2023.10.2【議員研修】城跡を活かしたまちづくり

2023.10.2 議員研修
城跡を活かしたまちづくり
名古屋市立大学 特任教授・奈良大学 特別教授 千田 嘉博 氏
城郭考古学者。大阪大学博士(文学)。奈良大学元学長。1963年愛知県生まれ。1990年から国立歴史民俗博物館助手、2001年から助教授。2005年から奈良大学准教授、2009年より同教授。2012年から13年にドイツ・テュービンゲン大学考古学部客員教授。2015年に考古学の優れた研究者に与えられる濱田青陵賞を受賞。2016年のNHK 大河ドラマ「真田丸」の真田丸城郭考証者。2017年に徳川家康の慶長期江戸城の絵図発見を発表した。主な著書に『織豊系城郭の形成』東京大学出版会、『戦国の城を歩く』ちくま学芸文庫、『信長の城』岩波新書、『日本の城事典』ナツメ社、『城郭考古学の冒険』幻冬舎新書、『歴史を読み解く城歩き』朝日新聞出版などがある。

城ブーム
50歳以上の男が、城が好きという感じだったが、今や性差年齢関係ない
今日では経済効果が出るようになっている。

NHK日本最強の城スペシャル
現地に行きたくなる。知りたくなる。本を読む
武将の決断力を学べる。これからの教育にもいいぞ!

ここまでが講義のつかみの話でした。さすが関西でもまれた先生!
話がうまい! 面白い。

城が作られた戦国時代。
戦いが繰り返される時代。決断が必要な時代
ひどい時代ではあったが、一方で輝く時代。
伊達政宗、武田信玄、織田信長。。。

戦国時代の前は、荘園制で治められていた。
律令制。貴族かお寺が、権力をもつ。当時は、全てが京都に集まる時代。
戦国時代は、なぜ自分たちの富を京都に集めなければ、持っていかれなければならないのか。

ここで現代の東京一集中・地方が輝かないといけない時代と、城・戦国時代の話がリンクして、俄然、講師の先生の話をもっと聞きたくなります。
「うちの地域は石垣の立派な城なんてないしな~環濠集落、ひら城がよいところ。
お題の「城とまちづくり」って言われてもなぁ~」と思っていたことを反省しました。

戦国期に地方へ広がった庭園
福井県一条谷朝倉氏遺跡
岐阜県江馬氏下館
神奈川県 小田原城 戦国時代の石を敷いた庭
京都にも負けない文化が地方に現れた!
地域の力が現れた。

有名な大名の土地は、今の地方都市の原型

戦国時代は、京都に全てを集めた仕組みを壊して、地方が力を持って経済と文化が栄えた時代。
地域の特色を生み出していった時代!

戦国の城とは
(城というのが石垣をもった立派な巨大建築を含めて、自治を行う庶民の村というふくらみを持った概念と考える)

視点1 (戦いの世の中)最前線の城を守る。= 自衛のためのルールを作っていた
群馬県 榛名峠城法度 1587年
番衆は私用で城から勝手に出てはならない
無許可で出ているなら殺しても良い
大聖院 花押
朝7時に開けて夕方5時に閉めよ
夜は巡回を怠らず城主、番頭も3度は見回りせよ。夜に番所で歌を歌ったりしてはいけない

大阪府 豊臣大阪城 大手門前
佐竹氏の大御殿の跡地
のちに大阪の冬の陣の戦場となる

荻生徂徠「武教全書」1656年
町屋は火事に弱いから、陣屋をはれ

福島県 西山館 発掘した陣小屋
足軽の陣小屋が攻撃を受ける時の一番最先端になった
長崎県 原城跡、島原の乱の陣小屋 竪穴建物
負けた側の記録なし(全滅させられた)発掘で分かった。絵との照合
冬の戦いだが、火を焚いたあとがない。
全体で、食料を配分していた。規律正しく組織されていた。
島原陣図屏風

