「住民に公開・共有して困るような情報はない」「行政のなかには個人情報を除き、いっさいの秘密はない」

ある住民さんから「参考にどうぞ」とコピーをいただきました。
三宅町議会の議員さんにも、三宅町役場の職員さんにも、三宅町の住民さんにも参考になると思うので、引用しておきます。

議員さんと職員さんには、「公共の場でいえない本音」の話は、議員も職員さんにも響いて欲しいです。
三宅町の議員さんには、「町長の議会への根回し」のくだりが納得できないかもしれません。
職員さんには、「最少経費美徳論(質よりカネ主義※森内命名)」ってどうなん?とききたい。
図書館の運営の話はタイムリーかもしれません。
他に、この町長おっそろしいこと言ってますよ「人事異動もスムーズになりました(笑)」ですって・・・
後半に、「ニセコ町の改革は人口5000人だからできたんじゃねー」という意見が出てきます。

人口5000人の町に出来て、7000人弱の三宅には出来ないのですかねぇ???

住民さんには・・・・「この話は難しすぎるで」「興味ある住民さんおらんで」と新人の議員さん含めて三宅町議員のほぼ全員に言われるんだろうなぁ・・・(‘Д’)

この記事の最後は「情報や課題の共有こそ社会を変える一歩に繋がる」です、と最初に書いておきます。

Voice 2019年6月号より
(見せて下さったのはこの一部です。私が前後の話も気になったので購入して文字お越ししました)
長いけど引用するよー。

人口5000人の北海道ニセコ町の町長・片山健也さんを交えた対談の記事です。
知っている人は知っているニセコ町は、自治体改革で有名です(議会改革は、栗山町。最近読んだ本によると知的バックボーンは同じ人がかかわっています)

先にキーワードを抜き出しておきます
「住民に対する徹底的な情報公開と共有です。たんに「開示」するだけではなく、住民に「共有」していただく。私は以前から、わが町に必要な仕組みは自治体・住民自身が決めればよい、と考えています。」

「自治体の首長と議会は二元代表制の関係にあり、それぞれが直接、住民に対して責任を負っています。にもかかわらず、自治体の首長が議会に根回しをして条例や予算案を通すなど、あたかも国会を真似た暗黙の合意がまかり通っています。代表制に名を借りた密室政治から行政を住民に解放しなければならない。」

 

特集

統治機構改革2.0

小さな世界都市をつくる

住民に公開・共有して困るような情報はない

 

片山健也(ニセコ町長) かたやま けんや

新時代ビジョン研究会(出席メンバー、五十音順)

小黒一正(法政大学教授・鹿島平和研究所理事) おぐろ かずまさ

金子将史(PHP総研代表・研究主幹) かねこ まさふみ

亀井善太郎(PHP総研主席研究員) かめい ぜんたろう

末松弥奈子(ジャパンタイムズ会長) すえまつ みなこ

永久寿夫(PHP研究所取締役・専務執行役員) ながひき としお

平泉信之(鹿島平和研究所会長) ひらいずみ のぶゆき

松本道雄(CBREグローバルインベスターズ・ジャパン取締役・鹿島平和研究所理事) まつもと みちお

御立尚資(ボストンコンサルティンググループシニア・アドバイザー) みたち たかし

 

 

日本の自治体は半世紀何をしていたのか

 

永久

今回、「新時代ビジョン研究会」のゲストとして北海道のニセコ町長・片山健也さんにお越しいただきました。ニセコ町は人口約5000の小さな自治体でありながら、多数の外国人観光客(2017年は12万8498人)誘致で注目を集めており、私も何度か訪れている大好きな町です。私たちの研究会のテーマは「日本に自己変革のダイナミズムをいかにしてつくるか」で、実際に自治体の変革に携わる町長のお話を楽しみにしてきました。

 

片山

ありがとうございます。私は東京で就職して神戸と札幌で働いたのち、1978年に縁あってニセコ町役場に入り、現在に至ります。長年、さまざまな役所を見て率直に感じるのは、公務員社会という特権的階級の問題です。1956年時点で全国に4668あった市町村は、合併等で2014年には1718に減少しました。一方、自治体の果たすべき役割は近年ますます増加しています。

