3月議会の活動報告(ボツ記事:みいもについて)

4月からの予算について書いている内容です

● 交流まちづくりセンターMiiMo(みいも)の利用料が、各課で計上される。
役場の各部署もMiiIMoを使用したら、使用料を払うことになる)
⇒「住民さんがMiiMoを使用するとオカネを払うのだから、役場が利用する時にもオカネを払おう」という発想です。
施設を管理してゆくにはオカネが必要なので、使う人”すべて”から”平等”にオカネを集めようという考え方です。
この先、施設を維持管理するうえで大事な考え方です。
とはいえ、”すべての人に平等に” とは、いかにもお役所の発想だと感じませんか?
利用する側でなく、管理する側の発想だとも感じます。
管理する側の発想なので当然、上から目線。

みなさん、
MiiMoにある部屋って借りやすいですか?
MiiMoの場所って使いやすいですか?

空いていたら、ホールの鏡を見てダンスしたいというグループに貸してあげてもいいんじゃない?
来週、みいもでのショーで使う道具の加工をするならコンセントを貸してあげてもいいんじゃない?
空いていたら、何をするにも準備は必要だから、早めに部屋に、入ることができてもいいんじゃない?
お金のやり取りがあれば「営利目的」って、単純すぎで、決めつけで、ヤル気を無くすんですけど…
ホール内のイベントが、外から見て、やっているのか・いないのか、わからないのは残念
みいもに集まる子どもたちにとっては、ホールで行事があれば仕切りは閉めておいた方が集まりやすいのでは?
いろいろと意見を言うのは興味があるからです。もっと良くなる・良くしたいと感じるからです
いろいろと意見を言う人を、うるさい人と避けるような傾向が役所にはありますよね(わかるけど)…

管理することが、最初にあるのではないです。
「使いやすい・使って便利」だから、「この先も長く使いたい」
だから、維持・管理をして欲しい。
「使えねぇ施設」なら維持してくれなくてもけっこうです、となります。
今、タダで使っている人(図書室利用者、たむろする子どもたち、空いていたら楽器を弾いてる人など)は、維持して欲しいと考えるはず、タダだから。
しかし、オカネを出して部屋を借りる人はどうでしょう?

「安いから少しの不便は我慢しよう」という人たちに使ってもらうのがMiiMoの部屋でしょうか? 違う。
少なくとも私は議員として、そんなもののために10億円の施設の建設に賛成したつもりはない!
「ここ・三宅町に住む人の活動の拠点」のはずです。

管理する側の論理ではなく、使う人が便利かどうかの視点から、MiiMoの貸し部屋については考え直す必要が、おおいにあります。
以前の公民館のように使えない、と本当によく聞きます
それは「ただで貸してくれ」ということでしょうか?違います。
実際にはタダではなく、文化協会への加入料という名目で年間3000円で月2回、部屋が無料で借りられるというサブスク方式でしたね

考え直す例として、
みいも内で活動している様子がオープンになればいいよね(正しいコンセプトだと思う)が、実際にやってみると、「利用している方も、関係なくやって来た方も音がうるさい」とわかりました。これも管理する側の考えから決めたルールですよね。
「活動がオープンになればいいよね」というコンセプトを活かしつつ、「音漏れがうるさい」ということにどう対処するのかを考えないといけないのです。
しかし「間仕切りを閉めたら○○円」というルールばかりを強固に守ろうとすると、使ってみたら、向こうの話し声が大きく邪魔だったので間仕切りをしめようとしたら、余分におカネを取られるというのは、利用者のヤル気の削除につながります。

 タクシーチケットにしても、MiiMoのスペース貸出にしても、使う人目線(すなわち住民目線)が、欠落傾向にあります。これを解決するのが「対話」(最近、よく聞くよねぇ~)だとしたら、その「対話」というのは、“相手の意見を聞くことによって、自分が変わる・自分を変える覚悟があるか”が最重要となります。 あなたの周りにいる、町を変えることのできる選挙で選ばれた議員をはじめとする人や、実務を行う職員さんたちは、(自分の側を)変えよう、(自分が)変わろうという覚悟がありそうですか?ワタクシ森内がボぉ~と話を聞いていたら、「対話する気があるのか?」と、カツを入れてくださいね

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