぼれば、批判は容易だが、対案を自ら示すのは難しいということももちろんある。同時に、方法論の観点からは、政策立案機能については一般質問のように方程式化された手法が確立されておらず、それぞれの議会でそれを確立しなければならないことがある。もちろん、政策提案型の一般質問もあり得るが、限られた持ち時間の中では散発的かつ表層的な提案とならざるを得ず、政策立案の本命の手法とはなり得ない。
「チーム議会」の必要条件
一般的に、監視機能と政策立案機能では、発揮に求められる能力、手法が異なり、監視機能の強化に努めていれば、それに呼応して自然と政策立案能力が高まるというものではない。具体的には、一般質問のスキルを磨いても、それだけで議会立案政策の実現には直結しない。それは、一般質問を起点とする監視機能の発揮は議員個人でも可能だが、議会としての政策立案は機関としての意見を集約できなければ成果にはつながらず、議事機関としての合意形成を前提とすることが根本的に違うからである。
合意形成のキーになるのは議員間討議であるが、それだけで条例案を調製することは難しい。政策条例は執行機関側が執行可能な内容としなければ絵に描いた餅となりかねず、執行部との綿密な調整が必要であるとともに、法制執務の知識と技術をも要求されるからである。そして、執行部での行政経験を活かして調整し、法制執務もこなすところに議会(事務)局職員(以下、「議会局職員」)の出番がある。
そして、会派を超えて議論できる議員間の関係性とともに、議員と議会局職員との間でも議論ができるフラットな関係性の二つが、議会からの政策立案の実現に資するものであり、それこそが大森彌・東京大学名誉教授も提唱される「チーム議会」の必要条件でもある。もちろん、議員と議会局職員の関係性は、究極的には議員の懐の深さしだいのところはあるが、そもそも議会局職員が議会や議員に対して、自ら距離を置こうとする「ひとごと意識」をもって接していては、関係性を構築できることはあり得ない。具体的には次号で論じたい。
*文中、意見にわたる部分は私見である。
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議会局「軍師」論のススメ
第14回 「地方議会」は国会のミニチュアなのか? 清水 克士
(月刊「ガバナンス」2017年5月号)
中央集権の呪縛
大津市議会の政策立案手法に関して、ある学会メンバーと意見交換した時のことである。先方の国会法制局出身の大学教授から、議会局職員の政策形成過程への関与について異議が唱えられた。それは、法制局においては、議員からの求めを受けて法制意見を述べることはあっても、政策立案内容そのものに予断を与えかねない意見や、ましてボトムアップで政策自体を提案することなどあり得ず、大津市議会局の政策立案に対するスタンスは出過ぎではないか、との趣旨であった。
大津市議会での政策立案の多くは「政策検討会議」というスキームによっている。議会運営委員会で承認された政策立案テーマについて、提案会派から座長を出し、全会派から当該テーマの議論に相応しい議員を1人ずつ選出して構成する議員間討議のためのものである。最大の特徴は、委員の構成比が議会の会派構成比とは異なり、結果的に少数意見が尊重される議論が実現することである。会議運営方針については、座長の思いによるところが大きいが、最近では最初から局職員も議論の輪の中に同席させ、意見を問う会議もある。たしかに、地方議会においても、局職員を議論に参加させるようなことは、異例なことのようではある。
だが、執行機関においては、職員がボトムアップで公選職たる首長に政策提案することは珍しいことではなく、それは中央政府においても同様であろう。議事機関においても、局職員が公選職たる議員に政策提案をすることを禁ずる法はない。それは、国会と法制局の関係においても同様で、国会法131条で「議員の法制に関する立案に資するため、各議院に法制局を置く」と定められるのみである。そして「立案に資する」とは、法制執務上の条文化作業を担うだけではなく、政策形成過程に関与することを含むとの積極解釈も可能ではないだろうか。最後に決められるのは議員だけであり、そのような解釈をしても、何の問題もないと思うのであるが──。
国会と法制局の関係性をとやかくいうつもりは毛頭ないが、国会における常識に地方議会も準拠すべきともとれる論理に違和感を覚えるのは事実である。国会と地方議会はともに合議制機関という共通項もあるが、議院内閣制の国と二元代表制の地方では大前提の制度自体が異なる。地方議会が国会のルールに準拠すべき合理的根拠は見当たらず、私には未だに中央集権の呪縛に囚われているだけのようにも感じられるのである。