にもかかわらず、少なからぬ自治体は時代の変化に対して「居眠り」を続けて公務員の特権的立場を守ろうとし、「公務自(同士に温かく、住民に冷たい」公務員社会を守ってきました。結果として、改革を続けてきた「先駆自治体」と「居眠り自治体」とのあいだには、いまや三十年かかっても追い付けないほどの格差が生じています。

1952年公開の映画『生きる』(黒津明監督) の主人公は市民課の男性ですが、住民の陳情をたらい回しにする光景が、現在と比べてほとんど違和感がないことに驚きます。日本の自治体は半世紀いったい何をしていたのか、と思います。

自治体の進歩を妨げているものとして、たとえば地方自治法の第二条一四項に「地方公共団体は、その事務を処理するに当つては、住民の福祉の増進に努めるとともに、最少の経出で最大の効果を挙げるようにしなければならない」とあります。私は、この「最少経費美徳論」が自治体を駄目にした要因の一つではないか、と考えています。

地方公務員の頭には、つねに公共サービスは「安いものを」という意識があり、裏を返せばクオリティ(品質)が二の次となっています。「住民の福祉や幸福のために質の高いものを提供する」という視点が置き去りにされており、住民の暮らしにとってプラスになっていない。

私は、こうした最少経費美徳論に対して以前から「最大の効果を最少の経費で」と訴えています。したがって、住民に対して「わが町の財政が厳しい」や「予算がない」という言葉は禁句にしています。日本人は優しい人が多いから、そういわれると改善の要請を諦めてしまうからです。職員の側も、担当者がその事業が住民の幸福にとって不可欠だと思ったら、必要な額とプランを提案するのが地方公務員としての義務です。

最初に申し上げた「公務員社会」の姿は、住民がいかに暮らしゃすい社会をつくるか、という地方自治の本義に反しています。

地方公務員制度がいますぐになくなることはないでしょうが、ニセコ町の職員も、ゆくゆくは三分の一を外部から入れて組織を流動化させていきたい、と考えています。

 

 

情報公開から情報共有へ

 

片山:

私がニセコ町の改革を行なううえで取り組んだのは、住民に対する徹底的な情報公開と共有です。たんに「開示」するだけではなく、住民に「共有」していただく。私は以前から、わが町に必要な仕組みは自治体・住民自身が決めればよい、と考えています。

住民が日ごろから議員を取り巻くかたちで議会を傍聴し、場合によっては議長が住民の発言を求める。ニセコ町の課題を話し合う会議は基本的に車座方式で行なわれており、行政VS住民の議論ではなく、住民同士が丁々発止の議論を行なうのが望ましい行政の在り方です。

自治体の首長と議会は二元代表制の関係にあり、それぞれが直接、住民に対して責任を負っています。にもかかわらず、自治体の首長が議会に根回しをして条例や予算案を通すなど、あたかも国会を真似た暗黙の合意がまかり通っています。代表制に名を借りた密室政治から行政を住民に解放しなければならない。

たとえば図の運営に関して、ニセコ町では図の選定に行政はいっさい関与せず、お母さん方が運営するNPO法人に任せています。事務局長の面接も役場はいっさいノータッチ。役場や教育委員会の人間でも入れると、行政主導で事が動いてしまう。反対に住民に任せたところ、絵本の読み聞かせなどさまざまな主体的な活動が自然に生まれました。結果、図書館という公共施設がお年寄りゃ子供が世代を超えて集まる「愛される居場所」になったのです。

まちづくりのための町民講座も170回以上続けており、最初は職員が原稿など内容の確認を求めてきましたが、私はいっさい見ずに「自治体の職員として内容は自分で考え、判断して住民と意見を出し合う過程を経験せよ」と伝えました。いまでは係長クラスの職員も一、二時間のプレゼンテーションができるようになり、政策議論のほかに住民からの「町はこんな仕事をやっているのか」「なぜあの仕事にこんなに多くの職員が必要なのか」とい

う素朴な疑問や誤解を解決する場ともなっています。

たとえば以前、住民から「ニセコ町の介護保険料はなぜこれほど高いのか」という意見が出たことがあります。ご承知のようにニセコは冬の寒さが厳しく、家庭介護をサポートする目的で社会福祉法人を設立し、特別養護老人ホームを運営しているという理由を説明したところ、負担を強いる特別養護老人ホームは廃止すべき、という話の流れになったのです。

