不安な個人、立ちすくむ国家 モデルなき時代をどう前向きに生き抜くか

経済産業省の若手次官が作った資料とのこと。
http://www.meti.go.jp/committee/summary/eic0009/pdf/020_02_00.pdf

( ..)φメモメモ

さすが優秀な頭脳と思う部分も多々ありますよ。必見です。

【引用・抜粋】しながら、メモっておきます。と思ったがほぼ全部の内容を網羅・・・

かつて、人生には目指すべきモデルがあり、自然と人生設計ができていた。
今は、何をやったら「合格」「100点」か分からない中で、人生100年、自分の生き方を自分で決断しなければならない。
世の中は昔より豊かになり、日々の危険やリスクは減っているはずだが、個人の不安・不満をこのまま放置すると、社会が不安定化しかねない。
我々は、再び「権威」や「型」に頼って不安・不満を解消するのではなく、
「自由の中にも秩序があり、個人が安心して挑戦できる新たな社会システム」
を創るための努力をはじめなければならないのではないか。

「自由だが不安・・・」が、「権威への回帰(原理主義、ナショナリズム、保護主義)に進んでいるのはないか?

例えば「トランプ現象」「自民党一党支配によるやりたい放題」がその例か??

人類がこれまで経験したことのない変化に直面し、個人の生き方や価値観も急速に変化しつつあるにもかかわらず、
日本の社会システムはちっとも変化できていない。
このことが人々の焦り、いら立ち、不安に拍車をかけているのではないか。
なぜ日本は、大きな発想の転換や思い切った選択ができないままなのだろうか。

今の社会システムは、高度経済成長まっただ中の1960年代の日本社会を前提につくられたもの。

「サラリーマンと専業主婦で定年後は年金暮らし」という
「昭和の人生すごろく」のコンプリート率は、既に大幅に下がっている。

今後は、人生100年、二毛作三毛作が当たり前。
にも関わらず、「昭和の標準モデル」を前提に作られた制度と、それを当然と思いがちな価値観が絡み合い、変革が進まない。
これが、多様な生き方をしようとする個人の選択を歪めているのではないか。

例えば、
1)定年後、まだまだ働きたいのに、働く場所がない
2)人生の終末期に過ごす場所を、望み通り選べない
・・・手厚い年金や医療も、必ずしも高齢者を幸せにしていない
一方で、
3)母子家庭になると、半数以上は貧困に
4)一度、非正規になると貧困から抜け出せず、子どもまでも
・・・社会のひずみの縮図のような弱者が生まれている
また、
5)若者の社会貢献意識は高いのに、活躍できていない
こんなもったいない状況を放置していいはずがない。

多くの人が健康で長生きする現代。
にもかかわらず、60歳半ばで社会とのつながりが急速に失われる暮らし。
そんな暮らしを多くの人が望んでいるだろうか?

実際は、高齢者が働く場はなく、社会的な活動もしていない
.. では何をしているのか?
>趣味娯楽、学習・自己啓発・訓練(学業以外)、休息・くつろぎ、テレビ・ラジオ・新聞・雑誌
(2011年 総務省「社会生活基本調査」より経済産業省作成)

定年後の生き甲斐はどこにあるのか?
家族や仕事のある高齢者は十分に生き甲斐を感じているが、1人暮らしや仕事なしでは生き甲斐を感じにくい。

健康で長生きしたあとで人生最後の一ヶ月に、莫大な費用をかけてありとあらゆる延命治療が行われる現在。
どんな人生の最期を迎えたいですか?
「終末期の自分」を、選択できていますか?

現状、病院以外で最期を迎えるという選択股はほとんどない
人々が最期を迎えたい場所は、病院ではなく自宅(60%)。しかし、現実には大半が病院で、亡くなっている(75%)

国民医療費の約2割が80歳以上の医療費であり、その多くを入院費用が占めている。

米国では、本人の意向を踏まえたケア提供により病院で亡くなる人が減少
フランスでは、医療現場と国民が医療の限界を受け入れ、終末期の選択股が拡大

意欲、健康、経済状況など高齢者が置かれた状況は様々。
にもかかかわらず、現在の社会システムは、ある年齢で区切って一律に「高齢者=弱者」として扱い、個人に十分な選択の機会が与えられていない。
高齢化が進む中、こうした考え方のまま際限なく医療・介護・年金等にどんどん富をつぎ込むことに、
日本の社会はいつまで耐えられるのだろうか。

その一方で、子ども・若者の貧困を食い止め、連鎖を防ぐための政府の努力は十分か。
母子家庭の貧困、こどもの貧困を、どこかで「自己責任」と断じていないか。
若者に十分な活躍の場を与えられているだろうか。

日本の母子世帯の貧困率は世界でも突出して高い
(母子世帯の過半数は貧困で、日本だけ突出して高い)
OECD各国の一人親・子持ち就業者世帯の貧困率
※一人親・子持ちの就業者世帯の中で、就業者世帯全体の平均所得の500/0未満の水準にある世帯数の割合(所得は、世帯一人当たりに換算して比較)

母子世帯は高齢世帯に比ペセイフテイネットの恩恵を受けていない

親の年収が高いほど、子は大学進学 ⇒ 中卒・高卒の約半数が非正規雇用 ⇒
非正規の年収は正規の1/3 ⇒ 教育資金は年収に比例 ⇒
親の年収が高いほど、子は大学進学

貧困が連鎖・ 固定化する構造

親の年収が高いほど、子は大学進学

日本は、少子高齢化の影響を考慮したとしても高齢者向け支出に比べて現役世代向け支出が低い

母子世帯の貧困は社会のひずみの縮図であり、対症療法的な金銭給付だけが解決策ではない
・シルバー民主主義(高齢者は弱者という価値観に基づく社会保障制度)(高齢者は大きな票田)
・育児=家庭責任論(育児は親の責任。地域コミュニティーの崩壊)
・育児は女性が担うという価値観(出産による離職。家事育児分担の不公平感)
・日本型雇用システム(正規・非正規の賃金格差。長時間労働)

日本の若者は貢献意識が高いが、社会を変えられると思えていない
「自国のために役立つことをしたい」と思う若者の割合は最も高いが..
『自分の参加により社会が変わる』と思う若者の割合は最も低い
(出典)内閣府「平成25年度我が国と諸外国の若者の意識に関する調査」より

その結果、若者は社会貢献を諦め自分中心になっている可能も・・・
(出典)平成28年度新入社員「働くことの意識J調査結果(公益財団法人日本生産性本部)より

高齢者は一律に弱者として手厚く保護する一方、「子育ては親の責任」、「現役世代は自己責任」と突き放し、
意欲のある若者にも高齢者にも活躍の「場」を提供できていない日本。
「未来の日本の豊かさを支える子供たちだけは、社会全体で投資し、何としても支える。」
「年齢にかかわらず、それぞれのやり方で社会に貢献する。」
と胸を張って言える方が、将来に対する希望が持てるのではないか。

みんなの人生にあてはまり、みんなに共感してもらえる「共通の目標」を、政府が示すことは難しくなっている。

一人当たりGDPが神びても、かつてのように個人は幸せにならない
日本の1人当たり実質GDP、生活満足度の推移 約30年で一人あたりGDPは2倍近く伸びたにもかかわらず、生活満足度は横ばい。
(出典)内閣府「国民経済計算」「国民生活選好度調査」より

一人当たりGDPが幸福度に与える影響は世界的に低下している可能性

「つながり」や「健康寿命」も幸福の重要な要素

社会の豊かさを追求することは重要だが、合計値としてのGDP、平均値としての1人当たりGDPを増やしても、かつてほど個人の幸せにつながらない。
幸せの尺度はひとつではなく、ましてや政府の決めることでもない。
それに気づいた一部の国では、個人の幸福感や満足度をつぶさに観測しながら、個人の選択を支え、不安を軽減するための柔軟な制度設計にリーダーシップを発揮しはじめているのではないか。


インターネットの普及により、情報の流れが「権威から個人へ」ではなく双方向、多方向に。
インターネットは個人の選択肢を広げるのか?
自分で情報を選択しているつもりが、実は誰かに操作されているとしたら?

既存メディアに対する信頼は低下し、ソーシャルメディアが信頼される傾向
インターネットは情報流通を圧倒的に増やしたが、情報の自己増殖により不安をあおられやすい面も
自分のコミュニティー以外とはやりとりせず(=自分にとって都合の良い、耳触りの良い情報しか入ってこない)

自分で情報を選び、自分で決断しているつもりが・・・実際には与えられた情報に踊らされている?