地方議会が地方を変え、地方が国を変える
自治体の主要な政策形成は、首長、議会のどちらも個人ではなし得ない。議会は複数の公選職で構成される合議制機関であるがゆえに、一義的には議員間のチームワークが問われ、局職員との関係性が論点になることは少ない。しかし、議員と局職員の協働関係の構築は、「チーム議会」の必要条件である。
大津市議会では、全国で報道されたいじめ事件の発生を受けて、議員提案で「いじめ防止条例」を制定した。これはまさに議員と局職員の協働の成果であり、後の「いじめ防止対策推進法」制定の契機にもなっている。
「地方議会が地方を変え、地方が国を変える」とは、北川正恭・早稲田大学名誉教授の金言であるが、その言葉どおり、いつか大津市議会が国を変える地方議会と言われるよう、私も「チーム大津市議会」の一員として議会を支えていきたい。
*文中、意見にわたる部分は私見である。
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第15回 「ナンバーワン」を目指すことがウケ狙いなのか? 清水 克士
(月刊「ガバナンス」2017年6月号)
*写真は琵琶湖の情景。
ナンバーワンを目指す意義
私が企業誘致やベンチャー企業の育成支援を担当していた産業政策課時代に、ある有名なベンチャー企業社長の話を聴講したときのことである。
その社長は、ある国民的アイドルグループの代表曲が大嫌いだと言われた。その理由は明快で、「人はもともと特別なオンリーワンの存在だから、ナンバーワンにならなくてもいい」という趣旨の歌詞に対して、「オンリーワンとは、それぞれの分野でのナンバーワンのことではないのか。成功している起業家は皆、血のにじむような努力をしている。誰もが最初からオンリーワンの存在であるはずがない」と。また、「花屋の店先に並んだ花は、その中で争うこともせず皆誇らしげにしている」というフレーズに対しても、「花屋の店先に並ぶまでに、どれだけの花が選別処分されていると思いますか。花屋の店先の花は、既に競争を勝ち抜いたエリート。そんな甘いことを言っているから、日本の製造業は中国や韓国に負けてしまうんだ」と憤慨されていた。
だが、これは決して製造業の世界だけの話ではない。同様の意識は、全国の議会の世界においても「横並び意識」として根付いている。トップランナーは、自分の前や横に、他者の姿を見ることはない究極の少数派である。つまり、横並びを志向した時点で、ナンバーワンになることはないということだ。
横並び意識の罪
大津市議会の施策は、「議会意思決定条例」「議会ミッションロードマップ」「議会BCP」「大学図書館との連携による議会図書室改革」など、全国初と評される取り組みが多いのが特徴である。一方で、それを「ウケ狙い」「新しい物好き」などと揶揄する向きもあるが、1番と2番以下の差は大きい。それは、全国初の議会基本条例を制定した議会のことは、議会人であれば常識レベルだが、2番目の議会になるとほとんど知られていないことからもわかる。もちろん、1番を志向しても現実に1番になれることなど多くはない。しかし、結果的に同じ2番であっても、横並び意識の下での仕事と、1番を目指した結果の2番の仕事では、自ずとクオリティーが異なってくる。
議会で横並び意識が強いと感じさせる例としては、議事機関の本質とは縁遠い詳細なことまで、多数の照会がくることだ。もちろん、改革や政策立案にあたって先進事例を調査する意義自体を否定するものではない。確かに先進事例の模倣から始めれば、白紙の状態から検討するよりも短期間で高い水準の成果を実現できるメリットは大きい。政策や議会運営手法に著作権はなく、模倣は決して非難されるものではない。しかし、時代が常に進歩している分、後発組は新たなメリットを付加しなければ、相対的に先行組よりも遅れたものにしかならない。
また、先進事例といえども妄信すべきではなく、あくまで検討材料の一つに留め、自ら考える姿勢を失ってはいけない。なぜなら、それらは確実に過去のものであり、今となっては時代遅れかもしれず、また、先進議会の規模、置かれた地域性の中では最適解であっても、それらの前提が異なれば最適解は別にあると考えるほうが自然だからだ。
いずれにしても、コピーがオリジナルを超えることはない。大事なのは「横並び」を志向せず、常に先進であろうとする意識ではないだろうか。
*文中、意見にわたる部分は私見である。