ところがそのとき、家庭介護を経験する一人の職員が次のように語りました。「うちの家では二年前におやじが倒れてしまい、家族で介護を続けるうちに、このままだとおふくろも倒れてしまい、自分も嫁と離婚せざるをえず家族がばらばらになってしまう。『おやじが死んでくれたら、うちの家はまだもつのに』と思った」。

すると、何人かの女性が手を挙げて「私もいま家族の介護でたいへんな目に遭っている。介護する側の家族にも逃げ場が必要で、特別養護老人ホームがあることで救われている面がある」といいました。二時間ほど議論が続いた結果、「皆で負担しようじゃないか」ということになりました。

このように、役場も含めた住民同士の議論の積み重ねが、ニセコ町の自治のレベルを底上げしていると痛感します。検討や議論の前提となる情報の共有、政策意思形成と意思決定の「見える当化」こそ、自治体改革の肝であると思います。

予算に関しても、自治体は「予算が厳しい」とはいうけれど、では住民が自分の町に借金がいくらあり、予算のどこが厳しいかを知っているか、という点になかなか思いが至らない。そこでニセコ町では毎年、「もっと知りたいことしの仕事」という噛み砕いた予算説明書をつくり、町内で全戸配布を行なっています。

さらに、全国初の試みとして「自治体基本条例」を制定しました。憲法のように、首長が代わっても変わらない「ニセコ町の慣習を条例化したもの」(神原勝 かんばらまさる・北海道大学名誉教授)です。四年に一回、見直しを行なって「成長する条例」をめざしています。

 

 

公共の場でいえない本音とは何なのか

 

片山

すべては情報の共有から始まります。そのためには、何も情報公開条例をつくる必要はない。以前、木佐茂男先生(北海道大学名誉教授)にニセコ町の委員を務めていただいた際、「情報公開条例をつくると住民と行政のあいだに余計な壁をつくってしまい、逆に情報が出てこなくなる恐れがある」と伺いました。

理想は住民の暮らしのなかに行政機構が浸透することで、木佐先生の「行政のなかには個人情報を除き、いっさいの秘密はない」という認識はまさに慧眼だった、と感じます。

自治体職員の裁量によって本来、主権者のものである情報が出たり出なかったりすること自体がおかしい。住民に公開して困る情報とはいったい何なのか、ということです。以前、当時の逢坂誠二町長がニセコ町の管理職会議を公開する、と宣言したところ、「重要な会議を公開すると、本音で意見がいえない。自由な議論ができない役場にしてよいのか」という反対意見が出ました。

しかし私たちの仕事は、税金によって公共課題の解決を行なうことです。その際、公共の場でいえない本音とは、結局のところ「あの人にお世話になったから話を通してやりたい」という個人の恣意的意見にすぎません。そこで管理職会議を公開し、住民と職員が集まって議論を重ねるうちに、日ごろは課内や居酒屋で威勢のよいことをいっていた管理職が、公の場では何も発言できないことが明らかになり、人事異動もスムーズになりました(笑)。

 

 

『小さな世界都市』『環境創造都市』の実現

 

片山

冒頭でご紹介いた、だいた観光の話をすると、ニセコ町が本格的に観光誘致に取り組み始めたきっかけは、バブルの崩壊です。最盛期で70万あった宿泊件数が1993年には半減してしまい、観光関連施設の経営者は軒並み廃業の危機に瀕しました。

そこで行なった改革は、まず「観光協会の株式会社化」(2003年設立)。観光客の激減というピンチに際してなお、誰も責任をもとうとしない役場内の観光協会を抜本的に改善するため、全国初の株式会社にして経営を「見える化」しました。理想は100%住民出資の株式会社でしたが、公共性の担保を議会から求められたため、市民参加のジョイントセクターというかたちを取りました。

もう一つの取り組みは、住民主体での観光PRです。当時、フランスへの観光客数が安定して伸びているので調べたところ、近隣諸国から訪れる旅行客数が圧倒的に多かった。そこで住民の有志が台湾や香港へ出向いて、現地の旅行会社を訪問し、ニセコの観光PRを行ないました。このときのチャレンジが現在に生きているわけです。

さらに、現在でこそニセコは『ニューヨーク・タイムズ』やCNNでパウダースノー(スキーに適した、ざらざらした雪)のメッカとして紹介されるようになりましたが、長く問題になっていたのは、雪質がよい代わりに雪崩の恐れがあるコース外の区域にスキーヤーが入り、命を落とす事故でした。禁止区域にネットを張っても、パウダースノーを求める進入者が後を絶たない。

この難題に取り組んだのが、新谷暁生しんやあきお氏(ロッジ経営者、冒険家)です。ニセコなだれ調査所を設立して「ニセコ雪崩情報」を毎日早朝に配信し、ゲレンデから「パックカントリー」を各スキー場内に設けたゲートに限定するなど、危険を避けるために九項目の「約束」を設けました。ガケなどの危険地帯は完全に立ち入り禁止にしたうえで、それ以外のエリアは雪崩のリスクが少ない日に滑走を容認する、という「ニセコルール」を確立したのです。

並行して国際リゾート地としての質を高めるため、外国人の職員採用や国際交流員の活躍を支援し、民間のインターナショナルスクールを誘致しました。

私たちニセコ町がめざした二十年前の目標は、「小さな世界都市」の実現です。海外のどの国から誰が来ても歓迎を受ける、世界標準の暮らしやすさを実感できる町にしたい。そして、現在の目標は「環境創造都市」の実現です。2050年にC02を86%削減する、という目標を掲げて、地中熱の利用や民間による地熱資源開発調査、ホテルの温泉熱を冷暖房に使うなど、資源・エネルギー・経済の三つの循環を持続させる循環型社会に挑戦しています。おかげさまで2018年6月、国からSDGS(持続可能な開発目標。国連サミットで採択された行動計画に記載)の達成に向けた取り組み、提案を行なう「SDGs未来都市」に選定されました。

ニセコ町にとって自然環境と景観は宝ですから、環境保全に関してはかなりシビアな基準を設けています。この点で日本の自治体は遅れており、たとえば、ドイツでは、断熱効果の低いアルミサッシの窓は使用が禁止されています。さらにニセコ町から国への要請として、所有者不明地の所有権の自治体への移管や、水資源の保全に関して財産権を自治体が制限可能な基本法の制定、景観保全のため地域の特色を反映できる建築諸法の改善、外国人労働

者の住民税を一律自治体課税にする改正などの要望を今後とも行なっていきたい、と思っています。

 

 

町が直接に世界と向き合う

 

永久

ニセコ町の取り組みが成功したのは、約5000人という自治体の規模も関係しているように感じます。たとえば横浜市のように人口372万人の自治体では、住民が行政に参加して何かを決めるという感覚自体が失われてしまい、首長や議会に任せっきりの状態になってしまっています。

 

片山

戦後日本の問題は、右肩上がりの経済のなかで、地域・住民が本来もっていた力を「行政サービス」という名のもとに奪い取ってしまった点にあると思います。その結果、行政の裁量・仕事が肥大化して予算が膨張してしまった。規模が大きい自治体でも、より細分化してみれば行政区や自治会ごとに必ず、何らかの解決すべき課題があるはずです。自治体内分権が必要です。

地方自治の目的は、主権者である住民が安心して暮らせる社会をつくることです。したがってまず住民自身が課題を共有し、町内会や自治会のような感覚で侃々誇々の議論を行なうべきです。

すべてを行政が請け負ってしまうことに、最大の問題があると思います。

井大きな規模の自治体の場合、いかにわが町のサイズで課題を共有できるか、という再細分化が必要でしょう。片山町長がいわれたように、行政をサービス産業ではなく、地域をよりよいものにするまちづくりのプロフェッショナルの仕事に変えていく作業が重要です。

 

末松

むしろ、逆の視点も必要ではないでしょうか。「この間題は町内で協力して対応できるよね」というふうに小さなコミュニティがしっかりしていれば、それらが積み重なった自治体の行政もよいものになると思います。上からの発想だけで考えると、現在のように国や役所が発した方針が基礎自治体にまったく届かない、という状態になってしまいます。

 