インターネットは個人の選択を支えるものだが、個人の判断や行動が誰かに操作されるリスクも当然に内包する。
その結果、社会全体としての意思決定が極端なものとなる可能性もある。
我々はそれに対して何ができるのか考える時期に来ているのではないか。


3. 我々はどうすれば‘良いか

戦後、日本は、世界に誇れる社会保障制度の構築に成功し、公平性を維持した経済成長を実現。
しかし、本格的な少子高齢化が進むなか、過去に最適だった仕組みは明らかに現在に適応していない。
既に人々の価値観は変化しつつあるにもかかわらず、過去の仕組みに引きずられた既得権や固定観念が改革を阻んでいる。
「シルバー民主主義」を背景に大胆な改革は困難と思い込み、誰もが本質的な課題から逃げているのではないか。

古い価値観と固着化した輝かしき制度の束をどう変えていくか

・ある年齢を迎える仕事を辞め、引退するもの
⇒ 人生100年、スキルに磨き続けて健康な限り社会参画

・高齢者は国や現役世代に支えられるもの
・子育ては自己責任で。義務教育以外は私的利益
⇒ 子供や教育に最終戦で成長投資

・台るまで病院であらゆる治療を試すもの
⇒ 延命治療は本人の意思に応じて

・公の課題は官が担うもの。地方は都市が支えるもの
⇒ 意欲と能力がある人が公を担う

このままでは、いつか社会が立ちゆかなくなることは明らか。
若い世代には、そんな日本を見限って、生活の場を海外に移す動きも出てきている。
従来の延長線上で個別制度を少しずつ手直しするのではなく、今こそ、社会の仕組みを新しい価値観に基づいて抜本的に組み替える時期に来ているのではないか。
1)一律に年齢で「高齢者=弱者」とみなす社会保障をやめ、働ける限り貢献する社会へ
2)子どもや教育への投資を財政における最優先課題に
3)「公」の課題を全て官が担うのではなく、意欲と能力ある個人が担い手に(公共事業・サイバー空間対策など)
これにより、個人の帰属・つながりを回復し、不確実でも明るい未来を実現する。

時代遅れの制度を変える様々な抜本的提案は既に出てきている。
これからは具体策を決断し、それを実現する段階。

・人生100年、スキルに磨き続けて健康な限り社会参画
大人の義務教育(おとな学校)
40歳定年制
地縁の他孫(たまご)
医療貯蓄口座

・子供や教育に最終戦で成長投資

教育バウチャー
子ども保険
海外留学奨学金(トビタテ留学ジャパン)
就学前義務教育化

・意欲と能力がある人が公を担う
ソーシャル・インパクト・ボンド
地域通貨(イノバック)
ローカル・マネージメン法人
フューチャーセンター FCAJ


リビングウィル」「投票ポイント寿命比例制」「ベーシックインカム」「SDGs ESG投資 新国富指標」「Welfare指標(消費、余暇、余命、平等)」「資産課税強化

ほとんど聞いたことがない例だわ・・・・
勉強になる!!
リンクを張っておこう

———–
1)一律に年齢で「高齢者=弱者」とみなす社会保障をやめ、働ける限り貢献する社会へ

現在の社会保障制度は、65歳から年金の支給が可能になることや、医療の自己負担率の設計が年齢で異なっているなど、一定の年齢以上の高齢者を「弱者=支えられる側」とひとくくりにしている。
このことは、制度が本来意図しない形で、高齢者の選択肢を狭めているのではないか。
社会保障制度は、年齢による一律の区分を廃止し、個人の意欲や健康状態、経済状況などに応じた負担と給付を行う制度に抜本的に組み替えていくべきではないか。
このことが、個人の生きがいや社会のつながりを増やすとともに、結果的に財政負担の軽減にもつながるのではないか。

年齢に縛られない社会保障を通じ多様で複線的な社会参画を促すことで、持続可能な新たな社会モデルを築くことができるのではないか。
重要なことは、定年後ではなく、30代、40代の現役時代から個人の社会における役割を多重化しておくことではないか。

2)子どもや教育への投資を財政における最優先課題に

変化が激しく、特定の「成功モデル」もない現在。
今の子供たちの約6割が、大学卒業時には今存在していない仕事に就くと言われている。
20年後には多くの大企業も存在しなくなっている可能性がある。
子どもから大人まで、自由を行使し変化を乗り越える力を身につけることで、誰もが思いきった挑戦ができ、不確実であっても明るい未来が作り出せる。

しかしながら、シルバー民主主義の下で高齢者に関する予算は当然のように増額される一方、
教育の充実を図るためには新たな財源を見つける【負担増】か、その他の予算を削減する【給付減】しかないのが現状。
優先順位を逆転し、子どもへのケアや教育を社会に対する投資と捉え、真っ先に必要な予算を確保するよう、財政のあり方を抜本的に見直すべきではないか。
その際、単に今の学校教育の予算を増やすのではなく、民間サービス、最先端テクノロジー、金融手法なども活用し、何をどう教育するかも含め、非連続な転換を図るべき。

少子化であればこそ、子供の教育にもっと投資を

従来は、勤労世代が高齢者を支えるという考え方(65歳以上 )/ (20~64歳)
発想を転換し、子どもを大人が支えると考えれば、子どもを支える大人は増加(20~64歳)/ (65歳以上 )

変化が激しい時代を生き抜く個人を支える
子どもへのケアや教育の充実により不確実でも明るい宋来をつくる

ここでの「教育』は今の学校教育そのものを意昧しないはず。
何を教育するか、どう教育するか(教師のあり方等)ち含めて変わってくるのではないか。

自分で人生を選択しデザイン ⇒ 不安を克服 ⇒ 不確実でも明るい未来

3)「公」の課題を全て官が担うのではなく、意欲と能力ある個人が担い手に

いつからか、「公は官が担うもの」という思い込みにより、
・住民は税金の対価として官からサービスを受けるもの(お客様)
・民間に任せるかどうかは官が判断するもの(民営化、規制緩和)
となった結果、官業が肥大し財政負担が増え続けるとともに、「公」についての個人や地域の多様なニーズに応えられなくなっている。
本来、「公」の課題こそ、多くの個人が生きがい、やりがいを感じられる仕事であり、潜在的な担い手は大勢いるはず。
新しいネットワーク技術を活用することによって、これまで以上に、多様な個人が「公」に参画しやすくなっているのではないか。

意欲と能力ある個人が「公」の担い手に
ITでマッチングを効率化し「公」を再構築
<プラットフォームを活用した事例>
〇イノパック
テキサス州での実証実験で用いられた地域通貨。
市民の様々なニーズをつなぐインセンティブに。
〇NYC311
NY市が運営する、市民の苦情・二一ズにワンストップで対応するスマホアプリ等のサービス

プラットフォーム運営を官が担い、企業や市民が課題設定・情報提供しあう

住民による実際にあった公共工事
<長野県下候村の事例>
かつて:「道路工事は行政のしごと」
官「全てのニーズを満たすことに限界」⇒ 民「道路の補修を行政に対して陳述」

人口減少・財源不足のなか、村民を巻き込んでの行財政改革

官「課題設定、資材提供」⇒ 民「住民自ら協力して道路工事」
財源を捻出し、子育て支援を充実した結果、
出生率は1.80から2.04ヘ改善共同作業でコミュニティも活性化

サイバー空間でも、様々な主体か情報の「質」を確保するための取組を始めている
専門家や民間機関によるネット情報評価
交流サイトによる不適切な動画等の削除


最後に
2025年には、団塊の世代の大半が75歳を超えている。
それまでに高齢者が支えられる側から支える側へと転換するような社会を作り上げる必要がある。
そこから逆算すると、この数年が勝負。
かつて、少子化を止めるためには、団塊ジュニアを対象に効果的な少子化対策を行う必要があったが、今や彼らはすでに40歳を超えており、対策が後手に回りつつある。
今回、高齢者が社会を支える側に回れるかは、日本が少子高齢化を克服できるかの最後のチャンス。
2度目の見逃し三振はもう許されない。

日本は、アジアがいずれ経験する高齢化を20年早く経験する。
これを解決していくのが日本に課ぜられた歴史的使命であり挑戦しがいのある課題ではないか。
日本社会が思い切った決断をして変わってみせることが、アジア、ひいては国際社会への貢献にもつながるのではないか。

(65歳以上 )


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