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第16回 業界の権威は「教祖様」なのか? 清水 克士
(月刊「ガバナンス」2017年7月号)
*写真は遠望した琵琶湖です。
前号では、先進事例を盲信してはいけないと述べたが、今号では政策立案や議会改革の際に拠りどころとされる、業界の権威とされる人の見解に対するスタンスについて述べたい。
■北川正恭氏との論争
私は北川正恭早稲田大学名誉教授のことを敬愛している。それは、県議会議員、国会議員、知事と様々な立場での現場経験をベースにした言葉に共感するからだ。だが、決して北川氏の全ての主張を無条件に是とする「信者」ではない。やはり、氏とは意見が異なることもあるからだ。その一例として、いわゆる「乾杯条例」に代表される理念条例の議員提案がある。
あるパネルディスカッション登壇者の打ち合わせ会で、北川氏の「議会が取り組む条例づくりの最初のステップとしては、単なる理念条例でもかまわない」との発言に、私は異論を挟んだことがある。その理由は、乾杯条例の制定趣旨は、「清酒で乾杯都市宣言」や「清酒での乾杯を促進する決議」などでも実現でき、「雀を撃つのに大砲を使ってはならない」との比喩で説明される「比例原則」に照らしても、条例制定権を行使する必然性に乏しく、目的と手段の均衡がとれていないからである。そして何より、一度それを是とすると議員提案条例はそれで良いと勘違いしてしまい、次の政策条例づくりにつながることはないと危惧している。
だが、その場で北川氏から「何を言ってるんだ」とお叱りを受けたこともあり、パネルディスカッション本番で会場から理念条例制定の是非についての意見を求められた際には、さすがに一瞬コメントを躊躇した。しかし、隣に座る北川氏が「持論を述べたいんだろ?言えよ」と微笑みながら囁かれたので、遠慮なく持論を展開したことがある。
■「忖度」と「予定調和」の罪
私は、多くの人が場の空気を読み、権威の意向を「忖度」して持論を飲み込む場面を見てきた。だが、議会は議論の場であり、そこに身を置く議会人こそ、議会外でも自由に意見表明すべきではないか。合意形成のための内部の議論はともかく、外へ出てまで自己の意見を封印し、業界の権威に追従する「予定調和」の議論をすることに、どれほどの意味があるだろうか。
そして、予定調和に慣れると、いつしか自己が敬愛する人の考えを自分の考えだと思い込むようになり、思考停止に陥る。もちろん業界の権威へは、その功績も含めて大いに敬意を払うべきである。だが、その教えを乞うことは、その人の全ての見解を是とすることではない。その教えが自分にとっての正解であるかを見極めるのは自分自身である。誰が言っているかによって、自分の意見を決める「大人の態度」は、課題解決の方向性を見誤る原因となりかねない。
■大村智氏の金言
ノーベル賞学者である大村智北里大学特別栄誉教授は、「あるレベルまでは人の指導を仰ぐことも大事だが、それを超えるには自分独自の創造性や個性を生かして戦わなければ勝てない」と述べられている。局職員も業界の権威の個別見解を支持、参考にすることはあっても、その「人」の虜になってはいけない。なぜなら、業界の権威は宗教の「教祖」などではなく、我々職員もその教義を無条件に是とする「信者」ではないからである。
*文中、意見にわたる部分は私見である。
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第17回 議会改革の「定番アイテム」は必要不可欠なのか? 清水 克士
(月刊「ガバナンス」2017年8月号)
*写真は琵琶湖南湖地域の遠景。
他議会で意見交換すると「議会基本条例がないから議会改革が進まない」との嘆きを聞くことがよくある。それは意識の根底に「議会基本条例制定=議会改革」との方程式が刷り込まれているからではないだろうか。
大津市議会基本条例は、人が替わっても改革を後退させないために、主に実現した改革事項を定めた「改革先行型」である。もちろん、議会基本条例の制定意義はそれだけではないが、制定前までにほとんどの改革を実現した事実からは、決して条例がなければ進まないというものではないと断言できる。
したがって、何のために議会基本条例を制定しようとするのか、あえて作らないことも含めて議論すべきと思うが、議会基本条例制定が常識化すると、もう一歩手前に立ち返るという発想ができなくなる。何が課題かの起点を見誤ると、ときとして手段が目的化し、対応の方向性も大きくズレることになる。
■住民参加の本質は何か?
同様に議会報告会についても、参加者の減少化対策についての見解を求められることがよくある。
そこでは、議会報告会をしなければならない、との発想が起点となっている。たしかに議会への住民参加手法としては、わかりやすく実現しやすいが、法的根拠があるわけではなく、実施義務があるものでもない。
一方で地方自治法には、住民参加による広聴制度として公聴会・参考人制度が規定されている。だが、本会議での公聴会に関しては、2012年の法改正後もほとんど開催例はない。
しかしながら、議事機関の広聴活動は本来、会期日程中に公式会議録を残し、議会での議論に直接参加できるものであるべきではなかろうか。もちろん、法定制度に限定する理由はないが、その活用には関心を示さず、独自制度にばかり注力する姿は歪に見える。例えれば、学生が本分である学業をおろそかにして、課外活動にばかり熱中しているようなものだとは言えないだろうか。
執行機関と比しても、法定制度の活用を最初から考えず、独自制度に偏重して課題解決を図ろうとするのは特異である。そう考えると、議会報告会の場の盛り上げ方、参加者を増やす方法などの技術向上を課題と捉える前に、それが本当に最適手法なのか、原点に立ち返って検証することが必要ではないか。
■普遍的な最適解などあるのか?
我が国の地方議会制度は単一制度であるが、その運用実態は地域性や人口規模などの諸条件によって大きく異なる。住民参加の最適解も、全ての議会で通用するものがあると考える方が不自然であろう。
そして、私は特に中核市以上の規模の議会への住民参加のあり方としては、公聴会こそ最適解ではないかと考えている。重要事項であるからこそ議案や請願として議論されているのであり、その議論に直接加わる機会を創造することこそが、議事機関の本質に最も適うと考えるからだ。
確かに既存の会期日程に公聴会を導入することには、実務上の課題も多い。だが、既に大津市議会局では、議会版実行計画「大津市議会ミッションロードマップ」を追加改正したうえで正式に議会としての導入議論が始められるよう、事務的研究を始めている。そして公聴会がごく普通に議事日程に組み込まれたときには、議会への住民参加の常識は変わるだろう、と私は予感している。
*文中、意見にわたる部分は私見である。
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第18回 大津市議会意思決定条例のどこが常識破りなのか? 清水 克士
(月刊「ガバナンス」2017年9月号)
*写真は琵琶湖の情景。
7月末の「マニフェストサミット2017(早稲田大学マニフェスト研究所主催)」で、「本来の議会の仕事は何か~通年議会の是非から考える~」と題して、セッションの機会をいただいた。その議論の中で、地方自治法制定時には想定されていなかった「通年議会」に移行することによって、実務上の不都合が生じていることについても触れた。
■通年議会導入に伴う新たな課題
それは、法定外活動を議会の公務に位置付ける議員派遣の手続きについてである。例えば議会報告会を行う際には、議員派遣の手続きを経なければ公務外活動となるため、議員が会場に向かう際に被災しても、公務災害の対象とはならない。また、議会事務局職員も、業務として議会報告会に関わることはできないということになる。なぜなら、議会事務局職員に公務外の事務執行をさせるということは、人件費の不当支出となるからだ。
地方自治法第100条13項では、「議会は、議案の審査又は当該普通地方公共団体の事務に関する調査のためその他議会において必要があると認めるときは、会議規則の定めるところにより、議員を派遣することができる」とされ、標準市議会会議規則167条では「法第100条第13項の規定により議員を派遣しようとするときは、議会の議決でこれを決定する。ただし、緊急を要する場合は、議長において議員の派遣を決定することができる」とされている。この「緊急を要する場合」とは、一般的には閉会中を意味するとされている。
だが、物事の決定基準は、対象の軽重によって統一されたものであるべきで、会期中は議決、閉会中は議長決定という基準自体に合理性があるのかは疑問である。その規定を大前提とするにしても、大津市議会のように通年議会を採用している議会では、閉会期間は事実上なく、議員派遣の手続きを経るには常に本会議を開くことが必要となる。だが、本会議を開くには、費用弁償など様々なコストが発生するため、議員派遣の承認を得るためだけに本会議を開く場合には市民理解が得られるとも思えない。
■議会意思決定条例の制定意義
大津市議会では、「大津市議会意思決定条例」を制定し、本年4月1日から施行した。これは、機動的な議会の意思決定を実現するため、議決に拠らずとも議長や議会運営委員会(以下「議運」)の決定をもって議会の意思とする事項を、あらかじめ一括して定めたものである。議決でなければ少数意見が無視され常識破りとの意見もきくが、議運で意見が分かれた場合は、議決に戻すように制度設計しており、議長決定も議運に諮問してからの決定としている。つまり、全会一致が見込まれなければ、議長決定や議運決定とされることは事実上なく、少数意見を尊重しつつ、議会の意思決定の機動性を高めたことがポイントである。
市民視点からの制定意義としては、形式的議決を得るためだけの臨時会開催に要する費用や時間の節減に資するものである。一方、議会内部視点での制定意義は、法と議会の現場ニーズとのギャップを、独自条例で埋めようとするものである。
もちろん、議員派遣は意思決定条例制定の実務目的の一つに過ぎず、実務的な課題解決を求められている事項はそれだけではない。それ以外の制定目的については、次号で論じたい。
*文中、意見にわたる部分は私見である。
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第19回 続・大津市議会意思決定条例のどこが常識破りなのか? 清水 克士
(月刊「ガバナンス」2017年10月号)
*写真は琵琶湖の情景。
前号では、機動的な議会の意思決定を実現するため、議決に拠らずとも議長や議会運営委員会(以下「議運」)の決定で議会の意思とする事項を定めた、「大津市議会意思決定条例」の実務的意義の一つについて述べた。
それは、地方自治法(以下「法」)制定時には想定されていなかった「通年議会」を採用したことによって、法定外活動を議会の公務と位置付ける「議員派遣」手続のためだけでも、本会議を開く必要に迫られる不合理に対処したものである。
■その他の実務的意義
次に議会における専門的知見の活用については、『逐条地方自治法』(以下「逐条解説」)の100条の2の[解釈]において、具体的内容の議決を必要とする見解が示されている。だが、大学連携事業の詳細を、常に定例会開催に合わせて決めようとすることは、実務上困難を伴う。
大津市議会では制度運用の機動性を確保しつつ、公費支出の合法性を担保するため、当該条項についても議長決定とすることとした。つまり、立法者意思と現場ニーズのギャップを、条例制定で埋めようとするものである。
三つ目の意義の公聴会開催、参考人招致の意思決定手続については、「逐条解説」では議決でも議運決定でもよいとされている。だが、法が議会に判断を委ねるというのであれば、その都度場当たり的に決めるのではなく、大津市議会として執る手続きは予め決めておき、市民に明示しておくことが必要と考えたものである。
■意思決定条例制定の本質的意義
「大津市議会意思決定条例」の議事機関としての実務的意義は前述のとおりだが、立法機関としての議会の本質的意義は別にある。
法制定時には想定されておらず、追加改正によって制度化された「通年議会」や「専門的知見の導入」によって生じる実務的課題は、本来は法改正等によって国で対処されるべきものである。しかし、地方議会に法改正の権限が与えられていない以上、立法論を語っていても直面する課題は解決できない。地方議会が自ら持ちうる権限によって、立法者意思と現場ニーズとの乖離に対処したことこそが、大津市議会が「議会意思決定条例」を制定した立法機関としての本質的意義である。
■「常識」こそ疑うべきもの
発想の起点は、一つの法律中で同一行為を別表現することは、解釈に予断を与えるため考えにくいということだ。法には議会の意思決定に関して「議決しなければならない」とされているのは一部であり、多くは「議会は~できる」など他の表現がとられている。したがって、法に「議決」と明記されていなければ、首長が事務決裁規程を定めているのと同様、議会も意思決定方法を条例制定時に議決し、予め市民に明示しておけば、議決以外の意思決定も可能だと考えたのである。
合議制機関だから意思決定に時間がかかるのは仕方がないとするのは思い込みであり、手続きに必要以上に手間をかけることが丁寧な議論なのでもない。だが議会の意思決定は議決しかあり得ないというのが、議会の常識とされている。私は常識とされるものこそ疑ってかからなければ、現場における進歩はないと思っている。そして、市民感覚からズレた議会の常識を変えていくことこそが、議会局のシゴトの要諦ではないだろうか。
*文中、意見にわたる部分は私見である。
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第20回 議会の「常識」は真理なのか? 清水 克士
(月刊「ガバナンス」2017年11月号)
*写真は大津市議会局提供。
9月号、10月号では、機動的な議会の意思決定を実現するため、議決に拠らずとも議長や議会運営委員会の決定で議会の意思とする事項を定めた、「大津市議会意思決定条例」について述べた。反響としては、条例そのものよりも、なぜそんな発想ができるのか、といった主旨の感想が多かった。
今号では、「常識」に囚われずに「真理」に迫る思考の視点について、具体例に即して私見を述べたい。
■一般質問は必要なのか?
まずは一般質問を例に、「常識」と「真理」のズレについて考える。マスコミでは、質問回数が議員の資質を評価する基準として報道されるなど、世間的には議員の主な仕事が一般質問と思われているようである。
だが、一般質問は、各議会が任意に会議規則(大津市議会では会議条例)で定めて行っているものに過ぎず、地方自治法で義務付けられている制度ではない。それは、一般質問が議員個人の意思表明の場でしかなく、議事機関としての権能とは無関係だからではないだろうか。議会の権能は、あくまで議員が議論した結果としての機関意思によって発揮されるものであり、法は議員の個人的活動については、必ずしも重視していないのである。
もちろん、一般質問が契機となって実現する施策もあり、その意義が全否定されるものではない。しかし、委員会よりも一般質問の会期日程が長いなど、議員の個人的活動である一般質問のほうが、議事機関としての本分である議案審議よりも重きが置かれていると思える状況の議会は多い。地方自治法の立法趣旨を踏まえると、何かおかしくはないだろうか。
このように疑問を抱くと、会期日程のあり方を根本的に変え、一般質問を縮小、あるいは廃止してでも、本会議における議員間討議を実現することや、委員会審議の日程を長く確保して議案審議を充実するといった対案が自然と発想されるようになる。
■議会(事務)局職員の姿勢
先の例は、「常識」とされていることに対して、物事の本質は何かというところまで遡って思考することの必要性を説明するために語っているに過ぎない。
だが、いずれにしてもこのような対案が議員から提案されることはないだろう。なぜなら、一般質問は議員個人として重要なアピールの場でもあるからだ。選挙で票を集めなければならない宿命にある議員から、このような提案がされることは考えにくい。そこで、局職員の議会、議員に対する姿勢が重要となる。局職員には議員からの指示待ちではなく、議員にはできない提案こそ、積極的にする姿勢が求められ、それが「常識」を変えるのである。
■真理は細部に宿る
「真理」とは、「いつどんなときも変わることがない正しい物事の筋道」とされる。そして、「常識」とされていることが「真理」だとは限らず、多くの場合、それは検証されていない。
「真理(神)は細部に宿る」と言われる。大所高所からの意見、理論も、参考にすべきではあるが、鵜呑みにすべきではない。議会を取り巻く前提条件は様々で、正解が一つであるほうが不思議だからだ。議会の実態は外から見ても、全てはわからない。現場にいる者こそが身近な疑問から「常識」を疑い、自己責任で解決策を模索するしかないのである。
*文中、意見にわたる部分は私見である。
Profile
大津市議会局長・早稲田大学マニフェスト研究所招聘研究員
清水 克士
しみず・かつし 1963年生まれ。同志社大学法学部卒業後、85年大津市役所入庁。企業局総務課総務係長、産業政策課副参事、議会総務課長、次長などを経て2020年4月から現職。著書に『議会事務局のシゴト』(ぎょうせい)。