小黒

コミュニティでの活動を考えたとき、ニセコという地域がもつ地理的特性の側面も大きいと思います。大都市で暮らすサラリーマンのように毎日、会社に張り付いた生活をしていると、自由時間が少なく、別の生き方を考え、模索することが難しいという現実があります。

金子長時間の通勤がなく、職住接近だからこそ可能なライフスタイルがあるでしょうね。

 

小黒

大企業などでもマルチジョブの権利をもっと認め、平日五日間のうち一日は副業や公共セクターでの仕事など、他の活動に空けられるような制度を考えたほうがよいと思います。

 

亀井

客観的な観察者の視点からいえば、ニセコは羊蹄山の麓(ふもと)にあって、真狩(まっかり)、倶知安(くっちゃん)という肥沃な地域に挟まれており、農業だけで生き残るのは厳しい土地柄です。しかしそのマイナスがあったからこそ、逆に外国人であっても排除せず、「声を受け止め、一緒にやろう」という発想に転換できたのかもしれません。

 

片山

私もニセコに住んでみて、風通しのよい町だな、という点は実感しました。

 

御立

片山町長のお話を聞いてあらためて感じるのは、地方自治には、上からの「統治」と下からの「自治」の両方が不可欠だ、ということです。予算配分という権力を使い、霞が関を頂点として、地域の隅々まで上から統治するというモデルには明らかに限界がある。工業化によるキャッチアップの時代はとうに終わっているわけですから。自治体のサイズごとに、何を統治し、何を住民自治に任せるか、を考え、両者を使い分けて最適化することが重要だと思います。

もう一つの興味深い論点は、外から来た人たちの受容ということです。ニセコを訪れてファンになり、アウトドア観光の会社までつくったNAC(ニセコアドベンチャーセンター)社長のロス・フィンドレー氏は、夏場の需要開発の観点で、カヌーなどで河川で遊べるようにさまざまな働き掛けを行ないました。彼らのような「外から来た人」の話を面白がって聞いてくれる土壌がニセコにはある。外国人を日本文化に同質化させる発想ではなく、多様な意見をうまく汲み取り、地域を変えていく。こういうやり方は本当に面白いし、大事ですね。

 

末松

ニセコ町にインターナショナルスクールがある、というお話には驚きました。たんなる出稼ぎではなく、実際に外国人の家族が移り住んで子供が教育を受けている、という点で、他の小規模な自治体とは一線を画しています。

 

平泉

何といっても「小さな世界都市」という自己規定が凄い。そこには北海道も日本も介在しません。両者を飛び越えて町が直接に世界と向き合う、という気概と主体性が凄い。自分のことは自分で何とかする自力更生の精神があれば、これほど変わるのですね。反対に、道や国の指導や支援を当てにした瞬間、すべてが他人事になって衰退に向かってしまう。この自己規定がすべてだと思います。

明治以来、百五十年も続いてきた中央政府の「子供扱いの統治」に対し、片山町長のような首長が内発的・主体的な改革を働き掛けてきた。その努力がいま結実しているように思います。人間にはあらかじめ問題解決力が備わっている

 

亀井

平泉さんのご指摘の明治以来の中央集権を崩すポイントは、まさに「情報の共有」です。

小黒

同感ですが、元行政官の感覚でいうと、やはり法律の「縛り」があり、本当に山を動かすためには、道州制など抜本的な地方分権を実現しないと変わらない側面も多いと思います。

 

永久

そこが難しいところで、私たちPHP総研(当時はPHP総合研究所)が第一次安倍政権時代に発足した道州制ビジョン懇談会の議論に加わった際にも、道州制基本法をつくろうという話がありました。しかし最終的には全国町村会の反対で自民党総務会を通らず、法案提出の一歩手前で終わってしまったと聞いています。改革に際しては基礎自治体が取り組みゃすい部分と、国あるいは広域連合で行なう部分を分けたほうがよい気がします。

 

亀井

その点は御立さんがご指摘のように、統治と自治の両面を見ることが大切です。多くの住民にとって、生活空間のデザインや改善という意味で重要な部分の大半は自治でできることばかりです。性善説ではないけれども、人間にはあらかじめ問題解決の能力が備わっており、自ら意思決定を求める生き物であるという前提に立てば、情報や課題の共有こそ社会を変える一歩に繋がるのではないでしょうか。

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