おめでとう、言葉を沢山頂きありがとうございます。
(^_^)
助けて下さった方も沢山いて、感謝しかございません。
この場を借りてありがとうございます。
今回のわが町・三宅町の議員を選ぶ選挙は、候補者10名で、立候補者も10名。
やりたいと言って手挙げした人が全員、議員になったということです。
やりたい人が出来るチャンスがあるというのは、大変良いことだと思います。
が、しかしです。
「無投票」といことについて、いろんなことを考えています。
4年間させていただいて言えることは、“本来の議員というものは”大変やりがいのある仕事である。ということです。
そして大問題なのは、“本来の”議員の役割が三宅町議会でなされているのか?と問われれば疑問です。
「議員というのはそういうものだ。近隣の議会を見てみい」と言われますので、比較検討も悪くないですが、「議会の在り方とはこういうものだ」について参考にするには根拠が薄いです。
議会が活発に活動しているところを参考にしたいです。
具体的には、「議会改革度が高い」と言われる議会です。
「あなたの言うことには具体性がない」
そんな言葉が、気になっているのかもしれません。
4年前は、訳が分からず飛び込んだ議員の世界で、なんとなくで良かったかもしれませんが、一期勤めた後ではそういう訳にはいきません。
本当は、議会として出来ることは沢山あるのですが、議員一人だとそうでもない。
二元代表制ということでそういう制度設計になっています。
4年前に始めて感じたことは、議会を構成する議員に対して「なんだこのポンコツ集団は!」です。
当初は、私も含めて半数以上の6名が新人だったので、文字通り新人ばっかりで何もわかっていない「ポンコツ」でした。
先輩議員は頼もしいものではありましたが、「こんな議員さんになりたい」と思って憧れる方はおられませんでした(人生の先輩としては尊敬しています)
(こんなことを書いて誰も得をしない、むしろ森内は損ばかりするのに、また森内は何を考えているのでしょう。しかし記しておこうと思います・・・)
なぜ、先輩議員を尊敬できなかったのか?
森内の思い込みとして、
議員(つまり町の代表として選ばれた人たち)は、町のことを誰よりも思っていると思い込んでいた。
本当は議員さんたちはそれぞれに町のことを思っておられるのですが、森内が鈍感で感じられないということも大いにあり得ますが、感じないんだから仕方がない、と開き直っておきます。
口では住民さんのためと当然言われますよ。しかし、感じませんでした。むしろ、『アイツらおった時は、いろんなところに旅行(視察のこと)行って、飲んで楽しかったわ』という地方議員武勇伝を話す先輩議員の方が清々しく思えるほどです。
先日の議会改革の研修で、講師の方がこう尋ねました。
「三宅町のすべての政策は、皆さん三宅町議会が決定している。いいですよね?」
この問いに対する答えは「イエス」であり「ノー」というものだと考えます。
制度的には、二元代表制なので間違いなく「イエス」です。
しかし、実際に議員として活動してみて決してイエスではありません。
政策の決定過程に関われていない(「関わらせてもらえていない」「議員自体が関わろうともしないので、当然、議会としても関わっていない)からです。
なので講師からの質問に対しては、なんと回答していいか、分かりませんでした。
しかし、先輩議員は堂々と「そんなことはない。政策を決めているのは理事者である」と言ってのけられ「我々は、決まったものに意見しているだけで、その意見を聞くも聞かないも理事者次第」と政策の結果に対する責任が希薄になりがちなことを言われていました。
しかし、これまたある種の清々しさを感じます。
引用「議会に上程される議案のほとんどが、首長提案であり、その立案と実施は行政機関が行なっているため、議員も住民も、政策の主体は行政であり、議会はもっぱら政策の審判員であり、市民はもっぱら政策の対象である、といった固定観念を持ってしまう傾向にある」
「すべて行政にお任せ」という住民感覚と、政策のもたらす結果に対する議決責任の感覚が希薄な議員を生み出す」
そんな文化が住民にも議員にもそして、行政の職員にもあって、我々新人議員にも見事に引き継がれていった四年間であった!
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