2024.01.21 講演会「公教育はどうあるべきか」久保敬さん(三宅町にて)

僕の好きな先生

講演会「公教育はどうあるべきか」久保敬さん

久保敬(くぼ たかし)先生は、かまいたちの濱家さんの小学校の先生です。
それで有名になったわけでなく。
松井一郎さんが大阪市長時代に大阪市の校長先生でした。
2021年5月 市の教育政策に対して「提言書」を提出して意見しました。
それがネットで広がります。
そしてお上にたてついたということで、文章にて注意をうけるということになりました。
そんな久保先生をお呼びして、「教育ってなんだ?」を考える会となりました。
たくさんのご来場ありがとうございます。
席が少なくて済みませんでした。
お持ちいただいた書籍、おせんべいもすべて完売でありがとうございます。


先生の話を聞いて、「教育」と「教育行政」は目的や、やろうとしていることが違う。
「教育」が「教育行政」によって、本来あるべき姿を歪められている。
では、「教育」が目指すべき本来の姿ってなんだ・・・
「教育」はどうあるべきという議論がなしに、「教育行政」から押し付けるべきではないという。
そんな話に私は聞きました。

まずは気になっていたのは、提言書を読んだ印象と「僕の好きな先生」を読んでの久保先生に対する印象がまるで違うので、その秘密を知りたいとも思っていました。
自分なりに納得しました。
「教育行政」から押し付けで、本来の「教育」が奪われていることに対する怒りでなく、その状況に対して、何もしなかった自分に対する怒り、憤り、不甲斐無さ。「みんなそれぞれでいい。だから自分の感じたことは、伝えようね」と生徒に言っているはずの自分が、おかしいと感じながら言えない、見て見ぬふりをしている自分に対する言葉。だからこそ強く、自分を奮い立たせるためにもトンガッタ言葉になっていると、私は感じたのだと思いました。

印象に残った言葉もメモっておきます。

競争に負けずに「生き抜く」世の中ではなく、「生き合う」世の中。
競争でなく協働。
あらゆるものを数値化して評価することで、人と人との信頼や信用をボロボロにして、あたたかなつながりを奪っていないか?

「幸せなイスは?」 答えは「パラダイス」と考えていたが、子どもたちにパラダイスってなに?と尋ねられ、説明していたら子どもたちが、
そういうことなら僕は「カレーライスや」「私はオムライスや」「シューアイスも」と色々と答えが出てきた。
答えは一つではないはずなのに、押し付けようとしていなかったか。



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