戦国の時代、多様な人々が城を作って戦った。

視点2
城の病気蔓延を防ぐ

視点3
自分と家族の命を守る
京都の大藪環濠
領地に堀を作りたいというお願い。
大藪環濠の発掘。ひら城と考えられる

武士が作った大きな城だけが意味なるものでなく、地域住民が作った小さな城も意味がある

視点4
戦いと女性
「おきく物語」1615年 豊臣大阪城 落城の時に 淀君に支え大阪城の 詰丸長局(つめのまるのながつぼね)にいた
城の一番奥にいた。周りが戦場になっていることに気づく。
決まりを破って(外に出るな)、本人が自分の目で見た。
彼女は負けると判断。
ここにいろといわれたが無視して出た。
金の瓢箪が放置(大将がここにいるという証拠)を壊した。
(徳川がたが見つければ、今も残っていて我々が見ることができたかも)
追い剥ぎが来た「金を出せ」もっとやると護衛をさせた。
周りが焼けていると言った下女にも一緒に脱出しようと声をかけたが、下女は守りの男の言葉を聞いて、中に残った。

島根県 松江城天守の一階 に人質蔵があった
武士たちの奥さんは、人質として寝泊まりしていた。

ルイスフロイス「ヨーロッパ文化と日本文化」
日本の女性は夫より前を歩く。日本の女性は夫とは別財産を持つ。時に夫にお金を貸す。
妻から離縁することもある。夫の許可なく自分たちで好きなところに行く自由をもつ。
日本の女性は文字を書く。日本の男は厨房に立つことを立派だと思っている。日本の女性は酒を飲むのが普通。

視点5
城を守って未来に活かす
20116年五月 熊本城

観光の入り口の 頬当て御門がくづれた。
幸い夜中の地震でよかった

飯田丸五階櫓
ギリギリ崩壊を免れた

小天守台石垣 ここも見学通路 崩れた。
夜で誰も被害者は無かった

元のように積むのが原則だが、そうすると同じ規模の地震がくると崩れるので、元々の石垣には無かった最新技術を取り入れた。
特別見学通路を作っている(2021年)
熊本城 大小天守が蘇る。加藤清正が作った。鉄壁の城のレプリカ
スロープをつけた。悪目立ちをせず、ガラスと鉄で最近つけたとわかるようにした、
エレベーターで最上階にもいけ、加藤清正が見た風景を見ることができる。仕組みを入れた

バリアフリー、アクセスビリティーを取り入れた

石川県 金沢城 橋爪門 五十間長屋 修復
見るほどもなくボロボロだったものを全復元した。堀、櫓、建物

歴史的け景観を阻害しないように、アクセスビリティーを実現

税金を投入して史実を担保して復元。
健常者だけでなく、障害のある人も 歴史を体感できるようにする

歴史を忠実に再現は今はできない
電気配線、スプリンクラー、防煙垂壁(煙を広がるのをくいとめる)
復元建物でも必ず必要。これがないと健常者が入れない。

エレベータを入れっるのはダメ、というのはあまりに無知。
健常者だけが歴史を体験できれば良いという考え。
私たちの叡智を示す金沢城。
こういうのは極めて稀

大和郡山城
極楽橋が復元、しかし「車椅子の通り抜けができないので。。。」
堀を発掘したら橋げたがあった。残さないとけないと、柱が上がった
史実にはない、石段をつけた。
車椅子が絶対に通れないことになった。
調べてみた。
史跡整備の専門家だけの話。
誰にみてもらおうという視点が全落ち

香川県高松城 桜御門
アクセスビリティーなし。多様性を無視している。

海外の史跡整備を知るべき。

触れない、触ると怪我をする立体展示は、あり得ない。

日本の史跡整備は、多様性を受け入れるという視点が抜けていること多し。

非公開部分

閲覧にはパスワードが必要。 忘備録(どんどん忘れていくので対策。メモメモ)

コメントを残す

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください