2017.8.31 12:00
【関西の議論】
文化庁もあきれた、「太子道」日本遺産落選でまさかの協議会“内紛”…「和をもって貴しと為す」は守られず
かつて聖徳太子が往来したとされ、太子にまつわる多くの伝承が残る奈良と大阪の古道「太子道(たいしみち)」。ゆかりの地を一体となってPRするため、文化庁の「日本遺産」認定を目指して両府県の関係自治体などで結成された協議会が今夏、突然解散した。世界遺産・法隆寺や太子の愛犬と伝わる「雪丸」像がまつられた達磨寺(だるまじ)など、ゆかりの文化遺産が豊富な古道の認定はなぜ、幻と消えたのか。背景を探ると、自治体間の思惑の違いや意思疎通の難しさが浮かび上がった。
聖徳太子が往来した歴史ある古道
太子道は、法隆寺を起点に太子が生まれたとされる橘寺(奈良県明日香村)を結ぶ「筋違(すじかい)道」(約24キロ)と、法隆寺から太子の墓がある叡福寺(大阪府太子町)に至る、太子の遺体が運ばれた「太子葬送の道」(約20キロ)の2本をいう。国づくりに奔走する太子が往来した道として古文書にも登場し、沿道には太子にまつわる多くの言い伝えが残る。
一方、日本遺産は地域振興を目的に、文化庁が平成27年度に創設した認定制度。地域に伝わる有形・無形の文化財をストーリーで結んで価値付けするもの。現在、全国で54件が認定されている。認定されれば、整備・発信のための補助金約4千万円が国から支給されることから、地域振興に役立つとして各地で申請活動が盛んだ。
「太子道」をめぐる活動は昨年7月、奈良県王寺町が「聖徳太子ゆかりの地PR」を目的に、隣の斑鳩町に呼びかけたのが始まり。その後に県と、この2町に安堵町、川西町、三宅町、田原本町、橿原市、明日香村、香芝市を加えた9市町、さらに大阪府太子町、奈良と大阪の3カ寺(法隆寺、橘寺、叡福寺)を合わせた計14団体が賛同し、「太子道日本遺産認定推進協議会」が奈良で結成された。
「日本遺産」へ申請、しかし…
協議会は今年1月、「『太子道』にたどる“日本のスーパースター”聖徳太子の風景」と題し、「1400年にわたり人びとが伝えてきた太子の心や風景に出会える道」というストーリーを軸に、文化庁へ日本遺産認定を申請。だが4月、「聖徳太子のインパクトは大きいが、太子ゆかりの文化財を並べただけにすぎない」「当時の太子道での往来や周辺の様子など、時代の状況と合わせて、より興味を引きつけるためのわかりやすいストーリーが必要」などと指摘され、あえなく落選となった。
実は、日本遺産は最初の申請で認定されることは少ないという。今年度認定されたのは「ニシン交易の町並み」「戦国の忍者のリアルと伝統」など、北海道から熊本県まで計17のストーリー。「太子道」の推進協事務局では指摘を踏まえ、「太子のインパクトを生かし、歴史的な意義と地域との関わりを伝えるストーリーを新たに模索する」と、30年度の認定を目指すことにした。
法隆寺のお膝元・斑鳩町が、まさか…
ところが、今後の協議に向けて動き出した矢先に事態は急変した。
5月29日、協議会の会長を務める王寺町の平井康之町長(64)のもとに突然、斑鳩町の小城利重町長(68)名の「退会通知」が届いたのだ。文面は、「聖徳太子1400年御遠忌(ごおんき)に向け事業展開を検討したく、協議会から退会させていただきたい」と、いたって簡潔なものだった。
王寺町は10日前に斑鳩町に対し今後の協議への協力を求めたばかりで、まさに「青天(せいてん)の霹靂(へきれき)」(平井町長)だった。翌日には退会届の撤回など再考を打診したが、斑鳩町からは「決定事項なので応じられない」と返答があった。
法隆寺のお膝元から、まさかの脱退宣言。関係者の間では、今後の対応について水面下で調整が進められた。そんな混乱さなかの6月2日、小城町長は任期満了(11月10日)に伴う斑鳩町長選に、9選を目指し無所属で立候補するとして記者会見を開いた。
「まちづくりへの情熱が続く限り、引き続きかじ取り役として町の発展に尽くしたい」。小城町長はこう抱負を語る一方、日本遺産をめぐっては「調査研究が拙速で不十分だった」と申請内容への不満をあらわにし、「一度落選した以上、再申請はあり得ない」などと脱退理由を述べた。
さらに、「なぜ、王寺町はマスコットの『雪丸』を合わせて(日本遺産に)申請しようとするのか」と王寺町の姿勢を批判、同町や協議会への不信感をのぞかせた。
「雪丸」とは聖徳太子の愛犬と伝えられる白い犬で、王寺町の達磨寺に像がまつられている。王寺町が平成25年から「観光・広報大使」として公式マスコットをつくり、26年の「ゆるキャラグランプリ」では全国の1699体中11位に輝いた。最近は小型無人機「雪丸ドローン」も制作され、話題を集めている。
王寺町の“宣伝隊長”で公式マスコットの「雪丸」も、さや当てに使われた?
ただ、協議会で申請したストーリー内には「雪丸像」はあるが、ゆるキャラの「雪丸」は含まれていない。王寺町の担当者に聞くと、「雪丸を前面に出したつもりはないが…」と困惑を隠せない様子だった。
達磨寺の境内に祭られている聖徳太子の愛犬・雪丸像=奈良県王寺町
斑鳩町抜きは「不可能」
斑鳩町の退会で、協議会事務局は改めて対応を協議。文化庁に問い合わせると、「斑鳩町を含めずに太子道に関するストーリーを構成しても、日本遺産の認定は難しい」との回答があった。
ただ、聖徳太子が建立した斑鳩町の法隆寺は引き続き協議会メンバーとして残り、ともに申請を目指す意向を示した。それでも文化庁からは「斑鳩町が入会していなければ、法隆寺を構成文化財にすることはできない」と指摘されたという。
このため、斑鳩町の退会を受けた6月28日の協議会では、「太子ゆかりの斑鳩町を含めず日本遺産を申請するのは極めて難しく、協議会を維持できない」として解散を決めた。斑鳩町からは出席がなかった。
「なぜ?」困惑する周辺自治体
協議会結成から1年足らず。短期間での突然の幕引きは他の参加自治体を困惑させた。ある自治体関係者は「こうした協議会は信頼関係がベースにあってこそ成り立つ。斑鳩町の対応は残念でならない。せめて協議会の場で説明をするのが筋ではないか」と憤りを隠さない。
三宅町の森田浩司町長も「(うちは)小さな町なので、他地域や団体と協力をしなければPRしていくのが難しい」と肩を落とす。他にも「登録を楽しみにしていただけに非常に残念」「あと2、3回は日本遺産にチャレンジできると思っていたのに…」と失望の声が聞かれた。
法隆寺の古谷正覚執事長(68)は「非常に残念。聖徳太子を通じて盛り上げるべく、別の形で自治体をお手伝いできれば」といい、平井町長は「『日本遺産登録』は断念せざるを得ないが、他の枠組みで広域的な連携を図り、太子道の価値をPRしていきたい」と述べる。
「和をもって」のはずが…
構成団体が協力し合って目指すはずだった「太子道」の日本遺産認定。文化庁の担当者は、遺産認定をめぐる自治体間の軋轢(あつれき)は「聞いたことがない」といい、「認定制度の趣旨は地域活性化に寄与すること。地域の魅力発信に向け、自治体間で協力してもらいたい」と話した。
日本遺産認定の道は閉ざされたが、「太子」がこの地域の文化・観光遺産であることに変わりはない。王寺町は、旅行会社とタイアップした太子ゆかりの史跡巡りツアーや、東京での観光プロモーションを行うなど、独自の“太子ゆかりの地”PRを展開。一方、斑鳩町は関西と関東の4自治体と、法隆寺を通じ歴史・文化遺産を生かした交流を深める「法隆寺ゆかりの都市文化交流協定」を締結するなど、新たな枠組み構築に乗り出している。
一連の騒動を見るに付け、太子のあの有名な言葉が脳裏をよぎった。和をもって貴(たっと)しと為(な)す」。何事を行うにもみんな仲良く理解し合い、いさかいを起こさないのが良い-という意味だったはず。1400年後、その太子ゆかりの地で日本遺産を目指す取り組みは、何とも皮肉な結末を迎えた。(石橋明日佳)